谷口貴史①
初投稿です。読んでいただけたら嬉しいです。
――凍えるように寒い日だった。
事態は非常に切迫していた。下半身の震えが止まらない。尿意がすぐそこまで迫っていた。
しかし、こういう時に限ってトイレがなかなか見つからない。
貴史はフラフラとした足取りで、街中を彷徨っていた。
いよいよ我慢の限界に近付いてきた頃、突然後ろから肩を掴まれた。
急なことに、思わず膀胱が緩みそうになる。貴史は再び膀胱に力を込め直し、何気ない動作を装い、振り返った。
「やっぱり貴史か! 久しぶりだな」
高校時代の友人、聡だった。
聡は同級生との突然の再会を喜んでいるようで、にこやかな笑顔を浮かべている。
一方の貴史は新たな絶望に顔が歪んでいた。
貴史にとって、現在会いたくない人物の一人であった。
「お、おう、久しぶり」
貴史はなんとか愛想笑いを浮かべ、喜びを分かち合う形式を倣うことにした。心の中では、なんとかここから無傷で立ち去る為の口実を必死で探っている。
「変わってないな。今何やってるんだ?」
先手を取られた……。いきなり顔面にストレートを打ち込まれた気分だった。
会いたくない最大の理由が、一般的に行われる、この何気ない質問だったのだ。
なんとか上手く誤魔化さなくては。
頭を回転させようとするが、意識が膀胱方面に散ってしまい、上手く頭が回らない。
「ははは、まあ色々とやってるよ」
気付けば誤魔化しにもならないセリフが飛び出していた。
自分の言ったセリフに自分自身が一番驚いた。
色々ってなんだよ、何にもやってない奴の常套句じゃないか。
パニックに陥った貴史はキョロキョロとあらぬ方向に視線を彷徨わせた。
真冬だというのに額からは油汗が滲んできている。
明らかに挙動不審な要注意人物だった。
聡の表情が明らかに訝しむものに変わっていた。
「どこか体調でも悪いのか?」
「いや、なんでもないよ。ははは」
ああ、だめだ。このままではだめだ……。何とか誤魔化して切り抜けなければ……。
焦りと同時に膀胱の方も限界だった。
その時、貴史の目に微かな希望の光が差し込んだ。
道の向い側に小さな公園を発見したのだ。
その中には錆びた鉄棒、錆びたブランコ、色が剥げた動物の置物、そして、……あった。立方体の小汚い建物、公衆トイレだ。
「そうか、それならいいんだけどな。貴史は最近他の奴らとは会ったりしてるのか?」
貴史は公衆トイレの形をした希望の光に見入っていた。
ここからダッシュで約十秒。何とか間に合うはずだ。
しかし、この状態で走れるのか。否、無理だ。今はとにかくゆっくり慎重に……。
貴史は無意識に首を縦に振りつつ、フラフラと歩き始めた。
道を渡って、公園の門をくぐってしまえば、すぐ左に公衆トイレがある。
道順は完璧、後はそれまで膀胱が持ってくれるかどうかだ。
貴史はイメージトレーニングを続けながら、ゆっくり慎重に、傍目からは酔っ払いのような千鳥足で道を横断し始めた。
「おい、貴史!」
歩道から車道に出た瞬間、後ろから聡の叫びが聞こえた。
ふと、我に返る。
あれ、そういえば聡と話していたんだっけ。とりあえず話は後。まずはトイレだ。聡には後で何とか誤魔化せば良いだろう。
「すまない、少し待っていてくれ」そう告げるため貴史は振り返ろうとした。
しかし、振り返る前、首を左に九十度回したところで、貴史の視線はストップした。
五十メートルほど前方に、大型トラックが迫ってきていたのだ。
走ってくるトラックはまだこちらの存在に気づいていないようだ。
ゾクリ。全身の毛が逆立つ。身体が危険信号を発し、血液を冷却させる作業に入っていた。
とにかく身体を動かそうとするが、足が何かで固定されているように重い。
無理な体勢になった身体は後ろにつんのめり、尻もちをついていた。
目の前には、トラックの丸いヘッドライドがすぐそこまで迫ってきていた。
貴史は咄嗟に目を瞑った。
同時に耳を突き刺すようなブレーキ音が辺り一面に響き渡った――。