第八話 『理解を置き去りにして』
「テレス!」
ドロテアを吹き飛ばしたテレスが、俺の元に駆けてくる。
「救助の途中で、戦う音が聞こえてな。もしやと思って駆け付けたが、どうやら良いタイミングだったようだ」
「ああ、助かった。ありがとう、テレス」
「気にするな。それれより……」
テレスが視線を向ける先に、ヨロヨロと立ち上がろうとするドロテアがいる。
「あぁ……キッツぅい」
恍惚の表情を浮かべ、小刻みに痙攣していた。
ポタポタと血を流しながらも、まだまだ余裕そうだ。
まるでゾンビだな。
「……な、なんなんなのだ、あれは」
「……使徒だ」
ドロテアの態度に引いているテレスに、簡潔に説明した。
あの女が『祝福の使徒』を名乗っていること。
龍を従え、唐突に襲ってきたこと。
無数の武器を所持し、使いこなすこと。
そして、『痛みを三倍にして返す』能力について――。
「! そうだ、テレス。体はなんともないか?」
「ん? 特に何も感じなかったが……」
キョトンとするテレスは、何の痛みも感じていないようだった。
それは、おかしい。
テレスはドロテアに魔術をぶつけていた。
血を吹き出すほどのダメージも与えていたはずだ。
今まで通りならば、テレスにも三倍の痛みが返っているはずだ。
「……ウルグ?」
考えこむ俺に、テレスが訝しげな表情を浮かべた。
そうしている内に、待機していたヤシロと、吹き飛ばされたエレナが戻ってきた。
「かーッ、あの女、思ったより強えな。能力ナシでも、奥の手使わねえとキツイかもしんねえ」
「ウルグ様、お怪我はありませんか? テレスさんは……まあ大丈夫ですね」
「……出会い頭に酷いな、ヤシロ」
ドロテアはまだ、痛みの余韻に浸って震えている。
注意を向けたまま、メイとキョウもこちらに呼んだ。
「テレスさん!」
「良かった、無事だったんですね」
「ああ。二人も無事で何よりだ。戦闘中だから、気は抜けないがな」
テレスとの合流にメイ達が喜ぶ中、俺は先ほどの出来事について考えていた。
テレスは、ドロテアの能力を受けなかった。
何故だ?
恐らく、そこにあの能力を突破する答えがあるはずだ。
「なあ、もう面倒くせえことは抜きにして、あいつを袋叩きにしねえか? テレスも来たことだしな。首を落とすか、心臓を貫くなりすれば、あいつでも殺せるだろ」
「さっきまでなら、俺もそれに賛成したかもしれません。だけど……あいつはまだ、何かを隠してます」
テレスが来てくれなければ、俺がそれを食らうことになっていただろう。
「正体は分かりませんが……恐らく、『痛み』に関係することだと思います」
力押しで戦えば、恐らく勝てる。
だがその結果、誰かが犠牲になるのでは意味が無い。
出来る限り、あの能力を突破する方向で考えるのが先決だ。
「……皆、少し聞いて欲しい」
―
―
「……さて。魔術による痛みも堪能したし、次にいこっか」
土で汚れた服を叩きながら、ドロテアが立ち上がる。
身に着けている魔道具の効果によって、体の負傷の大半が治っている。
それと同時に、服の裾から新しい武器を取り出した。
頭部に無数の棘が付いた、凶悪な形容のメイスだ。
――『玩具入れ』。
それが、ドロテアが身に纏っている服の名だ。
内部が異空間に通じており、大量の道具を中にしまい込むことが出来る。
無数の武器を瞬時に取り出せるのは、この『玩具入れ』の効果故だ。
内部には、無数の武器や、魔道具が入っている。
今取り出したメイスも、«魔術刻印»が刻まれた一品だ。
「――――で、頼む」
ドロテアが痛みに悶えている間に、ウルグ達は何らかの作戦会議を終わらせたようだった。
どんな痛みをくれるのかと期待しながら、ふとドロテアは視線を横に向ける。
赤い双眸が捉えたのは、龍種と戦闘する騎士たちだ。
追加の龍種が空から降り立ったことで、いまだ彼らはこちらの戦いに介入出来ていない。
「今の内に、たくさん祝福しなくちゃ。まだ、メインディッシュも来ていないし……ッ!!」
ドロテアがメイスを構えた直後、衝撃が走る。
目の前で、先ほどやって来たテレスティアが剣を振り下ろしていた。
風で加速し、一瞬で間合いを詰めてきたのだ。
「今度は貴方が私に痛みをくれるの?」
