第七話 『オレが基準だ』
あれから、ジークは上機嫌のまま去っていった。
残されたエレナも「アタシはもう知らん。ヤシロにキッチリ剣を教えるからな。ふん」とすねたまま、ジークを追って部屋を出て行ってしまった。
本当に賑やかな人達だな……。
翌日。
早朝、清々しい気分で俺は目を覚ました。
ジークからの稽古は、学園の授業が終わってから、夕方に付けてもらえる。
場所は王都の隅にある絶心流の道場だ。
「……《剣匠》ジーク、か」
この世界で最強の剣士と言えば、《剣聖》アルデバランだ。
しかし、アルデバランに比肩する剣士はいる。
それがシスイやジーク達《剣匠》だ。
最強クラスの人に指導して貰えるというのは、やはりワクワクする。
シスイの時は凄さが分かってなかったし、余裕がなかった。
だけど今なら彼女の凄さが分かる。
今回のジークとの鍛錬で、最強へ届くための技術を盗んでやろう。
「……ん、んん」
ぼんやりとした頭でそんなことを考え、布団の中で大きく伸びをした。
カーテンの隙間から朝日が差し込んでおり、目が眩む。
ゴシゴシと目を擦り、目を開けると、
「おはようございます、ウルグ様」
完全に気配を消したヤシロが、同じベッドの中で俺のことを見ていた。
「うおっ!?」
思わず絶叫し、俺はベッドから転げ落ちた。
夢か、夢なのか!?
そう思うも、打ち付けた腰の痛みは本物だ。
「流石ウルグ様。寝起きでもキレのある動きです」
「いやいやいや、なんでヤシロがここにいるんだよ!」
ここは男子寮だぞ。
なんで当然のようにいるんだよ。
「別にちょっと寝顔をみたいな、とか思って忍び込んだ訳じゃないですよ」
「…………」
突っ込みどころが多すぎて、寝起きの頭では言葉に出来ない
「……たく。取り敢えず、顔を洗いに行ってくる」
「では、お伴します」
「ああ。……っていや、おかしいだろ!」
なに当然のようについて来ようとしてるんだ。
アルナード領の一件以来、ヤシロもテレスも何かグイグイ来てる感がある。
それが何を意味しているのか……分からない、とは言わないが。
「他の寮生に見つかったら不味いだろ」
「私は大丈夫ですよ」
「俺が大丈夫じゃないんだよっ!」
女を連れ込んだ、なんて噂が流れば、問題になる。
外に出ないでくれ、とヤシロに頼み込んでいると、ふとヤシロが表情を緩めた。
「ウルグ様が、無事で良かったです」
「……心配してくれたのか」
「あたりまえじゃないですか、バカ」
俺が無事なことを確認すると、ヤシロは来た時と同じように窓から外へ出て貰った。
音もなく着地すると、サササッと一瞬で姿を消す。
ますます行動が暗殺者っぽくなってるな……。
「……とりあえず、顔を洗ってくるか」
―
一時間後、俺は学園のラウンジに来ていた。。
テレス、メイとキョウ達、いつものメンバーが既に集まっており、到着と同時に昨日のことについての説明を激しく求められた。
「……ということがあったんだ」
「ウルグが校内で斬り合いをしていると聞いた時、心臓が止まるかと思ったぞ。それも相手が《剣匠》だ。何がどうなったのか気になって、昨日は仕事が滞ってしまった」
「ええ、本当です。全く……先輩はどうしてこうも、厄介事ばっかり引き起こすんですか。反省してください」
「キョウちゃん、昨日はずーっとお兄さんのことが気になってソワソワしてたもんねー?」
「っ! ね、姉さんだって先輩のこと心配してたくせに!」
思った以上に、昨日のことは広まっているみたいだな。
……こいつらにも、心配を掛けてしまった。
自分のことになると、無頓着になるこの癖はどうにも治らないな。
「テレス、メイ、キョウ。それにヤシロも。心配してくれてありがとな。俺はこの通り、大丈夫だ」
礼をいうと、「仕方ないやつめ」と言いたげな視線を全員に向けられる。
ひとまず、ジークについての説明は出来た。
だが、
「先輩、稽古を付けてもらうと言っていますが、本当に大丈夫なんですか? いきなり斬り掛かって来る人ですよ? 「シスイ様も『ジークの奴は何をしでかすか分からん危ないやつだ』なんて言ってましたし、《剣匠》といえど危険な人かもしれません」
