川上菜穂美②
前日まで雪が降っていたとは思えないような強い太陽の光が、電車の中に差し込んでくる。
雲一つない快晴だった。
窓から見える風景にも、積もっていた雪の姿はほとんど見えない。
菜穂美は都心行きの急行列車に乗っていた。
座席の背後から太陽の光が降り注ぎ、眠気を誘う。
結局昨日は午前五時まで今日の準備をしており、ほとんど寝れず仕舞いだった。
菜穂美は眠い目を擦りながら、必死に頭を働かせようとする。
電車を降りたらすぐに本番なのだ。
(会ったらまずは挨拶。丁寧に、それでいて堅苦しくなりすぎないように)
入念にリハーサルを行う。
よし、大丈夫。頭はちゃんと動いている。
菜穂美は自分の心臓がバクバクいっているのを聞かないふりして、必死に冷静さを保っていた。
やがて、急行列車は目的地までやってきた。
鼓動はますます高鳴ってくる。
電車を降りた菜穂美は人ごみをかき分け、速足で改札口を抜けた。
駅を出てすぐにある映画の立て看板の下が、待ち合わせとして決められた場所だ。
駅前は行き交う人々で混雑していた。
すれ違う人の話し声が耳に反響して、菜穂美を落ち着かなくさせる。
TAKA_302はグレーのダッフルコートとジーンズを履いてくると言っていた。
映画の立て看板の下を見るが、人ごみに隠れて、ここからではよく見えない。
(もう少し近づいてみようかな……)
菜穂美は先ほどまでとはうって変わり、慎重な足取りで立て看板へと近づいた。
(いた……)
グレーのダッフルコートとジーンズを履いた男性が、腕組みをして周りを見回していた。
細身でパーマをかけたようなボサボサの頭をしている。
寒いのか、緊張しているのか、表情は少し硬い。
(どうしよう。どうしよう……)
菜穂美は頭が真っ白になり、その場で立ち尽くした。
先ほどまでのリハーサルは完全に頭から消えていた。
しかし、こうしてもいられない。
意を決した菜穂美は足早に男へ近づいて行った。
「タカさん?」
呼ばれた男はびっくりしたように振り返った。
そして菜穂美の顔を見ると、笑顔を作って見せた。
「ナミさん、かな?」
合ってた。この人がTAKA_302。
今まで以上に鼓動が高鳴り、心臓が痛いくらいになる。
どうしようどうしよう。
「はーい、やっほー」
気がつけば、旧知の親友に会った時のようにフランクな挨拶を返し、両手を振っていた。
男は一瞬複雑な表情になったが、すぐに表情を笑顔に戻した。
「良かった、人が多いから会えないかもと心配してたんだ」
「こんな地味な格好だからでしょ!」
「あ、もうちょっと変わった格好してこれば良かったね。ごめん」
男は頭を下げる。
菜穂美は自分の言動に驚きを隠せない。
(ちょっと、なんでそんなに偉そうにしてるの。もっと丁寧に話さなきゃ……)
「ま、会えたんだしいいわ。それより他のメンバーはまだ来てないの?」
(ちがーう! もっとお淑やかに……。)
「うん、夢ではあと二人来るはずなんだけどな……」
「え、やっぱり今日も予知夢見たの?」
「うん、あんまり覚えてないけど、とりあえず人数だけは起きてすぐメモっといた」
「じゃあ、あと二人来れば正夢成立ね」
「うん、どうなるかな?」
頭の中は混乱しきっていたが、外見的にはごく普通に会話が成立していた。
しかし、男の顔を見て話すことはできず、前を通り過ぎて行く人々を眺めながら話をするので精一杯だ。
その時、すぐ近くで別の男の声が聞こえてきた。
「貴史? こんなところで何やってんだ?」
チラリと横目で見ると、その男は自分の隣にいる男に話しかけていた。
話しかけられた男は急に焦ったように身体を奇妙に動かし始めた。
「聡! あっ……」
「もしかしてタカさんって貴史だったのか?」
男は黙って頷いた。どうやら2人は知り合いのようだ。
「貴史、この人は?」
菜穂美の方を見ながら男が問いかける。
「ナミさんだよ……」
「ど、どーも」
ぎこちなく、新たに現れた男に挨拶する。
男は長身でスラリとしており、ロングコートがよく似合う体型をしている。
短髪で清潔感があり、いかにも社会人という風貌だった。
男はこちらに向き直るとお辞儀した。
「サトーです。ていうか貴史の高校の同級生で向井聡と言います」
丁寧な挨拶にしどろもどろとなってしまい、ぎこちなくお辞儀を返す。
「タカさん、これも夢で分かってたんじゃないの?」
貴史に八つ当たりするかのように強い口調で尋ねていた。
「うん、見てた。忘れてたけど。今思い出した……」
「おいおい、じゃあ予知夢見てたのって貴史だったのかよ」
聡は驚いたように言った。
「ああ、今日のオフ会も夢で見たんだ」
「すげえな! で、あと二人待ってればいいのかな?」
「いや、あと一人だけだ。女の子が来るはず」
貴史はポケットから紙きれを取り出した。覗き込むとそこには「男1女2」と走り書きされていた。
「じゃああと1人はマスターさんか。マスターさんどんな女の人だった?」
「さあ、そこまでは覚えてないな」
貴史は自信なさげに答える。
「でも、もうそろそろ十分くらい経ってるよね? 少し遅刻するのかな?」
菜穂美は男性二人に落ち着かなくなってきていた。
こんな長時間男性と一緒にいるのは初めてのことだ。
キョロキョロ辺りを見回す。
もう1人女性がいるだけでも今の状況よりは大分マシな気がする。
すると、菜穂美のすぐ横でこちらを見ている女の子と目が合った。
女子高生くらいの年齢だろうか。髪が長めで大人しそうな雰囲気をしている。
少し離れているところを見ると、他の待ち合わせだろうか……。
菜穂美は視線を外し、また周りを確認する。
視線が一巡して戻ってくると、まだその女の子は自分の方を見ていた。
(何だろ、この子? もしかしてこの子が……?)
菜穂美は反対側にいる貴史を肘で小突いて振り向かせた。
気付いた貴史は、その女の子へと近づいていった。
「えっと……、WINKコミュニティの人?」
女の子は無言で頷いた。
「マスターさん?」
貴史の問いに、女の子は首を振る。
「えっ、じゃあ……」
「パパポポ……。」
女の子はボソリと呟いた。