第九話 『――愛してるわ』
寝間着から動き易い服装に着替え、昼食のサンドイッチを持って家を出る。
目的地はあの森だ。
体を温める為に軽くジョギングを行う。修行を始めた当初は森に辿り着くのに三十分近く掛かっていたが、今は十分で到着する事が出来る様になった。«魔力武装»を使用すれば五分も掛からない。ウォーミングアップだから行きは«魔力武装»しないが。
森に到着した後、剣を取り出して素振りを始める。
振りかぶり、剣を下ろす。毎日やっているストレッチの効果か、生前では柔軟性のない固い剣だったのが、今ではしなやかに剣を下ろすことが出来様になって来ている。固い剣よりも、柔らかい剣の方が次の攻撃へと繋げやすい。
素振りの後はひたすらイメージトレーニングを行う。
まずはあれから何度も戦った《黒犬》に囲まれている状況を想定した。«魔力武装»を行えば触れられる事なく、十匹以上の《黒犬》を屠れる。
弱すぎる。
次は最後に戦ったテレスを想定する。もうあの時のテレスの動きは完全に見切っている。テレスに魔術を使わせず、剣を振る前に一太刀で倒すことが可能だ。
弱すぎる。
それから自分と同じレベルの相手を想定して剣を振る。お互いに剣をぶつけ合い、森の中を駆け巡る。幾度も剣を合わせるが決着が着かない。それもそうだろう。俺が考えた相手なのだから。
ストレッチ、ジョギング、素振りは欠かさず行っている。
実戦に関しては、時折森に発生した魔物と行っている。しかし既にこの森に発生する弱い魔物では十匹を越える群れであっても相手にならない。
イメージトレーニングも毎日行っているが、想像の中で戦うことが出来る相手が少なすぎる。魔物もテレスも修行にならないし、自分と戦っても決着が着かない。この村には他にイメージトレーニングが出来そうな相手が一人も居ない。
以前、魔物を一瞬で細切れにしたセシルは相当の実力者だと思う。彼女と手合わせが出来れば、かなりの修行になるだろう。だがセシルはまだ体調を崩しているし、もう体を動かすことは難しい。何度も色々な医者に診てもらっているが、未だにはっきりした原因は分かっていない。
筋力などの身体能力を鍛えるのであれば、まだやれる事はたくさんある。
だが、これ以上剣の腕を鍛える事は出来ないだろう。
テレスが森に来なくなってから二年が経過した。
俺はこの村での修業に、限界を感じていた。
―
「ウルグの体、ますます逞しくなってる。エロいなぁ、はぁはぁ」
「姉様……」
「腕とか凄い事になってるよ。うおー! 二の腕カッチカチ!」
夜に行なわれるセシルとの勉強会。
この世界にある剣術や武術について、魔術の種類について、亜人について、冒険者ギルドについて、迷宮について、魔獣について、有名な武器について、二つ名持ちの実力者について、この世界の詳しい歴史についてなど、最初は色々な事を教わっていた。それが今ではもうセシルも教えられる事がなくなり、勉強会とは名ばかりのセシルが俺にベタベタする時間になっている。
セシルは去年よりも細くなっていた。最初に見た時は健康的だった肌が、今では青白くなっている。食欲も無くなってきて、歩くことすらキツい様だ。家の中の短い距離ならば移動は出来るが、それすらかなりの体力を消費してしまう。寝ている時間もかなり増えて、俺と話せない日もあった。
何日か前にセシルの体を診た医者曰く、体内の魔力が暴走しているらしい。暴走した魔力がセシルの体を蝕み、その生命力を少しずつ削り取っている。激しい運動をしたり、魔術を使用したりすると暴走が激しくなり、より強くセシルの生命を奪い取ってしまう。
このような症状は過去に例がなく、医者も全く手が出せない。ただ安静にしているしか、対処法がないらしい。
「こしょこしょー!」
俺の全身をセシルが撫でていく。くすぐったくて逃げようとするが、片手で抱きしめられているため逃げられない。
今日は体調がいいらしいな。
「あぁ、ウルグの筋肉最高」
「……」
しかし、セシルの言葉じゃないが俺の体もかなり出来上がってきたな。まだ成長段階だから筋トレは殆ど行っていないが、それでもかなりの筋肉が身についている。体力も剣を全力で振りながら動きまわっても殆ど息が切れない程についた。
しかし、剣の腕は殆ど上達していない。これ以上、この村にいても剣の腕は上達しない。
「姉様」
「んーなぁに?」
体を弄る手を止め、セシルが首を傾ける。
俺は今の修行では剣の腕を鍛えるのに限界がある、どうしたらいいだろう、と話した。
「そっかぁ」とセシルが頷く。
「そうだよね。やっぱり戦う相手が居ない状況じゃ、強くなれないもんね。よし、ウルグ。あそこの箪笥に入ってる箱を持ってきて」
「?」
箪笥を開くと、中には細長い白い箱が入っていた。手に持ってみると、想像していたよりも重い。何が入っているんだ?