ジークに稽古を付けて貰うという話に、キョウが難色を示した。
確かに、俺の説明だけでは危ない奴に聞こえるな。
「突飛なことをする御仁という話ではあるが、流石にウルグを無意味に傷付けたりはしないだろう。……まぁ、私も一言文句を言ってやりたいがな」
「ああ、エレナ先生の師匠だっていうし、大丈夫だと思う。あの人以上に荒々しいから不安な所もあるけど、いい修行になると思うんだ」
テレスの言葉もあり、どうにかジークに稽古を付けてもらう事を納得させられた。
キョウには悪いが、俺はこの機会を逃すつもりはないからな。
ヤシロは特に反対も賛成もすることなく、話を聞いていた。
何か言われると思ったんだけどな。
「あ、ウルグ先輩! おはようございます!」
そんなことを話していると、何人かの女子生徒に挨拶された。
昨日の後輩達だ。
「あぁ、おはよう」
「昨日はありがとうございました!」
「いや、元はといえば俺が巻き込んじゃったからな。何か偉そうに指導するって集めちゃったけど、ロクに何も出来なくて悪かった」
「いえ! ウルグ先輩の戦ってる姿を見れて良かったです!」
「そうか? なら良いんだけど」
「はい! 良かったら、また手合わせお願いします!」
朝からテンション高いなぁ。
昨日のことについて軽くやり取りし、彼女達は去っていった。
「…………」
ふと視線を感じると、ヤシロ達四人が微妙な表情で俺を見ていた。
「な、なんだよ……」
「いえ、別に」
「知らない間に随分仲の良い後輩が出来たいみたいだな」
「…………」
「お兄さんは意外と節操なしですね」
その後、ただの後輩だと説明するのに、授業までの空き時間を使い切ってしまったのだった。
―
「にしてもお前、厄介な奴を呼び寄せるフェロモンでも放ってんじゃねえだろうな」
放課後。
ジークの元へ向かう途中、アルレイドとバッタリ会った。
「冗談じゃないですよ。というか、昨日エレナ先生を呼んでくるぐらいなら、間に入ってくれれば良かったんじゃないですか?」
まぁ、貴重な経験ではあったが。
ヤシロに危険が及ぶのかと、気が気じゃなかった。
「いやいや、あんな剣気まき散らしてる所に入っていけるかよ。
死人が出るぞ」
「…………」
「――俺だ」
かっこつけてんじゃねえよ。
「そういえば、ジークさんのこと知ってたんですか?」
「ん……ああ。まぁ、前に見たことがあってな。いやぁ、よくあんな化け物と打ち合えたな。俺だったら最初の一太刀で勝負が終わってたわ」
剣術の教師がそれでいいのか……。
まぁ、ジークと戦えっていうのも、無理な話ではあるのだが。
「んでウルグ、お前はそのジークに剣を習うんだって?」
「はい。これから指導して貰います」
「ったく、お前も節操ねえな。同じ《剣匠》のシスイ、それからエレナ先生、スイゲツ先生、んで俺に指導受けて、それからまたジークときた。俺はともかく、エレナ先生が教え子を奪われたって拗ねてたぜ?」
節操ない、か。
確かにそうだが、優れた者に教えを請うのは上達の近道だ。
色々な人間のノウハウを掴むことが出来るんだからな。
でも、エレナが拗ねているのは意外だ。
あの人はそういうことに頓着しない人だと思っていたが。
アルレイドは「愛されてるねえ……」とニヤケた笑みを浮かべると、
「ま、頑張れ若者」
ポンと肩を叩いて、アルレイドは去っていった。
本当に掴み所のない教師だ。
あの人、実際の所はどれくらい強いんだろうか。
それから、俺は学園を出て道場へ向かった。
―
絶心流。
流心流と並んで、この世界ではメジャーな流派だ。
各地に道場が点在しており、王都にも絶心流の道場は存在する。
ジークは各地の道場を見に行く、という名目で世界中をブラついており、王都にいることは珍しいんだとか。
道場に来ると、ジロジロと視線を向けられる。
想像通りだ。
「お前がウルグか?」
中へ入ろうとすると、剣を差した男に止められる。
「はい。ジークさんに用があって来ました」
「……着いて来い」
