向井聡④
午前九時。
聡は自宅のPCの前で座っていた。
いつもの出勤時間はとっくに過ぎている。
会社には風邪で休むと伝えておいた。
もちろん仮病である。
朝から松山に怒鳴られる羽目になったが、そんな事よりも今日休みが決まったことで心は平穏だった。
今日休んだのは他でもない、@7を購入に行く為だ。
会社をズル休みするほどに、聡は今日の予知夢に賭けているのだ。
今は菜穂美からの予知夢メッセージを待ちわびているところだ。
結果がどうなるのか、ソワソワして落ち着かない。
聡はコーヒーを少し飲んでは机に置き、少し飲んでは机に置きを繰り返していた。
いつも通りであれば、もうそろそろメッセージが届く頃だ。
九時半を過ぎた頃、WINKに菜穂美がログイン。
その直後メッセージが届いた。
聡は慌ててメッセージを開く。
NAMI_1212からのメッセージ
今日の予知夢「@7が当たってWINKチャットで喜んでいる夢。当選番号は8439651。」
やったー! 成功みたいね!
「よっしゃあー!」
メッセージを見た瞬間、聡は誰もいない部屋で雄たけびを上げていた。
(上手くいった! やったんだ!)
聡は喜び勇んで、早速出かける準備を始めた。
自転車をこいで駅前に向かう。
一月の冷たい風が頬に当たって痛いが、今の聡には苦にならず、全速力で風を切って走る。
駅前は通学や通勤の人々が一段落して、朝早くから買い物に来たと思われる主婦がまばらに歩いていた。
聡は駅横にあるスーパーに自転車を停めた。
スーパーの横に併設された小さな小屋、そこが宝くじ売り場となっている。
何度もスーパーに来たことはあったが、この宝くじ売り場に顔を出すのは初めてだ。
聡はそっと中を覗き込んだ。
小屋には中年の女性が座り、俯いて何かを読んでいた。
聡は思い切って声をかけた。
「すいません、@7買いたいんだけど」
中年女性は、顔を上げてじっと聡の顔を覗き込んだ。
お客さんが少ないのだろうか。まるで変人を見つけたように物珍し気な表情だ。
「あー、はいはい@7ね。じゃあこの用紙に好きな数字を記入して」
中年の女性は客であることを確認すると、今度は一転して面倒臭そうな表情で説明を始めた。
そして少し乱暴な動作で、聡にマークシートを手渡す。
聡は携帯電話を開き、もう一度WINKのメッセージを確認した。
(8439651だな)
暗唱した通りの数字をマークシートに塗り潰していく。
ばっちりだ。聡はもう一度数字を見直し、一人頷いた。
「おばちゃん、これでお願い」
「はい、じゃあ三百円ね」
マークシートと三百円を支払い、購入番号の書かれた抽選券を受け取る。
そして上機嫌のまま、後ろを振り向いた。
「うわっ!」
「ぎゃぁ!」
すぐ後ろに菜穂美が並んでいた。
後ろに並んでいたにも関わらず、菜穂美も聡に気付いていなかったようだ。
「あー、買いに来たんだ?」
「うん……、もう買ったんだ?」
「うん、今買ったとこ」
オフ会と違い、不意打ちで出会ってしまうと、何を話していいのか分からない。
菜穂美もそれは同じようで困った顔をしている。
「貴史のお陰で大金持ちになれるな」
「そ、そうだね……」
「……」
「……」
「そ、それじゃ」
「う、うん……」
微妙なやり取りを終え、菜穂美と別れると、聡は自転車で家路に向かった。
「当選金額一千万! 百万じゃなかったのかよ……」
家に帰って来た聡は、@7の抽選時間をインターネットで調べていた。
すると@7のウェブサイトにはデカデカと金色の文字で「最高一千万円」と書かれていたのだ。
(思っていたよりもこりゃ、大変なことになるな……)
聡の月給の五年半分の額である。
事の重大さにマウスを持つ手からじんわり汗が滲み出た。
「えっと、今週分の締め切りが一時までで、二時に抽選か」
その十分後には結果がウェブサイトで発表されると書いてあった。
つまり、それまでは……暇だ。
「どうするかなー……」
平日のこの時間に家にいることなど、ここ三年間は一度もなかった気がする。
その為、この自由な時間をどう使ったら良いのか見当がつかない。
聡はWINK以外に趣味など何も持ち合わせていなかった。
とりあえず、ベッドに大の字になって寝転がってみる。
いつもは低く感じる天井が、今日はやけに高く見えた。
(俺はこの先、どうしたらいいんだろうな……)
何もすることがないと、ついつい余計なことを考えてしまう。
あと二年アルバイトとして働いて、そのまま正社員になって、死ぬまで今の職場で働き続ける。
今になって考えてみると、そんなこと到底無理なことに思える。
かといって他に自分に何があるというのだろうか。
(貴史ならどうするかな?)
ふと、そんなことを考えた。
ベッドから起き上がった聡は、起動させたままのPCを操作してWINKにログインした。
貴史はログインしていないようだった。
SATO_00:誰かいますか?
PapaPopo:うっさい! 急に来るな!
友香から素早い書き込みが返ってきた。
SATO_00:パパさんだけですか。
PapaPopo:悪いか! このヤロー!
SATO_00:これから俺はどうしたらいいんでしょうかね?
PapaPopo:知るかボケ! 考えすぎて寝込んでろ!
何故か友香からの心ない返事に安心感を覚える。自然と笑みがこぼれていた。
SATO_00:今の仕事続けていくべきでしょうか?
PapaPopo:辞めたきゃ辞めればいいだろ! ホームレスして死ね!
SATO_00:この時期ホームレスは厳しいですね。
PapaPopo:サトーにはお似合いだ! 寒さで凍えてろ!
SATO_00:パパさんはやっぱり厳しいですね。今楽しいですか?
PapaPopo:人に話振るんじゃねーよ! 頭爆発するまで一人で考えろ!
SATO_00:そうですよね。自分のことですもんね。
PapaPopo:自分の事は自分で考える、猿にでもできるわ!
SATO_00:そうですね、自分でもうちょっと考えてみます。ありがとう。
PapaPopo:もう来んなよ! バカサトー!
奇妙なチャットはそこで途切れた。
アドバイスや慰めなど一切なく、ただ罵倒されていただけだった。
それでも聡はいつも通りの友香に少し感謝した。