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脇役令嬢の失恋  作者: 夕燼
脇役令嬢の失恋
9/26

温もりの欠片


「奥方さま、気が付かれましたか」

「マルセル……?」

「式典の後、お倒れになったんですよ。良かった、御身体になんともなくて……心配いたしました」


 灰青の瞳を僅かに潤ませて、赤毛の侍女が私の頬に触れる。そのまま額に触れ、熱も無く顔色も悪くないと安堵したように彼女は笑った。

 窓の外を見れば夜明けの光が微かに差し込んでいて、マルセルが寝ずに傍についていてくれたのだとわかる。

 倒れたのはただの疲労で、今は眠っているだけだと医者に診断されたけれど、心配で離れられなかったのだと彼女は口を尖らせた。


「王宮にお住まいの貴族さま方のスケジュールは過密すぎます! あれでは倒れるのも当たり前ですよ」


 私の身体に負担を掛けた誰かさん達に憤る彼女の気持ちが嬉しくて、思わず笑みが零れる。笑い事じゃないですとむくれたマルセルに手を伸ばし、その小さな掌をそっと握った。

 彼女からはしんしんと澄んだ緑の――トゥディールの匂いがする。


「心配してくれて、傍についていてくれて、嬉しかったわ。ありがとう、マルセル」

「そんな、私は侍女ですから、当然のことで」

「だけど今、お仕事だからじゃなくて本当に心配してくれていたでしょう? あのね、」


 嘘偽りなく、てらいなく、言葉はするりと唇から漏れ出でた。


「私、マルセルのこと、好きよ」


 自分は今、どんな微笑みを浮かべているだろう。計算して作ったのではない、本当は全然貴婦人には程遠いただのヴィオレーヌの笑顔。子供っぽかったりするかもしれないけれど、でも。

 握っていた手にきゅっと力を込めると、おずおずと握り返された。顔を上げたマルセルの瞳からぽろっと涙が滑り落ちる。


「……侍女にそんなこと言う貴婦人がいますか」

「まあ、マルセルって案外素直じゃないのね」

「魅惑の美女が手のひらで転がしてくる! こわい!」


 動揺の余りか言葉遣いが乱れる彼女の頬を夜着の裾でそっと拭う。ありがとうともう一度囁けば、親愛なる私の侍女は今度は真っ赤になって俯いた。


「私も、ヴィオレーヌさまがす……敬愛しております。お仕え出来たのが貴女さまで良かったと、思っています」


 消え入りそうな声で呟いたマルセルが可愛くて、私の笑顔は恐らくニヤついたものになっていたに違いないと思う。余り貴婦人らしからぬ表情は浮かべないように生きてきたけれど、不思議と抑える気にならなかった。

 笑う気配に気付いたのか、ぱっと顔を上げた彼女が少し困ったような顔をする。


「私、旦那さまに嫉妬されそうです」

「アベルが? どうして?」

「どうしてって、奥方さまのことを溺愛なさってますから。自分以外の人間がこんなに好かれてると知ったら拗ねてしまわれそうな」

「あの人、そんなに心が狭いかしら」

「ここだけの話、猫の額ですよ……?」


 旦那さまには秘密にしてくださいね、とひそひそ声になるマルセル。


「少し前に、幸運の四葉をお土産になさったことがあったでしょう」

「勿論憶えているわ、嬉しかったもの」

「後でこっそり、お伴してた御者の話を聞いたのですけれど」


 領内を見回っての帰り道、白詰草の群生地に差し掛かった馬車を停めさせたのはアベルだったという。

 妻への土産を持って帰るのだと張り切る彼の姿に、お付きの護衛達も微笑ましく随行した。

 ところが、珍しい四葉を探し懸命に目を凝らす主の傍ら――先にアッサリ見つけてしまった者がいたらしい。

 無論彼は良かれと思ってしたのだったのだが、その時のアベルの眼差しといったらまるで暴風雪のようだったと御者は語る。


『へえ……ヴィオレーヌが他の男が見つけた贈り物で喜ぶところを僕が見たいとでも?』


 やり手との呼び声も高いが、普段は温厚で分け隔てなく誠意を持って部下に接する彼だ。

 忠誠を捧げる主のそんな目線を浴びて、かの護衛は半泣きだったという。


「大人げないですよね、お付きの方々が奥方さまに憧れているからって」

「……ええと」

「後でちゃんと謝ってくださったそうですが、随分な独占欲でいらっしゃるでしょう?」


 聞かれれば答えに詰まる。

 あの優しい大型犬のようなアベルが私のためにそんな面を見せていたなんて知らなかった。

 慈しんでくれているのは重々承知していたけれど、まさかそんな。

 混乱する私をよそに、マルセルはふと吐息を零すように呟いた。


「誰が見つけた四葉かなんて、言わなければわからないでしょうにね」


 しょうがないなぁとでも言いたげな、穏やかな声音。


「奥方さまを笑わせるのは自分でなくてはと、思っていらっしゃるんですよ。きっと」


 向けられる言葉に、ようやく気付く。

 私が心から笑えないでいたことを、アベルだけでなく彼女も知っていたのだ。

 そうしてこんなにも、あたたかい眼差しで見守ってくれていた。

 ――大切に、してくれていた。

 何かを言おうとして言えないでいる私の髪を、マルセルがそっと撫でた。

 その優しい感触にぎゅうっと目を瞑って、子供のように彼女へとしがみつく。




 トゥディールの人々に逢えて良かったと。

 温もりに満たされていく胸の中で、そう思った。


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