向井聡①
「うう……。寒いなあ」
手に息を吹きかけて温めようとするが、ほとんど効果はない。
日の出前でまだ辺りは薄暗く、聡がいる駅のホームにはまだ煌々と明かりが灯されている。平日ならばこの時間帯でも通勤通学の人がいるのだが、休日の早朝はほとんど人が見当たらない。
人がいないことで、余計に寒さが増しているような気がする。
そして、こんな朝早くから休日出勤しなければならない自分の惨めさも際立って感じていた。
聡は地域のフリーペーパーを発行している出版会社で働いている。
正社員ではなく、アルバイトとしてであるが。
大学卒業までに就職先が見つからず、途方に暮れていた時に見つけた仕事だった。
五年後までやっていけたら正社員にさせてやると言われたのが三年前。
聡はその言葉を信じ、現在まで仕事を続けている。
しかしアルバイトといえども、この会社は容赦なかった。
毎日、朝九時に出社し、帰るのはほぼ二十三時以降。
ある意味では正社員以上にこき使われる身分だった。
ギリギリ生活できる程度の安月給で、毎日夜中まで働かされる生活に、聡は完全に参っていた。
仕事に行って、帰ったら寝るだけの、何も楽しみがない生活。
そんな時、偶然WINKというSNSサイトを見つけた。
そこには、気軽に話すことのできる仲間がいた。
今ではチャットしている時間が聡にとって、唯一心休まる時間となっていた。
身体が完全に冷え切った頃、ようやく電車がやってきた。
電車の中もホーム同様、ガラガラに空いていた。
オールナイトで遊んできたと思われる若者が、人目を憚らず大きく座席を使って寝転がっている。
聡は若者の向かいに座ると、携帯電話を取り出し、WINKにログインした。
まだ朝早いため、誰もログインしていない。
昨日のチャットのログを開く。
オフ会について四人で話し合い、その合間に友香がいつものようにメンバーに噛みついている。
(今日は午後一時に駅前集合か)
それまでにはなんとか終わるだろう。その為にこんなにも朝早くから出勤しているのだ。
いや、絶対に終わらせる!
聡は午後からの楽しみを糧に会社へと向かった。
聡が集合場所に着いた時には、前回の面子が全員揃っていた。
「こんにちは、マスターさんは?」
「よう、聡。メッセージ見てないのか。今日もマスターさん来られないって」
貴史が代表して答えた。
「今まで仕事だったんだ。そっか、来られないのか」
MASTER_Qも仕事が忙しい人なのだろうか。それとも何か来られない事情があるのだろうか。
「メッセージ見てないってことは、今日の夢も知らないのね?」
菜穂美はそう言って、怪しげな笑みを浮かべる。
「あ、うん。見てないけど……。何かあったのか?」
「いや、うん……。聡は今日余計なこと喋るな」
貴史はどことなく、ソワソワしていた。
「あれ?予知夢回避しちゃっていいのー?」
「ぐっ……。」
どうやら、今日の夢は聡絡みの内容のようだ。
携帯電話を取り出し、WINKにログインしてみる。
メッセージが二件入っていた。
MASTER_Qからのメッセージ
今日も用事で行けなくなってしまった。申し訳ない。楽しいオフ会になることを祈っているよ。
NAMI_1212からのメッセージ
今日の予知夢「オフ会で聡に恥ずかしい事を言われ、真っ赤になる。オフ会に来るのは前回と同じ4人。ファミレスで話している。」
恥ずかしい話楽しみ!