「――――」
答えぬまま、テレスティアが暴風を発生させ、ドロテアを吹き飛ばす。
空中で姿勢を整え、ドロテアが着地すると同時。
テレスティアが、アルナード家の誇るメヴィウス流剣術を猛然と叩き込んでくる。
「んふふ! 凄いね、貴方!!」
速い。
上下左右斜め、あらゆる方向から刃が襲い掛かってくる。
メイスを掲げ、ドロテアはテレスティアからの攻撃を味わうように、ただ防御に徹していた。
「――はッ!!」
テレスティアの下からの攻撃に、メイスが掬い上げられる。
「――«水槍»」
その瞬間、死角から飛来した水の槍がドロテアの脇腹を抉った。
「か……くぅうう」
魔術を放ったキョウが、苦悶の表情を浮かべて膝を付いた。
ドロテアは微笑むだけで、その動きを一切鈍らせない。
「……失敗か。ならば……」
「?」
直後、テレスティアの周囲に無数の刃が発生した。
上下左右斜め、そして中央。
五つの方向からドロテアを刃が襲う。
「わー、すごい」
嬉しそうに呟きながら、ドロテアはメイスを軽々と振り回し、刃を防いでいく。
その卓越した技術にテレスティアが驚愕させられる。
だが、ドロテアがそのの攻撃を『目視』してから動いていたからだろう。
「――――」
五つの刃の内、一つだけが僅かにドロテアの肩を抉った。
「――! こ、これか……!」
その瞬間、テレスティアが顔を顰めて後ろへ退いた。
「失敗。理解していても……く、中々にキツイ……」
目を潤ませながら痛みを堪えるテレスティアに、今度はドロテアが肉薄した。
後方から立ち直ったキョウが魔術を放つが、ドロテアは物ともしない。
「そろそろ、私も直接的な痛みをプレゼントするね」
「……ッ!!」
テレスティアが暴風を発生させ、土煙を巻き上げる。
しかし、それではドロテアの足を止めることは出来ない。
エレナに『強い』と言わしめたドロテアは、メイスを振り回し、暴風を掻き消した。
そして、テレスティアにメイスを叩きつけようとする直前。
「おォおおおおッ!!」
ドロテアの死角から、黒い鬼が突っ込んできた。
ビリビリと、大気を震わせるほどの剣気。
猛然と突っ込んでくるウルグに、ドロテアは反応せざるを得ない。
「――«風切剣»」
膨大な量の魔力を纏った漆黒の剣が、音を置き去りにしてドロテアに迫る。
確実に、ドロテアの命を奪い取るだけの一撃だ。
「ごめんね。ちょっとそれは受けてあげられない」
ドロテアは、纏っている«魔力武装»の強度を高めた。
振り下ろされる一撃を、メイスで受け流した。
瞬間、受け流された衝撃が背後の建物を両断する。
メイスに刻まれた«魔術刻印»の効果は«無壊»。
例外を除き、どんな攻撃を受けても壊れないという効果がある。
どれだけ協力な攻撃を受けても破壊されない。
「…………!」
はず、だというのに。
«無壊»が刻まれたメイスが、粉々に砕け散っていた。
ウルグの一撃の威力が高すぎたのか、もしくはその剣の能力か。
そして、メイスが砕けると同時に、柄を握っていた右手の指がへし折れるのを感じた。
完全に、衝撃を受け流しきれなかったのだ。
「な……んて――素敵」
「ぐ……ああァ」
「貴方、これから毎朝、私の骨を砕いてくれませんか!?」
腕の砕けた痛みに耐えるウルグへ、感極まったドロテアがそう叫んだ。
感情を昂らせ、素晴らしい痛みを与えてくれたウルグにだけ、視線を向けていたからだろう。
直後、ウルグの影から溶け出すように現れたヤシロに、ドロテアは気付かなかった。
影を纏った一撃が、ドロテアを貫く。
「――――」
完全に、不意を突いた一撃だった。
その一撃はドロテアの脇腹を抉った。
「くふ……」
瞬間、ヤシロが腹部を抑えながらその場を離脱する。
脇腹を抉った痛みが、三倍になって返ってきたのだ。
「……D作戦も失敗。後はEだけか」
「いーってなに?」
常人ならば動けなくなるだけのダメージを追いながらも、ドロテアは健在だった。
首を傾げるドロテアに、ウルグは反応しない。
「先輩! 準備、出来たみたいです」
「……分かった! 全員、下がってくれ」
キョウがそう叫んだ瞬間、ウルグ達がその場から離脱する。
ドロテアが、首を傾げた直後。
「――――!」
