川上菜穂美⑤
その夜、WINKのチャットにログインしたのは午後二十三時を回った頃だった。
NAMI_1212:タカさん、今朝の予知夢覚えてる?
PapaPopo:タカはおバカだから覚えてないよ!
TAKA_302:さっきテーブルで足打って思い出した。
TAKA_302:ていうか、教えてくれる約束だったよね?
NAMI_1212:サトーからもメール来た?
PapaPopo:タカザマーミロ! 教えるか!
TAKA_302:うん、ちょうどその前に。
NAMI_1212:タカさんとサトーさんにはワザとメッセージ送らなかったんだ
NAMI_1212:予知夢が当たってるか試したかったから
PapaPopo:ナミショーワル! ナミショーワル!
誰も言ってはいなかったが、WINK上ではハンドルネームのままで呼び合うことが暗黙の了解となっていた。
恐らくPapaPopoの影響だろう。
TAKA_302:そうだったのか。でも明日からは教えてくれよ。
NAMI_1212:それはどうしようかなー、ふふふ
MASTER_Q:ということは今日も予知夢は完全に当たったということですな。
NAMI_1212:そうですね
MASTER_Q:そして、昨日の計画は上手くいったということだ。
TAKA_302:まあ、そうなるかな。
菜穂美は昨晩、疲れて早めに寝てしまったが、他のメンバーがMASTER_Qにオフ会の報告をしていたようだ。
PapaPopo:マスターお留守番! カワイソウ!
MASTER_Q:はは、私も行きたかったな。
NAMI_1212:どうせまた近いうちに会うことになると思いますよ?
TAKA_302:え? そうなの?
PapaPopo:聞いてないぞ! コルア!
NAMI_1212:予知夢が本当だってことは昨日のことと今日のことでほぼ証明されたでしょ?
MASTER_Q:そうですな。
NAMI_1212:ということは、やっぱり有効活用法はしっかり会って話し合いたいよねー
MASTER_Q:なるほど。
TAKA_302:そんなものなのか? まあ別にいいけどさ。
PapaPopo:はんたーい! オフ会はんたーい!
予知夢のこともあるが、菜穂美はそれ以上に、普通に会話ができるこのメンバーともう一度会って話したかったのだ。
―SATO_00さんが入室しました―
SATO_00:ただいま。
NAMI_1212:サトーさんおかえりー
PapaPopo:勝手に入ってきてんじゃねえぞ! バカヤロー!
TAKA_302:おかえり~。
MASTER_Q:ようこそ、サトーさん。
SATO_00:パパさん、やっぱりキャラそのままいくつもりなんですね(笑)
NAMI_1212:サトーさん、今日メッセージ送らなくてごめんね
PapaPopo:なんだとサトー! コノヤロー!(怒)
SATO_00:何かあったんですか?
NAMI_1212:今日の予知夢、サトーさんのメール絡みだったの
SATO_00:えっ、夕方に送ったメール?
TAKA_302:そう、それでナミは僕とサトーに黙ってたんだ。
SATO_00:そうだったんですか。ということは今日も予知夢は当たりなんですね。
PapaPopo:ナミ悪党! ナミ悪魔!
MASTER_Q:どうやらそのようですね。
NAMI_1212:でも実際、タカさん以外に何の役にも立たない予知夢よね
TAKA_302:自分でも情けない夢だと思う。
SATO_00:まあいいじゃないですか、とりあえずは観察続けましょうよ。
PapaPopo:タカモルモット! タカ実験台!
MASTER_Q:それが良さそうですな。利用法はおいおい考えていけばいい。
NAMI_1212:その時はまたオフ会するからね、サトーさん!