「貴史の恥ずかしい事ってなんだ?」
貴史は首を振る。覚えていないようだ。
貴史の恥ずかしいことなど心当たりがない。高校の頃の話だろうか。
「とりあえず、移動しましょう……」
今まで存在感のなかった友香が急にボソボソと喋った。
「ああ……。そうだな」
PapaPopoのキャラクターとはまた違った、友香の不思議なキャラクターに戸惑いつつ、聡は返事を返した。
一同は貴史の夢にあったファミレスを探して歩き始めた。
都内でも最大規模のこの街は、飲食店も数多く、チェーン展開しているファミレスはいくらでもあった。
「いっぱいあるけど、どの店がいいのかな?」
菜穂美が周りを見回しながら言う。
「うーん、なるべく静かなところがいいよね」
「確かに。騒がしいところでする話じゃないな」
ファミレスはあちこちにあるのだが、日曜日の昼過ぎでは空いている店は意外と少ない。一同は、街の中心から少し外れ、一回目のオフ会をしたカフェの辺りまで足を伸ばした。
「やっぱりこっちの方が少し空いてるみたいね」
菜穂美が人通りを見渡して言う。
「そうだね、ファミレスは……、あった!」
貴史が指差したのは、少し古ぼけたレストランだった。
「てっきりどこかのチェーン店かと思ってたけど、あそこでいいのかな?」
「まぁ、見つけたってことはあそこで合ってるんでしょ、きっと」
菜穂美が投げやり気味に答える。
一同は正解かどうか分からないまま、古ぼけたレストランへと足を運んだ。
店内は、外見よりも小奇麗になっており、暗めの照明で落ち着いた雰囲気のする店だった。
客もそれほど多くなく、話をするにはちょうど良さそうな場所だ。
「ここだ……」
店員に案内され席に着いた貴史は呟いた。
「正解だったみたいね」
「場所まで最初から分かってると便利なのにな」
集合してから店に入るまで30分以上かかっていた。
足が少し突っ張っている。
「そんな便利にできてないんだよ」
そう言って貴史はため息をつく。
店員に各々注文し、注文の品が一通り運ばれてきたところで、聡は本題を切り出した。
「貴史の夢の活用法なんだけどさ、一つ思いついたんだ」
「えっ、どんなこと?」
何故か全員が身を乗り出し、顔を寄せてくる。
「貴史の予知夢、金儲けに使えないかな?」
皆の姿勢につられて、声を潜ませるように話していた。
まるでヒソヒソ話の状態である。
「どうやるの?」
菜穂美が尋ねる。
「@7って知ってるか?七つの数字を当てるクジ。あれの抽選日が毎週火曜日なんだ」
他のメンバーの顔にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
「つまり、火曜日に貴史がクジを購入すれば、その日のうちに正解が分かるだろ?予知夢で当たり番号を見ておけば百発百中じゃないか」
「ええっと、予知夢でクジの当たり番号を確認して、その当たり番号で@7を買うってこと?」
「うん、まあそうだな」
「ということは、貴史はクジが当たっている予知夢を見るの?」
どうなんだろう?
そこまでは考えていなかった。
@7の当たりを予知夢で確認して、その当たり番号を@7で購入し、当選する。
それを予知夢で見る?
「なんか訳が分からなくなるな……」
「まあ、やってみる価値はあるかもしれないね。上手くいけば僕以外にも全員が当たる訳だし」
貴史はそう言って頷いた。
「でも、やってみるって言ってもそれを夢で見るかどうかは分からないんじゃないの?」
「そこなんだよ、それが俺も引っかかってた。貴史の予知夢ってどういう基準で見るものなんだろうな」
「翌日起こる事ってことは確かなんだけど……」
「何か悪いことが起きるのを予知してるとか?」
「いや、前回のオフ会はそんな悪い夢でもなかっただろ?」
一同は考え込んだ。するとそれまで俯いていた友香が声を発した。
「貴史さんが、一日のうちで……最も印象に残りそうな出来事……とかでは?」
「えー、そんなことってあり得る?」
菜穂美が反論した。
「だって、ラーメンこぼしたとか、足をテーブルでぶつけたとかでしょ。それが一日で一番インパクトあるって、どんだけつまらない生活送ってるわけ?」
「ああ、つまらない生活だよ……」
