第十一話 『双絶剣』
刃を交えながら、二つの影が王都を走る。
障害物を刻み、辿り着いたのは開けた空間だった。
邪魔な物がない広場だ。
そこで斬り結ぶと、両者は間合いの外へ下がった。
二本の剣を高速で扱いながら走り回ったというのに、ジークに呼吸の乱れはない。
汗一つかいていない。
「…………」
対するミリアは僅かに息を乱し、汗を流していた。
「悪くねえ」
獰猛な笑みを浮かべながら、ジークはミリアをそう評した。
「お前のことは知ってるぜ。二番隊の隊長で、《分析剣》なんて呼ばれてんだろ?」
「…………」
「どんな使い手かと興味を持っていたが……あぁ、悪くねえ。なかなかやるじゃねえか」
余裕綽々のジークに、ミリアは無言のまま表情を険しくした。
色違いの双眸は、今もその動きを捉え続けている。
「打てば響くっつーか、いい感じに喰らいついて来やがる。初見でオレにここまで対応できたのは、アルデバランか、シスイ達《剣匠》くらいのもんだ」
「……それが、なに」
「いや? おもしれえって話だ。お前はつまらさそうだけどな」
日はほぼ落ちかけ、街灯が灯り始めている。
それでも、街のあちこちから激しい音が響いてくる。
特に、王都の外からの音は大きかった。
「それで、お前はオレを足止めしたいんだったか?」
「そう。貴方はことが済むまで、ここにいてもらう」
「…………」
「もしくは、私が殺す」
「……へぇ」
薄暗くなった王都で、ジークの目がギラギラと輝く。
「それが、使徒としてのお前の役目か。興味本位で聞いとくが、お前らは何がしてえんだ。《魔神》を蘇らせたいのか?」
「……私は死にたくないだけ」
「あ?」
「逆らえば、私の中の楔が私を殺すから」
ミリアの目に、怯えの色が浮かぶ。
同時に、狂気も。
「死にたくない。死んだら終わり。何も出来ない。誰とも会えない。どこにも行けない。楽しいことも、嬉しいことも、何もなくなって、私という存在が消えてしまう。それが怖い。怖くて怖くて堪らないから、私は生きていたい」
恐怖の感情を剥き出しにして、逃れるように早口で言葉を並べるミリア。
普段のミリアを知っている人ならば、今の彼女を見て驚いただろう。
「私に勇気はなかった。私はただの役立たずで、足手まといだった。だけど、今はどれだけ苦しくても、どれだけ悲しくても、どれだけ辛くても、生きていさえすればいつかきっと、幸せになれるから。大切な人を失った痛みも傷も、いつか癒えてくれるから」
ミリアの瞳に、狂気じみた希望が浮かぶ。
「――生きていることが、私にとっての『癒やし』だから」
と。
熱にうなされる少女のように、ミリアは言った。
「つまんねえな」
そして、ジークは退屈そうにそう返した。
「生きてるだけで幸せになれるわけねえだろ。老人は全員幸せか? 長命種は幸福なのか?」
「……!」
「ガッカリだな。使徒ってのは頭がおかしい連中だって聞いてたんだが。お前はありふれてて、つまんねえな」
ミリアから、殺気が吹き出す。
「あんな連中と、私を一緒にしないで」
「は?」
「貴方に何が分かる! ただ逃げて、生きることしか出来ない人間だっている!」
「ああ、そう。そうだな。うん。じゃあ、ちゃっちゃと終わらせようぜ」
ジークが構えた。
右手に握る剣を上段に、左手に握る剣を中段に。
二刀流だ。
絶心流で、二刀流を使うものは少ない。
何故なら、扱いが難しいからだ。
片手で剣を振るには、相当の筋力が必要となる。
片手で剣を扱うには、相当の技術が必要となる。
威力と速度を重んじる絶心流では、他の流派に比べて特に二刀流の扱いは難しい。
そんな二刀流を、今代の《剣匠》は扱っている。
《双絶》ジーク・フェルゼン。
構えたどちらの剣からでも、奥義である«絶剣»を放つことが出来る剣士。
間合いに入り、完全な状態で放たれた«絶剣»は躱せない。
防ぐことすら難しい。
通常、«絶剣»は一本の剣を両手で握った状態から繰り出される。
故に、«絶剣»が来る方向はあらかじめ分かるのだ。
しかし。
ジークは左右のどちらからでも«絶剣»を放つことが出来る。
生半な剣士では、どちらの手から放たれたか理解する間もなく殺されるだろう。
この剣に対処出来るのは《剣聖》か《剣匠》クラスのみ。
今代のシスイがジークの«絶剣»を受け流し、背後にあった森を吹き飛ばしたのは、剣士の中では語り草になっているくらいだ。
「…………」
ミリアも構えた。
背を伸ばし、胸を張り、剣を中段に構える。
どこから技が来ても、対処できる構えだ。
ミリアの視線は、ジークの両腕を捉えていた。
左右どちらから来ようと、ミリアは見てから対処出来る。
当然、«絶剣»への対処法は心得ている。
«絶剣»さえ弾けば、ジークは無防備になる。