どうやら、俺のことはジークから聞いていたらしい。
男に案内され、道場の中を歩いて行く。
流心流道場に負けず劣らず、大きな所だ。
門下生も多くいる。
「来たか」
道場の奥、『絶心の間』。
連れて来られたそこに、ジークがいた。
「ほれ」
前置きもなしに、ジークが木刀を投げてくる。
「稽古の内容はシンプルだ。
それでオレと打ち合え」
唐突だが、ジークらしい。
打ち合う、か。
昨日のような感じで戦え、ということだろう。
俺が木刀を構えるのを見届けると、
「よし」
ふわぁ、とあくびをした後、ジークは言った。
「――始めだ」
次の瞬間には、俺はぶっ飛んでいた。
何をされたかも分からぬまま、道場の壁へと叩きつけられる。
「が、は……」
遅れて、痛みが腹に走る。
焼けるような痛みに、呼吸が出来ない。
「昨日は手を抜いた。だから今は、確実にお前を殺しに行った」
木刀は俺に当たってない。
俺を吹き飛ばしたのは魔力、そして剣圧。
「覚えとけ、ウルグ。これが《剣匠》とお前との力の差だ」
「……ッ」
「《剣聖》はこの上を行くぞ。これが見切れねえようじゃ、お話にならねぇ。さぁーウルグ、どうする?」
痛みを堪え、俺は立ち上がる。
どうするも何も、やることは決まってる。
「見切れるように、なるだけだ……!」
「おーけー。それで良い」
剣を交えて、観察して、盗む。
それだけだ。
「オレの剣をよぉーく見とくんだな、ウルグ」
俺はすぐさま、«鬼化»を発動する。
魔力を限界まで高め、意識を研ぎ澄ます。
「っ」
ジークの姿が掻き消える。
研ぎ澄まされた神経が、斜め右から迫っている木刀を感知し、直前で防御。
「ぐ、ぁ」
「反応が遅え」
防ぎきれずに吹き飛ばれされた。
剣を見るどころじゃない……!
姿を捉えることすら困難だ。
「オレは強え。ウルグ、てめぇなんかじゃ手も足もでねぇくらいにな」
ジークが動く度に、視界から消える。
一撃を防ぐだけで、全身が悲鳴をあげている。
«鬼化»して全ての能力が限界を超えているというのに、まるで追いつけない。
「いいか、手軽に上達することなんて、誰にも出来やしねえ。毎日毎日剣を振り、実戦して経験を積み重ねる。そうやって強くなってくもんだ。オレみたいな一部の天才を除いて……だけどな。だが、近道はある」
目の前に迫る、ジークの木刀。
反応しきれず、固まった俺の前で、木刀は動きを止めた。
「この速さに慣れろ。これが『当たり前』だと感じるようになれ」
ジークは言う。
「オレが基準だ。見えない剣速が、受け止めきれない威力が、普通だと思い込め。お前より強くて当然。それが凄いことだなんて思わずに、当たり前なんだと受け入れるのが、上達の近道だぜ」
圧倒される俺から、ジークは数歩離れる。
そして言った。
「おら、来いよ。基準以下じゃ、《剣聖》になんかなれないぜ?」
―
稽古が始まってから、何時間が経過しただろうか。
外はすっかり暗くなっていた。
「は、今日はこんなもんか」
魔道具で照らされた絶心の間の中、俺は汗だくになって地面に倒れこんでいた。
あれから、ひたすらにジークと戦い続けた。
いや、戦いじゃない。
一方的に、ボコボコにやられていただけだ。
「オレとてめぇの差が分かったか?」
「……はい」
「それでいい」
《剣匠》、強い、最高ランクの剣士。
そういった曖昧だった強さの評価から、もっと具体的な差を理解した。
分かりきっていたことだが、今の俺では逆立ちしてもジークには勝てない。
「てめぇは全然雑魚だ。はっはぁ、なぁにがオレに勝つだ。百年早ぇ。《剣匠》どころか、今のてめぇじゃ四段剣士にも勝てやしねえぜ?」
立つことすらままならない俺を、ジークが嘲笑う。
身の程をしれ、と。
ジークはそう言っているのだ。
「どうするよ、ウルグ。オレとてめぇの実力差は歴然だ。天と地がひっくり返っても埋まらねえ『差』って奴を思い知ったんじゃねえか? オレには勝てないと理解しただろ?」
「……はい。
俺に、貴方は倒せません」
ジークのいうことは正しい。
確かに、俺にジークは倒せない。
「――今は」