「開けてみて」
セシルに言われた通り、運んできた箱を開けてみる。
中には一振りの剣が仕舞われていた。
箱から取り出して、剣をよく見てみる。
手から伝わってくるこの重量は、間違いなく本物の剣だ。
刀身を覆っているのは黒い鞘だ。先端が金色に塗られているだけで、他には何の飾りもない。ゆっくりと鞘から剣を抜く。出てきたのは漆黒の刃だった。一切の光を放たない夜の闇を想起させる漆黒。剣身はそれ程太くなく、むしろ幅は狭い。しかし真っ直ぐに伸びたその刀身からは、近づいただけで斬れてしまうのではないかと思うほどの禍々しさが感じられる。
剣身からは何らかの魔力が感じ取れた。よく見れば、物に魔術を封じ込める為の«魔術刻印»が刻まれている。
柄は長く作られており、剣身と同じように黒一色だ。剣身と同じように魔術が組み込まれているようで、複雑な«魔術刻印»が刻まれていた。
鍔は鞘の先端と同じように、金色に塗られている。
今のおれには両手でようやく扱える位の大きさだ。柄の長さや、刃の狭さから見て、恐らくはバスタードソードと呼ばれるものだと思う。
«魔術刻印»が刻まれた道具を魔道具や魔装などと呼んだりする。剣に«魔術刻印»がある場合、その剣は『魔剣』と呼ばれる事になる。
魔剣は程度の低い«魔術刻印»が一つ刻まれているだけでも、その値段はただの剣の数倍になる。魔剣を初めて見た俺だが、それでもこの剣に刻まれている«魔術刻印»がかなり複雑な物だという事は分かる。それもこの剣には«魔術刻印»は複数ある。この剣に一体どれ程の価値があるのか、俺には分からない。
「姉様、これは……」
「こんな事もあろうかと、あらかじめ仕入れておきましたー!」
大きな胸を張ってドヤ顔をするセシルだが、この剣はそんなに簡単に言っていい物ではないだろう。下手すれば、この村中に大きな屋敷を幾つも建てることが出来るほどの価値がある。いや、きっとそれ以上の価値があるだろう。
驚いている俺の頭を撫でながら、セシルが言う。
「昔、色々と仕事をしていた時の伝手でね、ある武具屋から買ったのよ。その武具店の店主は私に色々と恩があってね、格安で売ってくれたの。まあ、ある程度の貯蓄はあったからそれでね。迷宮都市にある武具店なんだけど、数日前に送ってもらったのー」
「そんな簡単に手に入る物なんですか?」
「簡単っていうか……まあちょっとお願いして、ね」
片目を瞑り、いたずらっぽく笑うセシル。
お願いがちょっとどころじゃ無さそうな気がするが、そこには触れないでおこう。
「そろそろウルグにちゃんとした剣が必要になると思ったの。それでウルグに相応しい剣は何かと考えた結果、この魔剣になったのよ」
そう言って、セシルはこの剣について教えてくれた。
銘を『鳴哭』。
作られたのは数年前で、コントラ・ゼンファーという有名な鍛冶師によって打たれた剣らしい。
世界には何本か名剣と呼ばれる剣がある。コントラが打った『虎落笛』や他の鍛冶師が打った『死斬』『崩雷』『零艶鋸』『肉斬骨断』などが名剣と呼ばれている。セシル曰く、この剣も『虎落笛』や『死斬』などと並ぶ程の名剣らしい。
セシルが言っていることが本当かは分からないが、この剣が並みでは無いことは分かる。
「っごほ、ごほ」
剣の説明を終えてすぐに、セシルが咳をした。咳を抑えた手にはベッタリと赤い血が付着している。
気付けばセシルの顔は真っ青になっており、珠のような汗が額に浮かんでいる。
慌てて手ぬぐいと水を持ってくる。額の汗と手についた血を拭き取り、水を飲ませてやる。水を飲んだセシルが噎せた為、落ち着くまで背中を擦る。
「……ごめんね。もう大丈夫だよ」
「すいません、無理させちゃって」
今日はいつもよりも体調が良いように見えたから、無理をさせてしまった。
気を付けないといけない。
「ううん、気にしないで。こんなのどうってことないし、別に無理なんてしてないよ」
