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脇役令嬢の失恋  作者: 夕燼
脇役令嬢の失恋
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遠い地へ



 窓の外は雄大な山々に囲まれている。

 視界を埋める緑は温室の花々と違って鮮烈で、生命の輝きを秘めた深い色合いだ。


「――綺麗ね」

「奥方さまは都育ちでいらっしゃるのに、不思議ですね」


 名高い王宮の庭の方がどんなにか美しいでしょうに。

 午後のお茶の用意をする傍仕えの侍女が素直な声を響かせる。主へはっきりと物事を言うのはこの地の風習かと最初は思っていたけれど、単にそういう性質の娘らしかった。生来の明るさのせいか嫌な気持ちはしないので、今まで咎めたことはない。


「でも、そういって貰えると嬉しく思います。ガロン山脈は地元の誇りというか――私達の魂の還る場所ですから」


 どんなに遠く離れても、瞼を閉じれば峻厳たる山々の姿が浮かぶ。都に出て成功しても、死ぬ前にガロン山脈を見たいとこの地に戻ってくる者も多いのだと侍女は笑った。

 お喋りをしていても弛まず動く白い指先がポットを傾けると、澄んだ空気の中に紅茶の馥郁たる薫りが広がる。

 ミルクとスパイスの入ったそれは口に含めばじんわりと甘く、身体の隅々まで温もるようだった。


 私が嫁いだトゥディール辺境伯領は王国の北に位置する。都からは馬車で一週間ほど離れており、山地のせいか気候は驚くほど違っている。要は寒いのだ。

 春を間近にした今でさえ、毛織物のドレスや毛皮のショールが欠かせない。冬場でも絹を纏って過ごせた王宮とはまるで別の世界だった。


「住めば都というでしょう?――でも、そうね、私はこの地を好きになれる気がするわ」


 まだ、愛しているというには足りない。けれど政略結婚で望みもせず訪れた辺境の地は、不思議なほど私の肌に合っていた。

 静かで清冽な空気。控えめだけれど気の良い人々。まだ秋と冬しか見ていないけれど、紅と黄に、そして銀白へと染まっていったガロン山脈の雄大な姿は心がしんとするほど美しく。

 何年後か、何十年後か、この地に住み続ければ、故郷と呼べるほどに愛せるような気がしていた。

 お世辞ではなく本音を告げれば、侍女はくすりと笑って私を見つめる。


「奥方さまは本当に心根が真っ直ぐですね。そんなに美しくて社交にも長けてらっしゃるのに、その純粋さは貴重な気がいたします」

「貴女の素直さには敵わないと思うのだけれど。……純粋、かしら?」

「ええ、妖艶な見目とのギャップもあるから余計かもしれませんけれど」


 見目。確かに私を見て清純だとか慎ましいだとか思う人間はそうはいないだろう。

 優雅に渦巻く髪は黄金か蜂蜜を紡いだよう、琥珀の瞳は宝石を嵌めこんだよう。ミルクの肌はしっとりと豊満なラインを描き、甘い声音が男の胸を蕩かす魅惑の美女。

 ……というのが世間一般の私への評価だ。

 ナルシストではないが現実に目隠しするほど愚かでもない私は、自分の美を十分に自覚していた。それが可憐だとか守ってあげたいというよりは、欲望を刺激する艶めいた類のものであることも。

 実際の私は少女の頃から唯一人に片思いし、彼以外の男には目をくれることも無かった不器用な女に過ぎない。性格も良いとは言わないけれど、特に高慢だったり奔放だったりということもない。ただ誤解されることには慣れていたので、侍女の言葉にはすんなりと納得がいった。


「妖艶は買い被りだったわね、唯少し身分が高いだけの小娘だもの」

「ふふ、そういうところが。僭越ながら、辺境伯の奥方になってくださったのがヴィオレーヌさまで何よりです」


 親しみを込めた微笑みを向けられて、少し戸惑う。

 まだ他の男の面影を胸に宿したままの、何の役にも立たない貴族の娘を――由緒正しい血筋以外のことで歓迎して貰えるとは思ってもみなかったから。

 特に面白味も無い私に、それでも好意を示してくれたのは不思議だったけれど、胸がぽっと暖まるような心地がした。

 自然と綻んだ唇で、ありがとうと囁く。


「……極上の美女の微笑みの威力といったら! 侍女を陥落させてどうなさるおつもりです」

「あら大変。マルセル、大丈夫?」

「肉体は平気ですが、心を持っていかれそうになりました」


 胸の辺りを押さえた赤毛の娘が頬を染めてこちらを睨む。人によっては不遜だと怒るかもしれないけれど、口の達者な彼女が妙に動揺しているのが可愛らしくて笑ってしまった。一つだけ年下の彼女はいつもこんな調子で、だからたった数ヶ月で馴染んでしまえたのだろう。

 この地を愛する予感があるように、マルセルへも信頼と愛情を注げる日が来るだろうという気がしている。

 山の麓、ゆるやかに積もっていく陽だまりの時間。

 胸の傷は膿んだように時折身の内を苛んだけれど、私は紛うことなく平穏な日々を送っていた。


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