「っく、ははは! おもしれぇ」
俺の言葉がお気にめしたのか、ジークはゲラゲラと笑い、「飲め」と水筒を投げてきた。
寝転がったまま、それを受け取る。
「金にモノを言わせて、《剣匠》が直接指導しろ、と道場に入ってきた貴族は、オレと木刀を合わせて一時間もしない内に道場から出て行った。Aランクだか何だかで勘違いした冒険者は、オレに叩きのめされて剣を持たなくなった。どいつもこいつも、弱えのばっかだ」
ジークは自分の水を飲みながら、言葉を続ける。
「オレに負けねえとぶつかってきたのは、数人しかいねぇ。アルデバラン、シスイ、エレナ。どいつもこいつも、おもしれぇ連中だ。ウルグ、今のてめぇも面白え」
ジークは上機嫌だった。
「明日もまた来い。足腰立たねえようにしてやるから」
「それと」とジークは言葉を続けた。
「そこにいる女。いい加減、出てこいよ」
そう言って、ジークが絶心の間の外を見る。
すると、まるで影から這い出してくるかのように、一人の少女が姿を現した。
「な、ヤシロ!?」
「ほぉ、てめぇがヤシロか。お前の話も聞いてるぜ。ウルグと一緒に《喰蛇》と《鎧兎》を倒すのに協力したらしいじゃねえか」
ジークは驚いた風もなく、ニヤニヤと笑っている。
全く、気付かなかった。
ジークに修行を付けてもらえると高揚していたのもあるだろうが、完全な俺の注意不足だ。
「それで、何の用だ?」
「貴方がウルグ様に害をなさないか、それを確かめに来ました」
「ほう」
ヤシロは道場に入ってきて、ジークを睨む。
それに対して、ジークははっと笑みを漏らした。
「なるほどな。なんだウルグ、見かけによらず、てめぇ案外色男じゃねえか」
「な、ジークさん!?」
「昨日も確か、複数の女と一緒にいたしなぁ? 何人か、てめぇを見て完全にメスの顔してたし、はははは! おもしれぇ、おもしれぇ」
笑い出すジークに、俺とヤシロは顔を見合わせてポカンとする。
「安心しな。こいつに危害を加える気はねぇ。こういう生意気な奴は好きだからな。存分に可愛がってやるつもりだ」
最後の言葉に、ゾワッと鳥肌が立つ。
むっとするヤシロに、
「てめぇ、このガキが好きなんだろ?」
と更に追撃を加えやがった。
「ちょ!?」
「っ」
動揺する俺に、顔を赤くするヤシロ。
「だったら、お前も強くなるこったな。ただし、お前はエレナに修行を付けてもらえ。オレは飽き性だから、そう何人も一気に面倒見れねぇからな」
「…………」
「まぁ、女とイチャコラしてるのが気に食わないからでもあるんだが」
……そっちが本音じゃなかろうか。
「……勝手に忍び込んで、盗み見するような真似をして申し訳ありませんでした」
「最初から気付いてたし、気にしてねぇさ」
「それから……ウルグ様をよろしくお願いします」
「は、よろしくお願いされてやるよ」
ヤシロは呆れた風に敵意を消し、ジークに頭を下げた。
おどけたように、ジークはそれを受け入れる。
「じゃ、今日はお開きだ。あばよ、色男」
こうして、初日の稽古は終了した。
―
「……すいません」
学園への帰り道、ふらつく俺を支えながらヤシロが謝罪してきた。
黙って俺の後をつけてきたことについてだろう。
「まったく……びっくりしたぞ」
「……はい」
「でも、別に俺は怒ってない」
立ち止まり、ヤシロの頭を帽子の上からぽんと叩く。
「朝もそうだったけど、心配してくれてありがとな」
「……ウルグ様」
「俺って結構、視野が狭いからさ。それに結構無神経だし。だから、ヤシロみたいに面倒を見てくれると、凄く助かるし、凄く嬉しい。だから、怒ってなんかないよ。謝らないでくれ」
「っ!」
「うおっ」
感極まった、という表情でヤシロが俺に抱きついてきた。
動揺し、固まる俺にヤシロが顔を擦り付けてくる。
「なんか……もう、ずるいです、ウルグ様」
しばらくして、ゆっくりと顔を離すヤシロ。
赤い顔で、俺を睨んでいる。
「わ、わるい」
「……いいですよ。汗、いい匂いでしたし」
「なっ」
そんなやり取りをしながら、俺達は学園へと戻ったのだった。