「……いえ。取り敢えず、今日はもう部屋に戻ります」
「――やっ」
そう言って離れようとした俺の腕を、セシルが掴んだ。
細く青白い腕には、殆ど力がなかった。
「姉様?」
「……ごめんなさい。あのね、ウルグ。お願いなんだけど、今日は私と一緒に寝てくれないかしら?」
「でも、体調が」
「お願い」
腕を握る弱々しい力と、青白い顔を見て、俺は断る事が出来なかった。
体を起こしているセシルをベッドに寝かせ、剣を箱に仕舞う。
それから部屋の明かりを消して、セシルのベッドに潜った。
中に入ると、セシルが抱きついてくる。長い髪から、ふんわりと甘い匂いが漂ってくる。
会話は無かった。ただ、時折咳をするセシルの背中を擦る。
しばらくして咳が治まった。その頃には目蓋が重くなってきていて、セシルの背中に手を伸ばしたまま意識が遠のいていく。
完全に目を閉じる寸前、セシルは俺の顔を見ていた。
その時の表情は何故か、今にも泣きそうな女の子のように見えた。
―
頭を撫でる感覚で目が覚めた。目を開くと、セシルが俺の頭を撫でていた。
カーテンの隙間から眩しい光が差し込んでいる。外はだいぶ明るい。どうやらかなり遅くまで眠ってしまっていたようだ。セシルに抱きしめられながら寝たのは、正直心地良かった。
「おはよう、ウルグ」
「おはようございます。体調はどうですか?」
「うん、ウルグのお陰でかなり楽になったよ」
セシルの顔色は青白い。だが、昨日の夜よりは幾分マシに見えた。
体内の魔力の暴走。一体、どうやったら治す事が出来るのだろう。セシルが苦しんでいるのに、何も出来ないのは嫌だ。
「もうお昼になっちゃったわね。今日は修行に行くの? 行くんだったら、『鳴哭』の使い心地を試して欲しいな」
「そうですね……。取り敢えずご飯を食べて、二時間くらい休憩した後に修行しに行きたいと思います。その間はお話してても大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫よ。今日は調子が良いから、夜もお話出来ると思うわ」
ベッドから降りて、俺は一旦朝食兼昼食を食べに部屋を出た。リビングで本を読んでいたドッセルに睨まれたが、無視して昨日の内に作っておいたサンドイッチを持って自分の部屋に行く。
寝間着から動き易い服に着替えた後、サンドイッチを頬張る。
昼に食べるのは殆どがサンドウィッチだ。飽きてきたし、そろそろ米が食べたい。前世ではそこまで米が好きだったという訳ではないが、何年も食べていないと恋しくなってくる。他にもフライドポテトだとかラーメンだとかポテトチップスだとか、その辺の体に悪い料理も食べたいな。フライドポテトとポテトチップスは作ろうと思えば作れるだろうから、今度作ってセシルにも食べさせてやろう。
サンドウイッチを食べ終えてから、俺はセシルの部屋に戻る。
それから二時間の間、セシルと会話したり、むにむにされたり、全身を弄られたりした。
二時間後、俺は『鳴哭』を箱に入れた状態で森へ運んだ。流石にそのまんま持っていくのは目立つだろうし、本物の武器を持ってるのが見つかったら面倒な事になるだろう。
箱を頭の上に乗っけて、えっちらおっちらと走る。途中でテレスを虐めていた三人のガキを見掛けたが、相変わらず外で遊び回っていた。絡まれると面倒なので、走る速度をあげて見つかる前に通りすぎた。
「よし」
森の中に到着した。
誰にも見られていないことを確認して、俺は箱から『鳴哭』を取り出す。
漆黒のバスタードソード。
鞘から刀身を抜き、正眼で剣を構えてみる。いつも使っているボロっちい片手剣よりも当然ながら重い。だが自然と手に馴染む。初めての感覚だ。剣は出来るだけ軽い方が扱いやすいなんて思っていたが、その考えを改めなければならない。この剣は非常に丁度いい重さだ。
柄が長いことで、«魔力武装»を使えば、『鳴哭』は両手でも片手でも扱うことが出来そうだ。
