間章 『明鏡止水へ至らんと』
次章が戦闘多めなので、ギャグを詰め込みました。
『雨垂れのようで有れ。
いずれ、岩を穿つまで』
流心流剣匠、二代目シスイ。
―
俺は今、温泉にいる。
もくもくと漂う湯けむりと、ゴツゴツとした岩が並ぶ露天風呂。
覗き禁止の柵があるものの、雄大な自然を見ることが出来る。
薄っすらと濁った湯には微量に魔力が流れており、病気や怪我の治りが早くなる効能があるらしい。
浸かればホッと一息吐いて、穏やかな気持になれる。
そんな温泉だ。
だというのに、俺は今、死にそうになっていた(精神的に)。
「はぁぁ、気持ちいですね」
「ああ。風景を見ながら湯に浸かるというのも、乙なものだ」
「キョウちゃん、少し太った?」
「なっ!? こ、これは筋肉です……!」
視界に広がるのは、天国のようであり、地獄のようでもある光景。
ヤシロ達が、キャッキャと楽しそうに温泉に浸かっている。
それを目にしながら、俺は気配を消し、息をひそめ、湯の中央にあった岩陰に隠れていた。
やばい。
どうして、こんなことになってしまったのか。
のぼせかけている頭で、思い返していた。
―
王都から、馬車に揺られること数時間。
辿り着いたのは、隠れ里のような場所にある自然豊かな山だった。
知る人ぞ知る、温泉宿、と言った所だろうか。
「――ウルグ様、温泉に行きましょう!」
切っ掛けは、ヤシロの言葉だった。
なんでも、アルレイドからいい温泉宿の話を聞いたらしい。
休日に、二人で温泉宿に行こうと提案してきたのだ。
断る理由もないし、久々に温泉旅行にでも行こうか、と俺も頷いたのだが……。
「何でも、この宿をよく代々の理真流剣匠が利用しているらしい」
「へぇえ……。今度、シスイ様も誘って、三人で来てみる? キョウちゃん」
「うぇ……気持ち悪いので馬車はもう使いたくない」
馬車の中には、当たり前のようにテレス達の姿があった。
温泉の話を聞きつけて、サラッと話に参加。
気付けば、彼女達も来ることになっていた。
貴族とのやり取りで鍛えられたのか、恐るべしテレスの話術。
「ウルグ様と、二人きりのはずだったのに……」
ほっぺを膨らませ、ヤシロが拗ねている。
「ヤシロ。そう拗ねるなって」
「うぅ……」
「また今度、どこかに連れてくからさ」
「本当ですか……! 今度は、絶対、二人でですよ……!?」
どうにかヤシロの機嫌を取って、目的地に到着した馬車から降りる。
自然の中に、大きな建物があった。
「へぇ……」
宿と聞いて和風のものを想像していたが、外装は洋風だった。
宿というより、ホテルの方が近いかもしれない。
自然と相まってミスマッチかと思ったが、これはこれで風情があるな。
入口から出てきた女将さんに案内され、旅館の中に入る。
女将さんが、テレスを見るなりヘコヘコとしている。
流石アルナードだな……。
「貸し切りにしておいたから、宿も温泉も、私達だけで使えるぞ」
テレスの言葉通り、旅館に俺たち以外の客の姿はない。
案内された部屋は、清潔感のある広くて居心地のいい所だった。
ここなら、風景を楽しみながら落ち着けそうだ。
テレス・ヤシロ、メイ・キョウ、俺という部屋割りになっている。
荷物を部屋に置いた後、一度全員で集まり、ぶらぶらと宿の中をうろついた。
この宿は理真流の剣匠が来るというだけあって、訓練場や、理真流に関する書物などが置いてある。
前世のようにゲーセンとか、卓球場があったりする訳でもなく、正直にいえばやれることはそこまで多くない。
最初は皆で宿を回ったり、カードをしたりしていたが、段々と飽きてきたので、夕食の時間まで、自由行動をすることにした。
理真流の書物を読み漁り、当時仮面を付けた使徒と戦ったという、剣匠の話なんかを調べていた。
仮面の使徒は小柄で、魔術と剣術を組み合わせた、理真流に近い戦い方をしていたらしい。
《剣聖》を倒したという使徒とは、やはり別人か。
「使徒……か。一体何人いるんだか。スペクルムみたいなのがゴロゴロいるとか、悪夢だな」
悍ましい妄想に溜息を吐き、本を閉じる。
書庫は埃っぽく、体が汚れてしまった。
となれば、
「温泉に行くか」
この選択が、悲劇を生んだのだ。
―
「ふぅ……」
湯に浸かり、一息吐く。
やはり、温泉は良い。