ドロテアの頭上から、無数の水弾が振ってきた。
一つ一つのサイズは非常に小さいが、その数は尋常ではない。
すべてを合計すれば、上級に届きうるだけの消費魔力だろう。
新しい武器を取り出して防御するが、流石のドロテアもすべては防ぎきれなかった。
水弾の幾つかが、ドロテアに被弾する。
とはいえ、その威力は非常に低い。
モロに当たったところで、大したダメージにはならない。
「何がしたいの?」
すべての水弾が消え、ドロテアが首を傾げた直後。
空中に、再度水の弾丸が打ち上げられた。
それはドロテアを狙ったものではなく、空中で弾けて呆気なく消滅する。
「――成功だ」
ウルグ達が、それを見て何かを叫ぶ。
その時になって、ドロテアはいつの間にかメイの姿が消えていたことに気付いた。
「……いや」
メイだけではない。
エレナの姿も、途中から消えている。
「貴方達――」
「«行雲流水»」
ドロテアの背後に、水の壁が発生する。
「ヤシロ、テレス! E作戦を続行する!」
「はい!」
「ああ!」
ドロテアを挟むように、左右から攻撃が飛来した。
影を纏った短刀と、風の刃だ。
「貴方達は、まさか――」
ヤシロとテレスティアの放った攻撃をドロテアが受け止めた瞬間、
「お――らァああああッ!!」
正面から突っ込んできたウルグの一撃が、武器で防御したドロテアを上空へと打ち上げた。
「――――」
日が落ちた始めた空の下、空中でドロテアは見た。
ウルグ達と戦っていた場所から、数百メートル離れた場所。
通路から、ドロテアを見上げる赤髪の女性がいることに。
エレナの口が、動くのが見える。
――あばよ。
「どうして」
無防備に打ち上げられたドロテアは、呆然とエレナを見下ろしている。
――絶心流・奥義。
「どうして、私の祝福を拒むの……?」
――«絶剣»。
エレナの構えていた剣が、一瞬だけ消失した。
直後、赤い斬撃がドロテアを捉えていた。
瞬きする間もなく――ドロテアを喰らった閃光はそのまま上空を突き進み、背後の建物を粉々に吹き飛ばした。
―
―
「よし……!」
ドロテアが斬撃に呑まれてから、すぐにメイとエレナが返ってきた。
メイはもちろん、ドロテアを仕留めたエレナも無事だ。
三倍の痛みを喰らい、苦しんでいる様子はない。
「ウルグの立てたE作戦であっていたようだな」
「流石ウルグ様です」
安心した。
立てた作戦が全部失敗していたら、どうしようかと思った。
「魔術で痛みが返ってきた時は、先輩の馬鹿! って思いましたが、正解していたので許してあげます……」
「えらいね、キョウちゃん」
「はは……」
あの時。
テレスが痛みを喰らわなかったのを見て、俺は幾つか作戦を立てた。
ドロテアの能力を突破するための作戦だ。
まず、A。
あの時、テレスはドロテアに魔術を命中させていた。
だから、隙を突いてキョウに«水槍»を当ててもらった。
結果は失敗。
次にBとC。
Bは風属性魔術だけが有効なのかどうかを確かめる作戦。
Cは何かしらの理由で、テレスだけがダメージを喰らわないのではないか、という仮説を確かめる作戦。
結果は、どちらも失敗だった。
そしてD。
あの時のテレスの一撃は、完全にドロテアの不意を突いていた。
だから、完全に不意を突いた一撃は能力が発動しないのではないか、という仮説を確かめる作戦。
ヤシロが不意を突いたが、作戦は失敗してしまった。
最後にE。
あの時、テレスはかなり離れたところから魔術を撃っていた。
もしかすれば、ドロテアの能力には有効範囲があるのかもしれない。
そう考えて、まず先ほどのテレスと同じくらい離れたところから、メイに大量の魔術を使ってもらった。
結果は成功。
遠距離から攻撃したメイに、痛みは返らなかった。
それを確かめたら、遠距離からドロテアを確実に殺せる技を持つエレナの出番だ。
俺達でドロテアを無防備な状態にして、エレナに«絶剣»で仕留めてもらう。
斬撃は、遠ければ遠いだけ急激に威力が落ちていく。
数百メートル離れた位置から、あれだけの威力の斬撃を撃てるのは流石としか言いようが無い。
これでどうにか、ドロテアの持つ謎の能力を発揮させることのないまま、倒すことが出来た。
もしかしたら、無駄だったかもしれない。