雑種剣と言うだけあって、この剣の刃は斬る事も突く事も可能だ。しかし、それ故に片手剣とは使い勝手が違う。重心の位置が独特な場所にあるからだ。十全に使いこなせるようになるには、しばらく時間がかかりそうだ。
「それで、«魔術刻印»はっと」
『鳴哭』に刻まれた«魔術刻印»は幾つかある。
一つ目は«無壊»。
どんなに剣を酷使したとしても、壊れることの無いという効果を持つ«魔術刻印»だ。土属性魔術に属する«魔術刻印»で、剣に刻まれる物としてはオーソドックスらしい。それでも«無壊»が付けられているだけでも剣の値段は跳ね上がる。
二つ目は«魔纏»。
柄を通して『鳴哭』に魔力を流すことで、斬撃や刺突と威力を上昇させるという効果がある。これもオーソドックスな無属性魔術の«魔術刻印»のようだ。
三つ目は«絶離»。
これは前の二つとは違い、かなり珍しい«魔術刻印»だ。《四英雄物語》で英雄が使っていたという位しか、この«魔術刻印»の過去の使い手が分からない。
この刻印は«無壊»と同じように魔力を流さなくとも常時発動しているタイプだ。この«魔術刻印»が刻まれている武器は斬った対象の魔力を消滅させる事が出来る。これは説明を聞いてもよく分からなかったのだが、簡単に言うと普通に斬るよりも魔物も魔術も斬りやすくなるらしい。魔術も魔物も魔力で構成されているため、魔力を消滅させる«絶離»は非常に効果的に働く。無属性魔術の«魔術刻印»だ。
『鳴哭』を両手で握り、素振りを行う。
増えた重量、長くなった刀身、片手剣と違う重心。
いつもと違う剣に、思うように素振りが出来ない。
何度も何度も振り下ろし、どうやって振ればより良い一振りに出来るかを考えていく。
振り下ろす。違う、こうじゃない。振り下ろす。違う、遅すぎる。振り下ろす、違う、振り下ろす、違う、振り下ろす振り下ろす振り下ろす。
何百と振り下ろすことで少しずつ、キレのある一振りが出来るようになってくる。
少しずつ『鳴哭』が上手く扱えるようになって来ていることが実感できて、俺は思わず口元が緩む。自分が上達してきていると分かるのはやはり楽しい。
それから俺は、日が暮れるまで剣を振り続けた。
―
ドッセル達に見つからないように『鳴哭』を自分の部屋に持ち帰った後、俺は風呂に入った。
«水石»で水を浴槽に満たしてから、«火石»で温めて湯を作る。
この家には当たり前のように風呂が存在しているが、風呂がない家も多いらしい。«魔石»はそれなりの値段がするそうなので、貧乏な人には風呂の分の«魔石»を用意するのがキツいんだとか。この村にも家に風呂がなく、お湯で濡らしたタオルで体を拭くだけの人もいる。そう考えると、このアルナード家はそれなりに裕福だ。ドッセルが冒険者だった時の蓄えとか、まあ色々とお金はあるらしいからな。
「やっぱ風呂はいいなぁ」
浴槽に浸かって息を吐く。汗の流した後の風呂は最高だ。今日は新しい剣にはしゃいでしまって、いつもよりも汗をかいたからな。
汗を洗い流し、この世界での石鹸代わりであるペプチの実をすり潰した物で頭を洗い、それから体も洗う。前世で嗅いだどの果実とも違う、不思議な甘酸っぱい匂いだ。
風呂を出た後は自室でストレッチをして、次は夕食だ。
今はドッセルやアリネアと一緒に食卓を囲む事はないが、セシルが何か言ってくれたのかアリネアはちゃんと俺の分の夕食を作ってくれる。今日はパンとシチューとサラダだった。
最初にサラダを全部食べてから、パンをシチューに浸して食べる。
味は悪くないのだが、やはり和食が恋しい。まあ夕食を作って貰えているだけありがたいので、文句は言えないけどな。
風呂から出た後は、いつもの様に勉強会とは名ばかりの雑談をしにセシルの部屋へ行く。
セシルの部屋に入ると、いつもの様に「いらっしゃーい」と出迎えられる。
だが、今日は何かいつもと雰囲気が違って見えた。どう違っているのかは分からない。気のせいだろうか?