露天風呂だから、外の自然が見れていいな。
お湯の温度は結構高い。
目がさめるような熱さだ。
この世界の湯は温めが多いから、これだけ熱いのは珍しいな。
気持ちいい。
「ん……」
遠くで、テレス達の声が聞こえる。
徐々にこちらに近づいて来ていた。
あいつらも、温泉に入りに来たのだろう。
「女湯も、こっちと同じ感じかな」
そう思い、ふと視線を入り口の方へ移した時だった。
俺は、致命的なミスに気付いた。
――入り口が二つある。
待て。
女湯と男湯、更衣室は分かれてたはずだ。
どうして、入り口が二つあるんだ。
「まさか」
混浴の二文字が頭に浮かぶ。
もしくは、時間帯で女湯と男湯が変わっているとか。
いや、まさか。
そんなバカな。
「貸し切りだから、温泉に誰もいないんだよね?」
「ああ、そのはずだ」
「本当は、私とウルグ様の二人で入るはずだったんですからね!」
「いっ、一緒にとか……破廉恥です。変態です」
和気藹々とした、女性陣の声が聞こえる。
同時に、衣擦れの音もしているな。
あ、これは温泉に入ってきますね。
不味い。
これは今からでも、俺が中に入っていることを伝えなければ。
「お」
「わーい、私が一番乗り!」
「あ、姉さん!」
声を出そうとした瞬間、ガラガラと入り口のドアが開いた。
「«身体強化»ッッ」
一瞬で湯に潜り、中央にあった岩の上側へと滑りこむ。
この間、一秒未満。
今の動きは、剣聖に届いていたに違いない。
最初に入ってきたのは、メイ。
そしてそれに続いて、キョウ達も中へ入ってくる。
初動が遅れたことを、悔やんでも悔やみきれない。
――こうして、冒頭に戻る。
―
熱い。
徐々にのぼせてきている。
これほど、湯が熱いことを憎らしく思った日はないだろうな……。
「テレスさんって、やっぱ普段からいい物食べてるんですか?」
「ん? どういうことだ、メイ」
「いえ、凄く発育がいいので」
「む、そうか? メイも良いほうだと思うが。それにキョウやヤシロも……」
僅かな間があき、
「あっ」
「何を察したんですかテレスさん」
何かを察した風なテレスの言葉に、ヤシロが食って掛かる。
「いや……その。ああ、不明を詫びよう。私は割りと発育がいい方のようだ」
「うがあああああ」
「うわ、こらヤシロやめろ!」
バシャバシャと、テレスとヤシロが揉み合う音がする。
どうやら、テレスがヤシロに押し倒されたらしい。
「おのれ人狼種、馬鹿力め」
「どうしてこんなに発育が良いのか、直に触って確かめてあげます」
「くっ……貴様などには屈しない!」
凛々しい言葉の後、すぐにテレスが艶めかしい叫びを上げる。
なんだろう、やっぱりあいつら仲が良いんだな。
「そんなに……発育悪いかな」
ボソリ、とキョウが呟いている。
「おのれ……!」
「きゃっ!?」
仕返しとばかりにテレスが反撃を始めた。
魔力をまとったテレスがヤシロを抑えこみ、ジタバタと暴れている。
水しぶきがやばい。
「少し、熱くないですか?」
お湯に浸かっているキョウが、半分湯から上がりながらそう言った。
ああ、確かに熱いな。
茹で上がりそうだから、出来れば早めに出て行ってくれると助かる。
「姉さん、氷とか出せないんですか?」
「流石に無理だよ。騎士の中には氷魔術を使える人がいるみたいだけどね」
「ふむ……なら、私の風でかき混ぜて温度を下げるか」
ザバザバと、テレス達が湯から上がっていく。
これは不味い。
というか、温泉に魔術ぶち込むのってどうなんだよ。
「«旋風»」
グルグルと回転する風が、湯の中へ入っていく。
あっ、これは。
「んああああ!?」
湯が渦巻き、岩の裏側に隠れていた俺も一緒にグルグルと回る。
気分はさながら洗濯機の中の服だ。
まあ、そんなことになれば当然、テレス達に見つかるわけで。
「ウルグ様!?」
「ど、どうしてここに……」
湯に浸かっているのも限界だったので、俺はおもむろに湯から外へ出た。
「テレス! 湯の中に魔術をぶち込んじゃ駄目だろう!」
テレス達は固まっている。
「温泉には温泉の温度があるんだから、勝手に変えたら駄目だ。魔術をぶち込むなんて厳禁だぞ!」
その辺の浴場じゃないんだからな。
「それに、俺みたいに、中に入っている人がいたら危ないだろ!
全く、こんな風呂にいられるか!
