穏やかな夜
私の夫となったアベル・トゥディール辺境伯は榛色の髪に深い緑の瞳をしている。
自らが治める山と森の地を体現したかのようなその色の持ち主は、意外なほど柔和な好青年だ。
背は高く、顔も貴公子に相応しく整っているけれど、どこか朴訥とした優しい印象を人に与える。私とは逆で何もしていなくても良い人そうに見える容姿は、密かに羨ましいものだった。
大きな犬みたい。
第一印象で感じたそれは、今もまだ続いている。
「ただいまヴィオレーヌ、元気にしていたかい?」
「今朝方お逢いしたばかりでしょう?ふふ、勿論元気にしておりましたわ」
「何よりだ、奥さん。僕は少々疲れたが君の顔を見て元気になった」
屈託なく笑う顔は、八つも年上の二十七歳とは思えないほど無邪気で少年のようだ。
両親にきちんと愛され、自然の中で真っ直ぐに育つとこうなるのだという良い見本だと思う。
こう見えても辣腕家で、所領をきっちりと治め、農作物や特産物の生産効率を大幅に上げた功績は宮廷でも認められているらしい。彼の代になってから財産もみるみるうちに潤沢になったとか。父が掌中の珠たる私を嫁がせてでも繋がりを持ちたいと望んだ男なのだ。犬っぽいけれど。
「お食事はもう?」
「ああ、商会の人達とね。ガロン羊毛織にもっと付加価値をつけられないかと目論んでて」
「アベル様がそう仰るのなら、実現は近いのでしょうね」
何せこの人は有言実行だ、口に出し動き始めたなら計画通りになるのは間違いない。この地の特産物たる精緻な紋様のタペストリーは近いうちに流行し出すことだろう。そのうち、王宮の部屋を飾ることもあるかもしれない。
――あの人が忙しなく仕事をし、時折お茶を飲み、愛する誰かに微笑むその部屋を彩るのかもしれない。
ちくりと胸が痛んで一瞬だけ目を閉じる。
タペストリーの産地がトゥディールだと知って、あの人は何かを思ってくれるだろうか。それとも私が此処へ嫁いだことすら瑣末なことと忘れてしまっているだろうか。
あれほどきちんと別れを告げたのに、想いはそう簡単に消えてくれない。何の意味もなさぬ一人芝居だと自覚しているから、一層もどかしく切なかった。
「疲れたかい?もう休もうか」
穏やかな夫の声が耳元に響く。張りのある彼のテノールは感情のままに笑い、泣き、時々拗ね、こうして優しさを滲ませる。
親しみやすく頑張り屋で、なのにいつだって他人への気遣いを忘れないアベル。彼を嫌いになる人は殆ど居ないだろう。
私もアベルが好きだった。それが恋ではなく親愛や尊敬といった類のものだとしても、顔も知らなかった政略結婚の相手に好意を持つことが出来たのは僥倖だ。
侍女を呼び寝支度を整えると、素朴な肌触りの綿のシーツに二人並んで横になる。――きっちり一人分の距離を開けて。
夫は薄暗がりの中で静かにこちらを見つめると、明日も良い日になるようにとおまじないのように囁いた。