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脇役令嬢の失恋  作者: 夕燼
脇役令嬢の失恋
8/26

夢の後先


 懐かしい夢を見ていた。

 それほど昔ではない、けれど遠くなった過去の夢。

 二度と戻れない少女の頃の。


『はじめまして、くろーどさま。くろーどさまとおよびしてもよいですか?』

『……初めまして、ヴィオレーヌ。驚いた、随分賢い子だ』

『ははは、そう仰っていただけるとは光栄だ。クロード様より秀でた方など見たことがないですからな』


 貴方と初めて逢ったのは、とても幼い頃だった。四つ年上の貴方はその頃から抜きん出て美しく優れていて、名門ガディアス家の嫡子としてその誉れと責任とを一心に背負っていた。それがどんなに凄いことだか知りもせずに、私はただ夢物語の王子様のような貴方に憧れた。

 同じように憧憬の眼差しで貴方を見つめていた令嬢がどれほど居たかは想像に難くない。私のように幼い少女から少し年上の娘まで例外なく、その優美かつ怜悧な姿に胸をときめかせていたのだ。

 ただ、余りに完璧だったので、話しかけるのはちょっぴり怖かった。貴方は小さな私にも淑女に対する礼を取ってくれ、声を荒げたことなど一度もなかったというのに。

 その紫水晶の瞳が、いつもここではない何処か遠くを見ているような気がしたからかもしれない。

 透徹たる眼差しの奥に何があるのか知りたいような知りたくないような気持ちを抱えて数年経ったある日、私は貴方の勉学の時間に潜入することに成功した。

 というと人聞きが悪いが、普通に訪ねて家人に通して貰ったところ、偶々勉強中だったのだ。

 ……ということは、本来自由だった筈の時間にも自ら勉学を課していたということだろう。

 目を丸くして不思議がる十歳の私に、十四歳の貴方は小さく笑ってこう答えた。


『果たさねばならぬ責務があるからな』

『ガディアス公爵家の嫡子だからですか? でも、クロードさまは必ず当主さまになるのでしょう?』


 そこまで頑張らなくてもいいのに。

 言外に匂わせれば、貴方は長い睫毛をそっと伏せた。


『――そうだ、なれる。なれてしまうんだ、私がどんなに暗愚であろうと』

『……? クロードさまは誰よりもりっぱな方ですよ?』

『それは、私がそうあろうと己を律しているからだろう。もしもそれを解き、欲望のままに振舞ったとて最終的に私はこの家の当主となる。王国の筆頭貴族として政に絶大な権限を持つ』


 静かに語る貴方の瞳が余りに澄んでいて、思わず引き込まれそうになる。わけもわからず懸命に聞き入っていると、少年の貴方は僅かに声音を和らげて続けた。


『私が間違いを犯した時、止められる人間はとても少ない。繰り返せばいずれ粛清があるかもしれないが、それには取り返しのつかない犠牲が必要となるだろう。私は、』


『私から民を守りたいのだ。愛する祖国を、お前や弟達の微笑みを』


 ――その時の貴方の気高さと尊さを、私は生涯忘れることはないだろう。

 たった十四歳で。いいや、もっと昔から、この人はその覚悟を固めていたのだ。いずれ双肩にかかる人々の命の重さを誰よりも理解して、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。

 完璧すぎて、どこを見ているかわからなくて怖い、なんて、大間違いだった。

 ただ守りたいからだと。

 そう語る眼差しの何と真っ直ぐで優しいことか。


『クロード、さま……』


 知らず知らずのうちに涙が零れて、見上げる視界がぼやけて滲んだ。

 どうしよう。

 貴方の瞳があんまり綺麗で、幼い心臓が痛いくらいに早鐘を打った。

 この人のために何かをしたい。この人に何かを捧げたい。

 傍に居たい。一人ではないと伝えたい。

 貴方を――守りたい。



 その瞬間から、私は初恋の虜となった。



 貴方の隣に立つのに相応しくあるように、何よりも教養を磨いた。貴婦人が学ぶべき以上の事柄はそうそう教えては貰えなかったけれど、少しでも沢山本を読んだ。

 天上から降り立ったようなその美貌に恥ずかしくないように、肌の手入れや体型を保つ努力も。歌も、楽器も、詩作も、刺繍も、みんな、神様みたいな貴方に近付きたくて頑張った。貴婦人らしく上品で優雅な立ち居振る舞いも必死で身につけた。

 その甲斐あって、年頃になった私は同年代の令嬢の中で最高の評価を貰うようになっていた。美しく賢く、それでいて控えめで、家柄も申し分ない、完璧な令嬢だと。


 十六歳で社交界に正式にデビューするその日、勇気を振り絞ってエスコートして欲しいとお願いをした。

 貴方は自分でいいのか、と一言だけ呟いて、迷わず頷いた私を大切に導いてくれた。次の夜会も、その次も、幾度も。


 愛しているとも言わなかったし、言われなかった。けれど家柄、名声共に貴方に釣り合う令嬢は私の他に居なかったし、その歩みを邪魔しないよう寄り添うだけの私は決して疎まれることがなかった。当たり前のように婚約は決まり、粛々と未来は定められた。


 今でも、思い出す。

 午後の光差す窓辺、本当に珍しいことに、淡い輝きの中で目を瞑っていた貴方のことを。

 身動ぎすれば壊れてしまいそうな、ひとときの安寧を。

 どんな夢を見ているのか知りたいと切ないくらい願ったけれど、叶えられる筈もなくて、どうして涙が零れた。貴方の眠りを損ねてしまわないかが怖くて、息をひそめることしか出来なかった。

 それでも、傍らでその吐息を感じられることが震えるほどに幸福だった。


『――久しぶりに、夢を見た』

『クロード様、』

『春の空の下でお前が笑っていたな。花が沢山咲いていて、どこからか賑やかな声が響いていて、大層幸せそうだった』

『わたくしのゆめを……?』

『お前があんな風に幸福でいられる世界を、守らなくてはいけないと思った』


 息を止めて見上げる私の頭を風のように撫でて、執務へと向かう貴方を見送った日。

 あれはいつのことだったろう。

 貴方はそれからも時々、私の幸福を願う言葉をぽつりと口にした。

 そのとてつもなく重い責務を、心休まる暇もない激務をひたすらにこなし続ける気高い志のどこかに、私を守りたいという気持ちが一片でもあるのだと思うと泣きたいくらいに嬉しかった。

 それと同じくらいに、常に愚痴ひとつ零さず完璧な貴方の助けになれないことが、口惜しくてもどかしかった。

 傍に行きたくても到底辿り着かなくて、いつも焦りと不安と不甲斐なさを噛み締めていたように思う。


 ……どうしてだろう。そういえば、そんな感情からは随分長いこと遠ざかっていた気がする。


『木登りも出来る貴婦人って貴重な人材だと思うよ。うん』

『頼もしいなぁ僕の奥さんは! 実を言うとね、そうしてくれるとすごく助かる』

『ヴィオレーヌ、君は君の心のままに』


 ふいに浮かんだ懐かしい声が夢現の私を毛布のように優しく包んだ。

 あたたかで、穏やかで、くすくす笑ってしまいたいような気持ちになる。

 引き換えのように痛みを残す夢がゆっくりと薄らいでいき、私はそこでようやく目を醒ました。

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