「『鳴哭』はどうだった?」
「ちょうどいい重さで、凄く振りやすかったです。«魔術刻印»に関しては«魔纏»しか試せなかったけど、一振り一振りの威力が格段にあがって良かったです。いい剣をありがとうございます、姉様!」
「ひゃー、ウルグに礼を言われちゃった! ウルグ! もっと言って!」
「最高です、姉様!」
「胸に飛び込んでおいで!」
「あ、それはいいです」
「…………」
「…………」
「この!」
セシルが執拗に伸ばしてくる手を躱しながら、『鳴哭』の使い心地を思い出す。
こんな軽いやり取りをしているが、セシルがくれた剣は本当に良い物だ。。まだ完全には使いこなせていないが、少しずつ扱い方が分かるようになってきている。一ヶ月もしない内に使いこなせるようになるだろう。
明日は素振りを重点的に行いつつ、«魔纏»を調整するために打ち込みも行おう。《黒犬》が湧いていれば、«絶離»の使い勝手も試してみようかな。
「捕まえた!」
と、明日からの修行メニューを考えていると、セシルに捕まってしまった。か細い手で俺を引き寄せ、自分の膝の上に乗せる。
「ふふ、ウルグげっちゅー」
俺の顔を覗き込んで、セシルが微笑む。ドッセルやアリネアには見せない、俺だけに見せる蕩けそうな表情。それが何故か、今日は悲しそうに見えた。
「……」
何となくセシルの頭に手を伸ばし、頭を撫でる。
しばらく散髪していないせいで腰の辺りまで伸びた、サファイアを思わせるような深い青色の髪は、サラサラとしていて気持ちが良い。撫でていると果実の用に甘く良い匂いが漂ってくる。
頭を撫でられて驚いたのか、セシルは目を見開く。それから何かを堪えるように目を細めた。
「……姉様、どうかした?」
「ん……うーうん。何でもないの。うひひーウルグに頭撫でられてるー! もっと撫でてー」
「……」
しばらくの間、お互いに何も言わない時間が続いた。ただ黙ってセシルの頭を撫で続ける。
ゆっくりとセシルの頭から手を離す。セシルは名残惜しそうな表情をし、それを隠すように俺の頭を撫で始める。
次いで、頭を撫でられる。
「ウルグ」
「……なんですか?」
ゆっくりと離れ、俺の目を見ながらセシルは言った。
「強くて、優しい子になってね」
「……姉様?」
急に、どうしたんだ?