SATO_00:はい、喜んで。
その後も雑談は続き、午前一時近くになってようやくチャットはお開きとなった。
翌朝、またもや菜穂美は携帯を握りしめたまま、考え込んでいた。
(昨日は大丈夫だったんだし、今日もちょっとかけて、すぐ内容だけ聞き出せばいいんだから)
思っていることとは裏腹に、携帯を持ってから十分が経過していた。
時刻はもうすぐ九時半になる。
勇気を振り絞り、発信ボタンを押しこむ。
プルルルルル プルルルルル プルルルルル……
「はい……もしもし?」
昨日と同じく寝ぼけた声の貴史が電話に出る。
その声で幾分リラックスする。これなら大丈夫そうだ。
「菜穂美だけど、今日の夢教えて」
「ああ、うん……。ラーメン食べてたら、どんぶり落として床に全部ぶちまけてた」
相変わらずどうでも良い夢だ。
「他に何か覚えてないの?周りの事とか」
「うーん、テレビがついてたかな」
テレビ?これは少し面白い情報があるかもしれない。
「テレビは何がやってた?」
「ニュース……だね。どっか……海外の方で地震が起こったって」
「海外ってどこよ?」
「さあ……、アジアのどこかみたいだけど……」
そんなニュースは菜穂美の知る限り、今まで流れていなかったはずだ。
「わかった。それじゃ後でメッセージ送っとくから」
「うん、ありがとう……」
結局今日も電話の最後まで、貴史は起きているのかどうか怪しい状態だった。
アジアのどこかで地震か……、菜穂美はすぐさまWINKのメッセージを作成し、4人へ送信した。
二コマの講義が終わり、帰宅した菜穂美はすぐさまテレビをつけた。
まだ午後のワイドショーがやっている時間だった。
貴史が夢で見ていたニュースは、六時ごろか十時過ぎのものだと推測していた。
ご飯を食べている時間だとすれば六時のニュースが怪しい気がする。
テレビには都内の名店特集と銘打って寿司屋への取材している様子が映し出されている。
PCを開き、ニュースサイトをチェックする。
こちらにも特に地震の内容に触れられた記事は出ていない。
まだ起きていないのか、それほど規模の大きな地震ではないのか判断がつかなかった。
WINKにログインする。二件のメッセージ返信があった。
PapaPopoからのメッセージ
キモイメッセージ送って来るな! 地震なんてあるわけないだろ!
TAKA_302からのメッセージ
メッセージありがとう。どこかで地震起こるのか。探しとくよ。
友香は必死にPapaPopoキャラを守っていこうとしているが、菜穂美には少しずつ文面が変わっているような気がしていた。
以前よりも会話に沿って荒らしているというか何というか……。
先日のオフ会で会った大人しい少女が必死に汚い言葉を考えていると思うと、何だか微笑ましい気もする。
ふと、チャットを見ると貴史がログインしていた。
菜穂美は声をかけてみることにする。
NAMI_1212:タカさんいる?
PapaPopo:タカはお亡くなりになりました
TAKA_302:亡くなってねえ。
NAMI_1212:ラーメンはもう食べた?
TAKA_302:いや、夕飯に食べるつもりだけど。
PapaPopo:ラーメン被って死んでしまえ!
NAMI_1212:そう、まだ地震は起きていないみたい
TAKA_302:ああ、こっちも探してるけど見つからない。
TAKA_302:どこかの小さい地震がたまたまやっていたのか?
NAMI_1212:どうなんでしょ。テレビはどこつけとけばいい?
TAKA_302:僕は今4チャンネルつけてる。
PapaPopo:こんな昼間からテレビ見てて恥ずかしくないの? 働け!
TAKA_302:十分恥ずかしがってるさ。
NAMI_1212:オッケー、こっちも4チャンネルチェックしとくわ。
NAMI_1212:あと、夕飯は何時ごろの予定?
TAKA_302:いつもだと大体6時半ごろかな。
NAMI_1212:了解、その辺りの時間要チェックね
PapaPopo:大学生暇持て余しすぎ! サークルでもやってろ!
TAKA_302:また動きがあったら、チャットに入るよ。
NAMI_1212:余計なお世話! じゃあ後でね
PapaPopo:一生来るな! 去ね!
一旦WINKをログアウトした菜穂美は、テレビのチャンネルを4に切り替えた。
身体に良いことを強調した健康食品の通販CMが流れている。まだ時間が早いのだろう。
菜穂美は、バッグを開きレジュメと筆箱を取り出した。
今のうちに、今日貰ってきたレポートを片づけてしまっておいた方が良いだろうと考えたのだ。
レポートの問題を確認した菜穂美は硬直した。
――鶏が先か、卵が先か、その理由も合わせて答えよ。
なんなんだ、この問題は……。
これは有名な因果性のジレンマを用いた問題だったのだが、論理学をまともに受講していない菜穂美には全く意味が分からなかった。
すぐさまPCを開き、検索サイトで調べる。
やがてウェブの百科事典サイトに辿り着いた。
目を通していくと、鶏と卵、どちらが最初にこの世に生まれたのか、という問題のようだ。
これには明確な答えが出せない。
鶏がいなければ卵を産む事はできず、卵がなければ鶏は誕生することができないからだ。最近の遺伝子研究によると鶏が先ということが分かってきているようであるが、論理学の観点ではそんな事を問う問題ではないのだろう。
(まあ、そんなのどっちでもいいじゃない)
一般教養で論理学を取っているだけに過ぎない菜穂美には、到底理解できない考え方だった。しかし……。
(貴史の夢はどっちなのかな……?)
ふと、そんな疑問が湧いてきた。
貴史が夢で見たことは、夢で見たから現実になるのか、現実になるから夢になるのか……。
試してみる価値はありそうな問題だ。
菜穂美はレポートのことなどすっかり忘れ、どうやって調べるか真剣に考え始めた。