第十六話 『バーカ』
学生試合、第四回戦。
ヴォルフガングと戦ったヤシロの、率直な感想は『巧い』だった。
ヤシロの長所はその小柄な体を活かした敏捷性。
敵を速度で撹乱し、連続で剣術を叩き込む。
それが基本的な彼女の戦い方だ。
ヴォルフガングとの戦いでも、ヤシロはその敏捷性を存分に発揮した。
フィールドの中を駆け回り、隙をついた連続攻撃。
「軽ィな」
しかし、ヴォルフガングはそれを凌いでみせた。
立ち位置を変え、体捌きで躱し、それでも迫る攻撃は大剣で弾く。
ヤシロの攻撃を受けてもびくともしない。
まるで巨大な鉄の塊を相手にしているかのようだ。
「くっ」
ヴォルフガングの外見、口調、そして獲物としている大剣から、人狼種の膂力に物を言わせた圧倒的な威力の攻撃で攻めてくると、ヤシロは予測していた。
ヴォルフガングの攻撃は確かに重い。
だが、予測していたような愚直な攻撃ではなかった。
彼の攻撃には『技』があったのだ。
「っ……はぁ、はぁ」
「どォォした? これで終わりか?」
ヤシロが息を切らすほどの攻撃を受けて、なおヴォルフガングは健在だった。
それどころか、その表情には余裕すら見える。
「意外って言いたげなツラァしてやがるな。俺ァ『牙の一族』だ。小せえ頃から、戦闘訓練くらい受けてんだよ」
聞いたことがある。
『牙流』という戦闘術が、『牙の一族』には伝わっていると。
「てめェは『影の一族』はロクな戦闘訓練も受けてねェのか? まァ、亜人山に引き篭もってる脆弱な連中の中じゃ強ェのかもしれねェが……俺様は天才だ。このままじゃァ、俺に一撃も当てられねェぜ?」
「……ッ」
ヴォルフガングの挑発にヤシロは乗らない。
突っ込んでいけば、あの大剣の餌食になるだけだ。
「それに、だ。てめェら影の一族は、名前の通りに影を使うんだろォ? だったら、どォして使わねェ」
「…………」
「あァァ、言わなくても分かるぜ。影なんて魔術を使えば、自分が人狼種ってことがバレちまうもんなァ」
ヴォルフガングの言葉は正しい。
ヤシロは耳と尻尾を隠し、人狼種であることをバレないようにしてきた。
最初から全てを曝け出している目の前の男とは違う。
「……それが、何だと言うんですか」
「お前はどういう意図であの黒髪と一緒に居るんだ?」
観客のざわめきによって、二人の会話は外には聞こえていない。
ヤシロは息を整え、ヴォルフガングを睨みつけた。
「貴方に何か関係がありますか?」
「ねェよ。気になるから聞いてるだけだ」
「……私があの方と、『影の盟い』を結んでいるからです」
ウルグとヤシロを繋ぐ絆。
その言葉に、ヴォルフガングは顔をしかめた。
「影の盟い……なァ。くだらねェ。お前、あの男に利用されたんじゃねェのか?」
「……なに?」
「昔ッから、お前らの一族は良いように使われてたんだろ? あの黒髪もお前を利用してんじゃね――ッ」
紫色の影が、ヴォルフガングの頬を掠めた。
皮膚が切れ、血が流れ出す。
「――ウルグ様を侮辱するな」
「ッ」
ヤシロの体から溢れだすのは、殺気だ。
ヴォルフガングですら一瞬気圧されるほどの殺気。
「……盟いってのを結ぶと、盲目的になるとも聞いたぜ」
「まだ、言うか」
睨まれても、ヴォルフガングは口を閉じない。
「本当に、利用されてねェって言えるのかよ。お前は見てきた筈だぜ。人間がどれだけ俺達を嫌ってるか、お前だって知ってるだろ? じゃあ、何であいつがそうじゃないって言い切れんだよ」
「…………」
ヴォルフガングの発言は、悪意の篭った挑発ではないということに、ヤシロは気付いた。
だが、彼の言葉は見当外れとしか言い様がない。
「俺ァあいつに興味がある。一年の模擬トーナメントで、俺に食い下がって来やがったからな。剣に一生懸命ってのは分かる。けど、人間ってのは他種族にはとことん残酷になれる生き物なんだぜ」
そう語るヴォルフガングの口調から、彼が人間に差別されて生きてきたということが伝わってくる。