俺は部屋に帰るぞ!」
これじゃ、落ち着いて風呂にも入れない。
反省するように言い聞かせ、更衣室の扉に手を掛けようとした所で。
「……先輩?」
がっしりと、キョウに肩を掴まれた。
メキメキと骨が軋んでいる。
「何か、いいたいことはありますか?」
「違うんだ、キョウ」
「何が?」
殺気がやばい。
これはもうどうしようもないな。
のぼせた頭ではいい言葉が思い浮かばず、思わず俺はこういった。
「発育、そんなに悪くないから気にすんなよ」
次の瞬間、俺は剣聖の一撃を越える拳を受けて気絶した。
―
死ぬかと思った。
事情を説明したら許してくれたから良かったものの、これが他の人だったら今頃通報されているに違いない。
目を合わせてくれないキョウに何度も謝って、ようやく機嫌を直してくれた。
他の三人はそんなに気にしていない風だった。
いや、気にしろよ。
山の幸に舌鼓を打ち、テレス達の部屋であれこれで雑談。
夜も深くなってきた所で、それぞれの部屋へと帰った。
しばらくベッドの上でゴロゴロし、夕方、まともに風呂に入れていなかったことを思い出す。
景色を見るとか、それどころじゃなかったからなぁ……。
「よし」
今度こそ、ちゃんと風呂に浸かるとしよう。
着替えを持って、部屋の外へ出る。
皆眠っているのか、もう音はしない。
「よし……」
裸になる前に誰もいないことを確認しておいた。
もし誰かが入ってくるようだったら、今度はちゃんと声を掛けよう。
服を脱ぎ、ガラガラと戸を開く。
と同時。
ガラガラと、全く同時に音がした。
「――――」
「――――」
裸のキョウと、鉢合わせた。
―
「…………」
「…………」
背中合わせで、キョウと一緒に風呂に入っている。
出ていこうと思ったが、キョウに引き止められたからだ。
これ、やっぱり風景を見ている余裕ないな。
「全く……先輩、タイミング悪すぎです」
しばらく沈黙が続いていたが、先に口を開いたのはキョウだった。
「いや、今のは不可抗力だろ……」
「そうですけど」
ゆらゆらと、湯が揺れている。
月の光が浴場を照らしており、それなりに明るい。
「まあ……ちょうど先輩に話したいことがあったから、いいです」
「話したいこと?」
「はい。将来の目標が、決まったんです」
そういえば、キョウが将来何をしたいのかは、聞いたことがなかった。
迷宮都市では、ただ強くなりたい、ということしか聞いていなかったからな。
「私は、最強を目指します」
「それは……キョウも剣聖を目指すってことか?」
いいえ、と首を振る気配がした。
「私の中の最強は、シスイ様です。
流心流の剣匠、私は、シスイ様の後を継ぎたい」
母親の代わりとなって、自分たちを育ててくれたシスイ。
彼女の後を継ぎたいと、キョウは言った。
「姉さんがどう思っているかは分かりませんが……姉さんを倒してでも、私は次のシスイになってみせます」
「そうか」
後輩が成長するのを見るっていうのは、嬉しい物なんだな。
前世では後輩にアドバイスしても、凄い嫌がられてたし、余計に。
「私が目標を持てたのは、先輩のお陰です」
「……俺?」
「はい。先へ先へと進もうとする先輩を見ると、私も頑張らなくちゃって、思うようになって。それに、私が折れずに剣を握っていられるのも、先輩のお陰ですから」
「……俺は、何もしてないよ。ここまで努力を続けて、しっかりとした目標を見つけたのは、キョウ自身の力なんだから」
やる気がなかったら、誰が何て言ったって、結局は長続きしない。
「先輩は、優しいですね」
「普通だよ」
「変態ですけど」
「う……」
そんな俺の反応に、くすくすとキョウが笑う。
「私が剣匠になったら……シスイ様は喜んでくれるでしょうか」
「自分が剣を教えた弟子がそれだけ強くなったら、そりゃ嬉しいと思うよ」
「ふふ、だといいです。そういえば、前に魔石のネックレスを渡した時も、大喜びしてくれました」
「ネックレス?」
「はい。持ち主のダメージを肩代わりしてくれる、かなりのレア物ですよ。滅多に市場に出ない、妖精種の秘薬の元になる魔石みたいです」
「そりゃ凄いな」
迷宮都市にも、王都にも、妖精種に関連する物は全然売ってないからな。
秘薬も、殆ど流通していないっていうし。
確かテレスが、お兄さんの怪我を治す為に秘薬を探してるって言ってたな。
「今度シスイ様にあったら、今の話をしてみます」
「ああ、聖剣祭でこっちに来るって言ってたな。その時は俺も挨拶しないと」
「シスイ様、先輩やヤシロさんのことも凄く気にしてましたよ」
「強くなった所を見せて、驚かせてやらないと」
あの人には、負けっぱなしだからな。
それからしばらくキョウと話し、温泉から上がった。
やっぱり、温泉はいい。
―
こうして、今回の温泉旅行は終わった。
「聖剣祭が終わったら、連休があるから、また五人で来たいですね」
「む……ウルグ様、ちゃんと二人で旅行しましょうね?」
学生トーナメントで、俺が一位になるから、そのお祝いに来ようぜ、なんて話をして、帰りの馬車へ乗り込む。
何だかんだあったが、楽しい旅行だった。
「シスイ様も誘って、六人で来るのはどうかな?」
「ふむ、シスイ殿か。是非一度、お話してみたいな」
聖剣祭が終わったら、シスイも合わせて六人で旅行する。
そんな計画を立てて、王都への帰路につく。
一つ、言えるのは。
それが実現することはなかった。
10/1も18時から、新作を投稿します。
嫌われ剣士共々、そちらも読んで頂ければ幸いです。
 