貴史はふてくされて言った。
「でも、実際に友香の言う通りかもしれない。痛いとか熱いとか大きな感情が働いた時の事が予知夢で出てきてるような気がする」
「それなら、@7が当たったら必ず予知夢で見ることになるはずだよな」
「そうなるね。それ以上のインパクトある出来事が起こらない限り」
「じゃあ、今週の火曜日早速試してみましょ」
菜穂美の言葉に全員が頷いた。
「それから、ちょっと予知夢の特徴を整理しときたいんだけど」
そう言いながら、菜穂美はトートバッグから、ノートと筆箱を取り出した。
そして、全員で今までの予知夢を振り返って話し合い、確実な特徴、ありそうな特徴をノートに書き出す。
「ひとまず、今分かっているのはこのくらいね」
ノートには次のようにまとめられていた。
○確実なこと
・翌日の夢を見る
・本人の身の回りで起こることが予知夢になる
・本人は実際に事が起こるまで予知夢を思い出せない
・本人以外が予知夢を聞き取りすることは可能
・本人や周りの人間が関われない大きな出来事(天候や地震災害)は回避できない
・予知夢を回避しようとすると、同程度かそれ以上の似たようなことが起きる
・予知夢を回避した場合、本人は夢を思い出すことができない
○不確定だが、ありそうなこと
・翌日のもっともインパクトのある出来事が予知夢になる
・夢を見ない日はない
「こうやって見ると少しずつだけど、色んなことが分かってきたね」
貴史は感心したように言う。
「そうね。でもこんな夢見るあんたが最大のミステリーだわ」
菜穂美が呆れ顔でそれに答える。
少し貴史を馬鹿にしすぎじゃないだろうか。
聡は少しむっとした。
「菜穂美、あんまり貴史をバカにするなよ。貴史は俺の恩人なんだからな」
「ええー! 貴史そんなキャラだったの?」
「違うよ! 聡それ以上言うなよ」
いつの間にか貴史の顔は真っ赤に染まっていた。
ふと、予知夢の内容が蘇る。
「もしかして、このことが貴史の恥ずかしいことだったのか?」
「そうみたい」
「夢思い出したから……。もう止めて、本当に……」
(でも、本当に貴史は俺のヒーローだったんだぜ……)
高校時代、聡は今よりも背が低く、使いパシリに使われていた。
いつも先生の目を盗んで校舎を抜け出しては、クラスメイトの買い物に走っていた。
ある日、運悪く買い物に出ているところを生徒指導の先生に見つかってしまったことがあった。
聡が必死に逃げていると、突然、生徒指導の先生の前に貴史が飛び出してきた。
「あのう、すいません。ジュース買いに外に出ちゃいました」
結局、貴史がこっぴどく怒られている間に聡は逃げ延びることができたのだった。
貴史は別のクラスの同級生で、そこまで目立った存在ではなかったが、それ以来貴史は聡にとってのヒーローになった。
いつも面倒そうにしている姿が、聡にはニヒルでとても格好良く映っていた。
それから七年後の現在、聡にとって今も変わらず貴史はヒーローだった。
予知夢という凄い能力を手に入れたこともそうだが、ニートをしていることも、今の自分の状況を考えると意外と賢い選択なのではないかとも思えるのだ。
「とにかく……」
菜穂美の声に聡は我に返った。
「火曜日は@7でお金儲けができるかチャレンジ。それから、このメモみんなにも配るから他に何かできそうなこと思いついたら、またみんなで相談しましょう」
「了解! 今回は@7で丸儲けミッションだ」
「なんだよ、その変なネーミング」
「いいんじゃないでしょうか……」
「え、このネーミングでいいの?」
急に話し出した友香に驚いたように菜穂美が聞き返す。
「それはどうでもいいですが……、計画はそれで良いかと……」
「あ、そっちのことか」
「そういえば友香、ネットの中でのことなんだけどさ」
聡は誰もが気になっているであろうことを切り出した。
「今後は普通に話すようにしない?」
「それは……無理です……」
友香はか細い声で即答した。きっぱりと断られてしまった。
しばらく沈黙が流れる。
「それにしても、これ美味いよな!」
場を取り持つように貴史が話し始めた。
そして、友香の話はなかったかのように別の話題へとシフトしていった。