「そんな帽子を被せて、他の女と一緒に侍らせてよォ。あいつは単に女と一緒に居てぇだけの奴なんじゃねェのか? 本当に仲間だと思ってんなら、そんな帽子を被せねえんじゃねえのかよ」
「ウルグ様はそんな人じゃありません。知った風に、語るな……!」
テレスも、メイも、キョウも、エステラも、皆ウルグを慕っているから一緒にいる。
ウルグだってそうだ。
それをこんな言われ方をするのは、我慢できなかった。
「そうかよ。……じゃァ、あいつの化けの皮、剥がしてやるよ」
次の瞬間。
「『我が牙は決して折れず』」
何かの詠唱。
そう思った瞬間、ヴォルフガングの気配が膨れ上がった。
全身の筋肉が青筋を浮かばせる程に膨れ、口内から覗く犬歯が鋭く伸びる。
「«狂獣化»……!」
話を聞いたことがある。
人狼種、それも『牙の一族』に伝わっているという亜人魔術。
肉体のリミッターを外し、狂った獣の如く力を発揮するという。
「ルァアアアアッ!!」
ヴォルフガングが、ヤシロへ向けて突っ込んできた。
右手で大剣を持ち上げ、軽々と振り下ろす。
斜め後ろへ飛び、回避するヤシロ。
「っ」
右手で大剣を振り下ろすと同時、ヴォルフガングは鋭く伸びた爪を横薙ぎに振っていた。
敏捷性で勝る筈のヤシロだが、不意を突かれて回避が遅れてしまう。
そして――、
「――あ」
人狼種の耳を覆い隠していた帽子が、爪によって引き裂かれた。
―
「なあ。ヤシロはさ、信頼出来る友達とか……出来たか?」
学園に来てから、もう一年以上が経過している。
王都に来た時、ウルグもヤシロも人狼種であることはバレない方がいい。
そう考えて、人狼種であることを隠し続けてきた。
けど、学園で過ごし、ヤシロにもミーナという友人が出来てから、ウルグは言った。
もしヤシロが人狼種を隠し続けることが心苦しいなら、他の人に教えても構わない、と。
誰に迷惑が掛かるとか、考えなくてもいい。
ヤシロがやりたいように、やればいい。
主は、そう言ってくれた。
けれど、結局人狼種であることは、テレス達以外には伝えなかった。
友達も出来て、ウルグにもそう言われたのに、正体を明かすことはしなかった。
「ウルグ様に、迷惑を掛けたくない」
人狼種であることを明かせば、ウルグ達に迷惑が掛かってしまうだろう。
それは嫌だった。
けれど。
それだけじゃない。
――怖かったからだ。
どうしても脳裏にちらつく。
嫌悪感を剥き出しにした人々の顔が。
穢らわしい人狼種と、罵る人々の顔が。
「ヤシロ……って言うんだね。私はミーナ・ミッテルト。よろしく」
ヤシロには友人が出来た。
ミーナや、彼女から繋がることが出来た寮の仲間達。
「ミーナさん。いま、ちょっと色々あって……その、私と仲良くしてると、ミーナさんにまで迷惑が掛かるかも……」
友人が出来てからしばらくして、ある事件から嫌がらせをされるようになった。
そのせいで、何人からの友達はヤシロを無視するようになってしまった。
「バーカ」
そんなヤシロに、ミーナはジトッとした目つきで言った。
「そんなことはどうでもいい。あと、ミーナでいいよ、ヤシロ」
「どうでもいいって……。ミーナさん、気にしないんですか」
「こら。ミーナでいいって」
「い、いひゃいでふ」
そんな中で、ミーナを始めとした数人は、ヤシロを無視しなかった。
ああ、これが友達なのか。
ミーナ達の存在が、凄く嬉しかった。
「ミーナ。……ふへへ」
「その笑い方、気持ち悪い」
「ええ……!?」
だからこそ、怖いのだ。
彼女達に、あの視線を向けられたら。
騙していたんだな、と蔑まれたら。
「私は……なんて臆病なのだろう」
ヤシロが思っていたより、根深かったのだ。
ウルグがテレスに抱きしめられても、レックスと友達になっても、完全に孤独から脱することが出来なかったように。
ヤシロもまた、『人狼種』という種族の檻に囚われていた。
―
「っ……」
帽子が宙を舞い、ヤシロの耳があらわになった。
遮るものは何もなく、観客はそれを目にする。