そこを両断すれば、ミリアの勝ちだ。
「…………」
「…………」
無音。
既に二人は雑音は聞こえない。
少しずつ、僅かに。
両者の間合いが狭まっていく。
先ほどまでの腕試しとは違う。
ジークは次の一撃で勝負を決めるつもりだった。
故に、彼が放つのは必殺の一撃だ。
「…………」
両者ともに、間合いに入った。
ジークの一挙動ごとに、怖気がするほどの殺気が襲ってくる。
だが、ミリアは動かない。
それがこちらの動きを誘っているからと、理解しているからだ。
「…………」
どれくらいの時間が経過したか。
呼吸を忘れるほどの緊張感の中。
ジークが動いた。
「――――」
それまでとは違い、殺気はなかった。
まったくの自然体。
呼吸をするような気軽さで、ジークが技を放った。
そして。
ミリアはジークの動きを見切っていた。
――左。
中段に構えた剣から、横薙ぎに«絶剣»が繰り出される。
音はなく、壮絶な威力を誇る一撃がミリアに迫る。
喰らえば、確実に命を奪う一閃。
ミリアに剣が届くまで、僅か零秒。
「«滑水»」
«絶剣»が最高速に至る、その零秒前。
ミリアの刃が、その軌道上に滑り込んだ。
どれだけの威力を誇る剣技であろうとも、当たらなければ意味は無い。
流心流の初歩の技が、ジークの奥義を受け流していた。
――勝った。
この瞬間。
奥義を放った後、剣士は無防備になる。
ミリアのカウンターに、ジークは対処することが出来ない。
ミリアが、そう確信した直後。
「じゃあな」
声が聞こえた。
瞬間。
ミリアの視界が二つに分かれた。
「――奥義«双絶剣»」
左右にズレていく視界の中。
ミリアは見た。
左手で«絶剣»を放ったはずのジークが、右手の剣を振り終えていることに。
ドシャリ、とミリアが地に沈む。
左右に分かれた体から、ドクドクと血が流れていく。
「何の為に剣を二本持ってると思ってんだ。片方しか使わねえんなら、一本で十分だろうが」
ミリアの死体に向けて、ジークが呟く。
«双絶剣»。
ジークが編み出した、二刀流による«絶剣»。
左右どちらかから«絶剣»を放った直後、もう片方の腕で«絶剣»を放つ剣技。
«絶剣»は技を放つ瞬間、刃にすべての力を注ぎ込む。
故に、左右同時に«絶剣»を放つことは出来ない。
ならば順番に«絶剣»を放てばいい。
そんな思いつきから、ジークが編み出した剣技だ。
「ま……少しは楽しめたぜ」
ミリアの死体にそう言葉を残し、ジークは背を向ける。
遠方から、剣戟の音が聞こえてくる。
恐らく、ウルグとあのヒョロ騎士が戦っているのだろう。
「負けてたらぶっ殺す」
《剣聖》を目指すというのなら、あの程度の相手には勝てて当然だ。
あれに勝てないようでは、《剣聖》はおろか自分にも勝つことは出来ないだろう。
「最低限、«双絶剣»に対処出来るくらいじゃねえとな」
アルデバランは、ジークに«双絶剣»を使う余裕を与えなかった。
シスイの奴は、片手を犠牲にして受け流してきた。
残った片手からのカウンターで、腕をへし折られたことを思い出す。
「……あいつ、一体どこで道草食ってやがんだ」
ジークが、そう呟いた瞬間だった。
「――【終焉からの逃走】」
理解できない言葉が、背後から聞こえてきた。
「!」
振り返るのと同時、背後からの刃がジークの肩をかすった。
血を流しながら、ジークが飛び退く。
「……お前」
振り返ったジークの視線の先。
両断されたはずのミリアが立っていた。
左右に分かれた体が、くっついている。
「――――」
ジークが剣を振る。
煌めく剣閃が、ミリアの顔半分を吹き飛ばした。
が。
「――――!」
直後、吹き飛んだ顔が再生した。
グジュグジュと音を立てながら、傷一つない元の顔へと。
「あぁ……」
立ち上がってミリアが囁くような声をあげる。
「死にたくない」
吹き飛ばされた顔を抑えながら、ミリアが繰り返す。
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」
ミリアの双眸が、ジークを捉える。
「――だから、死なない。傷を癒やして、死を見切って、私は生き残る」
色違いの双眸が、街灯の光を反射して、怪しく輝く。
「……«双絶剣»。すごい技だった」
「…………」
「だけど、もう見切った」
ミリアの握る剣が、ジークに向けられる。
「私は死なない。殺されても死なない」
一瞬で傷を癒やしたミリアを見て、ジークは理解した。
「同じ技は、二度と喰らわない」
殺しても死なないのならば。
技を見せて、殺せば殺すほど、自分が不利になっていくのだと。
見切られて、追いつめられていくのだと。
「――それが私の能力」
絶望的な宣言に、ジークは。
「――おもしれえ」
獣のように笑って、そう言った。