返ってくる痛みで、ショック死するようなことはなかったのかもしれない。
俺が危惧したナニカは、気のせいだったかもしれない。
それでも、誰かが死ぬリスクは犯したくなかったのだ。
「アタシ一人だったら、関係なしにぶっ殺してただろうな。お師匠様も、多分そうだ」
「……でしょうね」
ジークがこの場にいたら「つまんねえこと言ってんじゃねえよ」とか言いながら、ドロテアを一撃で真っ二つにしていただろうな……。
「ひとまず、襲ってきた使徒は倒したということだな」
「ああ。他の使徒が来ている可能性も高いけどな」
「……! そうだ、ウルグ。そのことで一つ、心当たりが――」
テレスが、何かを言いかけた時だった。
「ウルグ君!」
騎士を引き連れたミリアが、こちらに駆けて来た。
どうやら、龍種をすべて倒したようだ。
「大丈夫? 怪我はない?」
「はい、全員無事です」
「……そう。良かった」
ほっと胸を撫で下ろすミリア。
あれだけの龍種と戦ったのに、ミリアはほぼ無傷だ。
……戦う度に、自分の未熟さが見えてくるな。
「……そうだ。さっきの使徒は?」
「ぶっ殺したぜ。こいつらが追い詰めて、アタシが«絶剣»でぶっ飛ばした」
「……そう。分かった。後で死体を回収しに行く」
エレナに頷くと、ミリアは再度俺に視線を向けてきた。
「……周囲に龍種はいない。後は私達が片付ける。ウルグ君達は早く王城へ避難して」
「……はい、そうですね」
まただ。
どうしてか、ミリアは焦っているように見える。
「外に出ず、城の中でジッとしていて。城の中で何か起きても、絶対に部屋から出ちゃ駄目だよ」
「は、はい」
「それと強い人と一緒にいて。エレナさんや、学校の先生と一緒にいればきっと大丈夫だから」
早口で、ミリアが捲し立ててくる。
やはり、ミリアは焦っている。
何をそんなに焦っているんだ……?
「じゃあ、すぐに王城に向かって――――」
その時、少し離れたところで爆発音のような音が聞こえた。
何かが破壊され、吹き飛ぶような音だ。
連続して、龍種の咆哮のような声も聞こえてくる。
「なんだ……?」
「! この音、もしかして」
エレナは何かに気付いたようだった。
「早く……。ッ」
胸を押さえ、ミリアが汗を流す。
「ここで……抑える必要なんて……」
「ミリア……さん?」
「お前……私を捨て駒に……ッ」
様子がおかしい。
胸を押さえ、誰かに向かって喋っている。
「ミリアさん、大丈夫ですか?」
「クソ……クソ……嫌だ。でも……死にたくない。死にたくない……ッ!!」
「テレス! ミリアさんの様子がおかしい。治癒魔術で治せないか?」
汗を流し、呟く様子は異常だ。
テレスを呼ぶ。
「あぁ? どうしたんだ?」
エレナ達も、何事かと近付いて来る。
そして、
「――姉様、私は――」
ミリアが、そう呟いた直後。
そこからは、ほとんどが一瞬だった。
「――時間切れだな」
いつの間にか、フリューズが剣を抜いていた。
そして唐突に、ミリアに近寄っていたエレナに斬り掛かる。
「……なんだ、てめぇ――」
その不意打ちに、エレナは対応してみせた。
半歩下がりながら、腰の剣を抜こうとして――、
「あ――?」
自身の腰から、剣がなくなっていることに気付いた。
「かふっ――」
ざくり、と。
腹部を細剣に貫かれたエレナが、血を吐いて崩れ落ちる。
「な――――」
その場にいる誰もが、何が起きているか理解できなかった。
どうして、フリューズがエレナを刺したのか。
――どうして、ミリアがエレナの剣を奪い取っていたのか。
「何を……して……」
俺の呟きに、ミリアがエレナの剣を放り捨てた。
薄く笑ったフリューズが、ミリアの横に並ぶ。
「ミリア……さん」
さらさらとした水色の髪が、風で揺れる。
青と緑――左右非対称の瞳からは、感情が読み取れない。
ただ、何かを堪えるような、何かを堪えられなかったような――。
どちらとも取れるように、ミリアは口元を震わせていた。
「ごめんね……やっぱり、私は」
何に対して謝ったのかは分からない。
理解を置き去りにしたまま、それがさらに不理解で塗りつぶされた。
「――『癒やしの使徒』ミリア・スペレッセ」
そう、ミリアは名乗った。