「え……?」
「おい……あれって」
ざわめきが伝播していく。
手で耳を隠すも、もう遅い。
「人狼種……!」
「あいつと同族ってことか!?」
観客達に、ヤシロの正体が知られてしまった。
この様子をウルグ達は見ているだろう。
ミーナ達だって、見ているだろう。
「……っ」
「あの黒髪がお前を利用しようとしていたのなら……これで分かる筈だぜ」
そういうヴォルフガングの表情は暗い。
ヤシロの正体を暴いてやった、そう誇るような表情ではなかった。
「……ッ!」
ヤシロは短剣を手に、ヴォルフガングに斬り掛かる。
だが、大剣による薙ぎによって、容易く吹き飛ばされてしまった。
地面を転がるヤシロ。
観客席から、聞こえてくるざわめき。
ウルグ達に迷惑は掛からないだろうか。
ミーナに、友人達に嫌われてしまったのではないだろうか。
不安に押し潰されそうになる。
「『影の一族』ッてのァ気に食わねえが……同族だ。あの黒髪に利用されてたとしたら、俺が面倒を見てやってもいい」
転がるヤシロに、ヴォルフガングが近づいて来る。
「……悪ィが、この勝負は俺が貰うぜ」
ヴォルフガングがヤシロへ大剣を突き付け、勝負を終えようとした時だった。
「――シロっ!」
観客席から、ざわめきに混ざって声がした。
それは必死に絞り出した叫び声。
ヤシロの耳は、それを捉えていた。
「ヤシロっ!」
それは一つではない。
顔を上げ、ヤシロは見た。
観客席から、必死に自分を呼ぶミーナ達の姿を。
「……あァ?」
ヴォルフガングが動きを止めて、ミーナ達を怪訝そうな目で見ていた。
必死にヤシロを叫ぶ声の中。
普段はあまり表情を浮かべないミーナが、膨れたような表情をしているのが見えた。
「私、知ってたよ」
――そんな程度で、貴方を嫌いになるわけない。
――バーカ。
そう、ミーナが叫ぶのが聞こえた。
「……ああ」
「ふへへ」と変な笑みが溢れるのが分かった。
ミーナに気持ち悪いと言われた笑みが、止まらない。
「……やっぱり私は臆病者で、とってもとっても馬鹿でした」
「――――」
ヴォルフガングは固まっていた。
どうして、と言いたげな表情だった。
「あ……」
観客席の中。
ただこちらを見る黒髪の少年の姿があった。
ただ優しい顔をして、ウルグは微笑んでいる。
拳を突き出しながら、小さく言葉を口にする。
――やってやれ。
「……はい!」
いつの間にか、ヤシロが立ち上がっている。
もう迷いはない。
「ヴォルフガングさんは、心配してくださったんですね」
「……!」
この少年からは、どこかウルグと同じ雰囲気がする。
悪い人じゃ、ないのだろう。
「ありがとうございます。
だけど、私は大丈夫です」
誇るように胸を張り、ヤシロは宣言した。
「私は人狼種であることが怖くて、帽子が外せなかっただけなんです。ウルグ様は、私に帽子を取ってもいいって、ずっと言ってくださってたんですよ」
「……そうかよ」
その時のヴォルフガングの表情は――いつかの、ウルグの表情に似ていた。
「……じゃァ、続きだ。とっととお前ェをぶっ飛ばして、準決勝に進んでやるよォ!!」
大剣を構え、ヴォルフガングが叫ぶ。
「――貴方は、強い人ですね」
「……っ」
一瞬、ヴォルフガングの表情が歪んだ。
そして、会話は途切れる。
「――行きます」
「――ッ!!」
ヤシロの体から、影が噴出した。
今まで出せなかった本気。
その気迫に、ヴォルフガングが戦慄した。
「――――」
ヤシロの体が掻き消えた。
影が残像を残し、試合場を漂う。
«狂獣化»したヴォルフガングですら、ヤシロの速度を目で追えない。
あらゆる方向から、ヴォルフガングへと攻撃が叩き込まれた。
「ッ、ゴアァ!?」
防ぎきれない斬撃がヴォルフガングを打ちのめす。
咆哮し、大剣を振り回すが、ヤシロには届かない。
「づ、ぁァ」
急所を避け、隙を伺うヴォルフガング。
ヤシロの攻撃は確かに速い。
(慣れさえすりゃァ、捉えられる!)
