谷口貴史③
買い物を済ませ家に帰った貴史は、まださっきの出来事を引きずっていた。
車に轢かれかけたことよりも、昔の友人とまともに顔を合わせられない今の自分の状況が堪えていた。
(ああ、情けない。情けなさすぎてもう生きていけない……)
かといって死ぬ勇気など到底なかった。
何もできずに、ただダラダラと人生を送っていく他ない。
ソファ代わりにベッドに腰掛け、買ってきたばかりの缶ビールを開ける。
酔ってしまおう。酔えば忘れられる。
我ながら安易な考えだが、それしか方法がなかった。
炭酸が弾けながら口の中、そして喉を通過していく。
(美味しいなあ、このままずっと酔い潰れていたい……。)
しかし、とても楽しく酔える状況ではなかった。
ビールの苦みが罪悪感を掻き立てる。
貴史の思惑とは異なり、一段と気分は落ち込んできていた。
このままでは悪酔いしてしまいそうだ。
この苦しみには到底一人で対抗できそうになかった。
三百五十ミリリットルの缶ビールを飲み干した貴史は、二本目のプルタブを開けた。
そして、テーブルの上に置いてあるノート型のPCを起動させる。
インターネットブラウザを開き、ブックマークの一番上をクリックする。
画面には『WINK』と書かれたサイトが表示された。
WINKは現在流行しているSNSサイトだ。
貴史にとっては唯一、社会と繋がっている場所であった。
一日に最低一回は訪れ、コミュニティのチャットに顔を出すのが日課となっている。
貴史は素早くキーボードを叩いた。
TAKA_302:誰かいる~?
NAMI_1212:いるよ! タカさん今日早いじゃん
PapaPopo:タカ近寄んな! 死ね!
貴史はTAKA_302というハンドルネームを使用している。
即座に返事を返してきた二人はここではお馴染みのメンバーである。
コミュニティにはこの他に2人が登録しているのだが、今はいないようだった。
TAKA_302:まあね。ナミは今何してんの?
NAMI_1212:大学のレポートだよ。量多すぎてめんどい……
PapaPopo:ナミウザい! 黙って勉強してろ!
TAKA_302:そうか、ナミ大変だね。パパはいつも元気そうだね……。
NAMI_1212:やれやれ、いつも荒らして何が楽しいのやら……
NAMI_1212は自称女子大生。都内の大学に通っているらしい。
書き込みからは気が強そうな印象を受けるが、貴史にとっては最も話しやすいメンバーだ。
PapaPopoはコミュニティに入ってからというものの、誰かれ構わず攻撃をするという荒らし行為を続けている。
どんな時間であっても誰かが書き込むと、すぐに反応して攻撃する変わり者だった。
正体は当然のこと、何も分からない。
最初の頃は本気でやり合うこともあったが、最近ではみんな呆れるか、スルーするかの対応を取り、ある意味、このコミュニティのマスコット的な位置付けになっている。
NAMI_1212:ところでタカさん、なんか元気がないみたいだけど?
TAKA_302:うん、ちょっとね……。
PapaPopo:タカ元気ないのか! そのまま逝け!
NAMI_1212は感が鋭いところがあり、本心を突かれることが多い。
どこかに感情を読み取れるような書き込みしただろうか、と貴史はいつも不思議に思う。
NAMI_1212:仕事で何かあったの?
TAKA_302:うん、そんなとこだね。
PapaPopo:タカ脂肪! 過労で死亡!
このコミュニティでは貴史は社会人ということになっているのだ。
勘の鋭いNAMI_1212に感付かれる前に慌てて別の話題を探す。
TAKA_302:それよりさ、正夢って見たことある?
NAMI_1212:まさゆめ? 夢で見たことが現実になるってやつ?
PapaPopo:見た見た正夢! ナミがウザかった!
TAKA_302:そうそう。俺今日見ちゃったんだ。
NAMI_1212:すごーい! どんな夢だったの?
PapaPopo:すごーい! ナミのリアクションウザーい!
TAKA_302:高校の同級生に会う夢、それから
TAKA_302:車に轢かれそうになる夢。
NAMI_1212:2つも見たの?
TAKA_302:いや、夢でも現実でも同時に起こった。
PapaPopo:えー! そのまま轢かれなかったのー!
NAMI_1212:全く同じことが起こったんだ!
貴史は同級生におどおどしていたところや、尿意が限界だったところなんかは上手く端折って説明した。
NAMI_1212はこの話題に食いついたようだった。
NAMI_1212:私は見たことないなぁ。面白そうだから一回見てみたい!
PapaPopo:寝てろ! 一生寝てろ!
TAKA_302:自由に見れたらいいよな~。
NAMI_1212:タカさんはまた見られそうな気がする!
TAKA_302:なんで?
PapaPopo:寝てばっかりだからだろ!
NAMI_1212:うーん、なんとなくなんだけど……また見たら教えて!
TAKA_302:分かった。見られること期待しとくよ。
少し気分を持ち直した貴史はその後、何気ない雑談を楽しみ、ログアウトした。
(正夢、か……)
実際には夢自体はっきり覚えていたわけではなく、自分で言ったことも半信半疑だった。しかし、NAMI_1212に言われると、なんとなくまた正夢が見られそうな気がしていた。
ちらりと窓の外に目をやると、雪が降り始めていた。
「うわぁ、雪か……」
細かい粉雪がアスファルトに落ちては消えていた。
雪を見ただけで貴史はぶるっと一回身震いをし、エアコンの設定温度を上げるのだった。