向井聡③
「おーい、向井!この前の取材記事もうできたか?」
出社早々、上司の松山から声をかけられる。
「はい、出来ています」
急ぎ足で松山のデスクに、プリントアウトした記事を持っていく。
松山は記事を受け取り、イライラしているかのように激しく貧乏ゆすりをしながら目を通し始めた。
松山のデスクの前で、縮こまって様子を窺う。
それはまるで死刑宣告を待つ者の気分であった。
「なんだこの記事は! 小学生の作文じゃねえんだぞ、すぐやり直せ!」
突如、松山の怒号が響いた。
やっぱりだ。
このように怒鳴られるのは日常茶飯事のことだった。
一通り怒られ、とぼとぼとデスクに戻った聡は、PCに向かう。
キーボードを打とうとするが、手が震えて上手く打てない。
「向井がまたヤク決めちゃってますよ!」
隣の席にいる新井がその様子を見て、大声で周りに言いふらした。
オフィス内は大爆笑に包まれた。
(くそ! くそくそくそ!)
手の震えは一向に収まらなかった。
周りの声をなるべく聞かないように、原稿に集中する。
しかし、頭の中は皆の大爆笑がいつまでも響いていた。
原稿の直しが終わった時には、既に昼休みは終わっていた。
(今日も昼飯抜きか……)
松山に記事を受け取ってもらえた聡は、一息つき、コーヒーを口にした。
「ねえ、ちょっといい?」
そんな聡にお局社員の山崎が声をかけてくる。嫌な予感しかしない。
「なんでしょうか……?」
「下山のカフェなんだけど、代わりに取材行ってきてもらえない?」
「え、その地区は俺の担当じゃないですよね?」
「関係ないでしょ! 社員は忙しいのよ!」
口答えされたのが頭にきたのか、山崎はヒステリックに叫んだ。
いつも優雅にお茶して喋っているのはバレバレなのだが。
「分かりました。締め切りはいつですか?」
「明後日よ。だからサボってないで急いで行ってらっしゃい」
理不尽な山崎の言い分にも、聡は頷くしかなかった。
「すいません、取材のお願いしていた北川出版の向井と申しますが」
下山のカフェ「ルミール」にやって来た聡は、店員にそう告げた。
「ああ、お伺いしています。少々お待ちください」
最近できたばかりらしいこの店は、外の光が差し込む明るい店内となっており、お洒落な調度品や小物が壁やテーブルなど至るところに飾られていた。
カウンターのショーケースには美味しそうなケーキが並んでいる。
「お待たせしました。店長の河合と申します」
そう言って店の奥からやって来たのは、ピッチリとしたスーツを着こなした中年の女性だった。
挨拶を済ませるとカフェ内の一つの席に案内される。
「早速ですが、このお店の一番の売りを教えてもらえますか?」
「当店では、手作りのショートケーキが一番人気でして……」
インタビューが終わった後、店の写真をいくつか撮り、店を後にした。
店を出たのは午後五時を過ぎた頃だった。
これから、オフィスに戻って取材した記事を上げなくてはならない。
オフィスに戻ることは苦痛以外の何物でもなかった。
(このまま、帰りたいな……)
オフィスとは逆方向の電車に乗れば、すぐ家に帰れる。
しかし、そのような事が出来るはずもなかった。
生真面目な性格の聡にはサボることができないのだ。
携帯電話を取り出した聡は、WINKにログインした。
メッセージが一件届いていた。
NAMI_1212からのメッセージ
今日の予知夢「テレビで難病の子が頑張っている姿を見て感動する。泣いた。夜の番組だった。」
(明日の@7さえ当たれば、こんな会社辞めてもいいかもな……)
そんな考えが頭をよぎる。
七年経った今でも、聡は貴史に助けを求めていた。
聡が帰宅したのは、二十三時を過ぎた頃だった。
スーツからパジャマに着替えた聡は、カップラーメンにお湯を注ぎ、デスクトップPCの電源を入れる。
PCが立ち上がると同時にインターネットブラウザを開き、WINKにログイン。
今日はメンバー全員が揃っているようであった。
SATO_00:こんばんはー
TAKA_302:こんばんは~。
NAMI_1212:ヤッホー、サトーさん
PapaPopo:サトー! バカヤロー!
MASTER_Q:おかえり、サトーさん。
みんなの挨拶に心が安らぐ。
ラーメンを啜りながら、画面を見つめる。
NAMI_1212:サトーさん、ごめんね。しょーもないメッセージ送って
TAKA_302:しょーもないって……。
PapaPopo:ナミくだらないメッセージ送ってくんな! カス!
SATO_00:確かに今日のはしょーもなかったですね(笑)
MASTER_Q:まあこういう日もあるさ。
TAKA_302:でも本当に感動したぜ。みんな見た?
SATO_00:私は今帰って来たところなので見てませんね。
NAMI_1212:見たけど、よくあるドキュメンタリーじゃない。
TAKA_302:そうかもしれないけど、俺もがんばらなきゃって思ったよ。
PapaPopo:タカはもっと頑張れ! てか働け!
MASTER_Q:うん、あれはいいドキュメンタリー番組でしたな。
SATO_00:そうでしたか、見たかったですね。
SATO_00:それはそうと、いよいよ明日が本番ですね。
TAKA_302:そうだな、今夜が勝負だ。
NAMI_1212:ちゃんと安眠できるようにしときなさいよ。
PapaPopo:願わくばタカがそのまま起きませんように……
MASTER_Q:パパさん、君だって当たる大チャンスかもしれないんだよ。
SATO_00:そうですよ、パパさんも応援してあげてください
PapaPopo:やなこった! やなこった!
NAMI_1212:でもなんかドキドキするよね!
TAKA_302:遠足前じゃないんだから……。
MASTER_Q:前日が一番楽しいものかもしれませんな。
確かにMASTER_Qの言う通りかもしれない。
聡は、自分が思っている以上に気分が高揚しているのを感じていた。
結局、みんなの期待と不安が入り混じる書き込みは一時まで続いた。
聡はその晩、ドキドキしてなかなか寝付けなかったのだった。