「――――ッ!」
気配を読み、ヴォルフガングが振り返るのと同時。
影を纏ったヤシロが背後にいた。
ヴォルフガングに向け、影で膨張した剣が振り下ろされる。
その気迫に息を呑み、咄嗟に大剣で防御態勢を取った。
「効かねェ……!」
間一髪。
ヴォルフガングはそれを受け止めた。
大剣と影がぶつかり合い、火花を散らす。
「軽ィんだよォ!」
影を纏っていても、«狂獣化»したヴォルフガングの力には届かない。
そのまま押し返そうとして、ヴォルフガングは目を見開いた。
「――あァ!?」
ヤシロが握った剣を離すのを、ヴォルフガングは見た。
懐から取り出される、もう一本の短剣。
それが影を纏う。
――こちらが本命だ。
「奥義――«影の太刀»」
残像を残し、かつてウルグをも倒した奥義がヴォルフガングへ叩き込まれた。
相手の不意を突く技術に加え、エレナとの修行で身につけた絶心流の重い一撃が、ヴォルフガングの脳を揺らす。
ガクン、とヴォルフガングの体が地に沈んで――、
「――俺ァ、天才だ」
――沈まなかった。
「なっ!?」
ギラギラと光る目をヤシロへ向け、その腕を掴む。
«狂獣化»によって強化された腕力に、ヤシロは太刀打ち出来なかった。
掴まれていない腕で攻撃するも、ヴォルフガングには通じない。
「だから負ける訳には、いかねェんだッッ!」
地面へと叩き付けられ、ヤシロの呼吸が止まる。
押さえつけられ、ヤシロは身動きすら取れない。
そしてそのまま、ヴォルフガングは無防備な喉元へ爪を突きつける。
「しょ……勝者――ヴォルフガング・ロボバレット!!」
その光景を見て、審判が判定を下した。
人狼種同士の戦いに、会場がざわめく。
――負けた。
敗北の事実に、地面で歯を食いしばるヤシロ。
その体が、グイッと引っ張り上げられた。
「あっ」
「お前ェ、ヤシロって言ったな」
ヴォルフガングが肩を掴み、立たせてくれたのだ。
ヤシロへ視線を向けないまま、ヴォルフガングは言いにくそうに言葉を続ける。
「『影の一族』だと、お前を甘く見ていた。『牙の一族』には遠く及ばねェ、弱い連中だ……って」
「…………」
「強えな、お前」
その目には、影の一族』への侮蔑の表情はなかった。
「それと。……お前ェの主人を馬鹿にして、悪かったな」
そう言って、ヴォルフガングはヤシロに背を向けた。
何も言わず、出口へと歩き去る。
試合場を去るヴォルフガングの表情は、試合結果に反して、暗いものだった。
―
こうしてヴォルフガングの準決勝進出が決まった。
それと同時に、レグルスも準決勝へ勝ち上がっている。
決勝戦まで、残り僅か。
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