「私みたいにならないで。……強くて、優しくて……綺麗な子になって」
セシルのようにならないでって……。何を言ってるんだ。
「姉様より、強くて優しくて綺麗な人なんて、俺は知りません」
「ううん。そんなことないわ」
首を振って、セシルは言葉を続けた。
「ずーっと長生きして欲しい。大きくなって、学園でいろんなことを学んで。本当は嫌だけど、彼女とか作って、結婚して、子供を作って、孫が生まれて。そんな……平和で幸せな人生を歩んで欲しいの」
「……ねえ、さま?」
「この先、ウルグの外見に何か言ってくる人がいるかもしれない。外見だけでウルグを決めつけて、悪者にしてくる人がいるかもしれない。……だけど、そんなの気にしないで。ウルグは、貴方の思うようにやればいいわ。自分が正しいと思うことをやりなさい」
「…………」
「たくさん嫌なことがあって、たくさん辛いことがあって、たくさん悲しいことがあるかもしれない。でも、挫けないで。諦めないで」
「そんな、別れの台詞みたいなことを言わないでください」
……縁起でも、ない。
「別れるなんて嫌よ。私はずっーとウルグとイチャイチャしてたいもの」
「…………」
「……ウルグがどうにもならなくなったら、お姉ちゃんが助けてあげる。大丈夫よ。ウルグならきっと、たくさんの人に認めてもらえるようになるわ」
そう言い切ると、セシルはいたずらをするように舌を出した。
「なーんて、ちょっと真面目なこと言ってみました! 姉っぽい? 姉っぽい?」
茶化すようにそう言うと、セシルが抱きついてきた。
胸元に押し付けられる。息が、苦しい。
……セシルは、どういう意図であんなことを言ったのだろう。
本当に、別れの言葉のような。
それから遅くまで、いつものようにセシルに体のあちこちを弄られた。
いつもより、手つきが激しい。
「姉様、そろそろ寝ましょうか」
「えー! やだやだやだやだ!」
「子供ですか」
俺を抱きしめたまま寝返りを打つな。目が回ってくる。
「むにむにー」
「脇腹つままないでください」
「……さっ」
「ちょ、変な所を触らないでください!!」
どこ触ってんだ!
……いつにもまして、めちゃくちゃやってくるな。
「もう……。これ以上は、お体に障りますよ」
「むぅ……」
セシルを落ち着かせ、ちゃんとベッドに寝かせる。
それから、以前から考えてきたことを話した。
「姉様。俺、この村を出たら、姉様の病気を治せる薬を探してきます」
「……っ」
「前に、本で読みました。亜人……えと、妖精種には、どんな病気や怪我でも治す薬があるって。この薬なら、姉様の病気も治せると思います。だから……っ!?」
急に頭を抱きかかえられたと思うと、唇に柔らかいモノが当たった。
柔らかくて、弾力があって、温かい物。
セシルに唇を押し付けられていた。
「! !? ちょ」
慌てて飛び退いた。勢い余ってベッドから転げ落ちてしまう。
頭をぶつけた。痛い。
「い、いい、いきなり、何するんですか!」
「……ありがとう、ウルグ」
泣きそうな表情で、セシルは笑った。
「だけど、ごめんね。これはね、病気なんかじゃないの。病気よりもっと悪い、『呪い』のような物でね、多分『妖精種の秘薬』でも治すことはできないのよ」
「呪、い……?」
「うん……。多分、これはどうすることもできない。あの日から、分かっていたことよ」
「でも、姉様!」
起き上がって、思わず叫ぶ。
そんなことを言われて、諦められるわけがない。
呪い……? だったら、呪いを解ける魔術か何かを探しに行けばいい。
この世界には魔術があるんだ。呪いを解ける魔術だって、きっとあるはずだ。
だから――。
「でも。ウルグがそう言ってくれて、とっても嬉しかった。もう……死んでもいいくらいに」
そんなこと、言わないでくれ……。
「もう、覚悟はできたわ」
セシルに、抱き寄せられた。
「ぁ……」
静かにセシルが言った。
「――【終焉の先へ歩む勇気を】」
人語と、知らない言葉が重なって聞こえた気がした。
何を言ったのか、分からない。魔術の詠唱か……?
「ん」
「……っ」
また、キスをされた。今度は、唇ではなく、額に。
「……っ」
キスをされた額が、ジンジンと熱を発し始めた。
何だ、これ……。
セシルはいったい、何をした?
「――――」
そして、俺はセシルの顔をみて言葉を失った。
その時みたセシルは、泣いていた。
サファイアのような綺麗な色の双眸から、透明な雫が頬を伝って落ちていた。
「ウルグ」
額が熱い。先ほどよりも熱くなっている。
まるで長湯し過ぎてのぼせたように、意識が朦朧としてきた。
目の前にいるはずのセシルの輪郭がぼやけてくる。
視界の熱に意識を奪われていく。
何も、見えなくなった。
最後に、セシルの声が聞こえた。
「――愛してるわ」
次話で一章終了です。