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脇役令嬢の失恋  作者: 夕燼
お伽噺の終幕
23/26

邂逅


 


 長く真っ直ぐな黒髪を靡かせて、その人は私を待ち受けるように立っていた。


 直接見たのはたった一度きり、けれど見間違う筈もない。

 すんなりと伸びた手足、異国の空気を纏う涼やかな顔立ち。


「勇者、様……?」


 零れ出でた声は掠れてしゃがれて、淑女らしくも美しくもなかったろう。

 自分がどんな顔をしているのかさえ分からないほど、思考も感情も真っ白だった。

 その人へ何かを想い、ぶつけられる程に、私の心は強くない。

 憎しみも怒りも嫉妬も燃やすには重過ぎて、だから、私は、ずっと。


「なんてきれい、」


 神秘的な黒い瞳をくるんと丸くして呟いた、その表情はどこかあどけなくて。

 絵本の中のお姫様を見つめる小さな女の子のような、色をしていた。


「一目でわかりました。貴女が――ヴィオレーヌさんなんですね」


 酷く淋しそうに微笑って、華奢な少女の形をした人は私から一歩離れる。

 手を伸ばしてもさわれない距離、けれど互いの顔も仕草も目に入る立ち位置へ。


「貴女があたしの顔なんて見たくないと百も承知しています。だけどどうか今だけ、時間をください」

「…、……なぜ、私など、に?」

「ヴィオレーヌさんにしか渡せないものがあるからです」


 凪いだ海のような声が告げる。

 そのクリーム色の頬に浮かんでいた哀しみは消え失せて、もう感情を掬うことは出来ない。

 戸惑いと不安とがざわりと押し寄せて、指先が冷たくなっていく。

 

 考えてはいけない。氷らせなくてはいけない。この人に向けてはいけない。

 独りよがりの滑稽な女ではあったとしても、せめて醜悪な女にはならないでいたかった。

 恩知らずな人間になってはいけないと、それだけは――どうか。 

 祈るような気持ちで立ち竦む私の前で、世界に平穏を齎した救世主はゆっくりと口を開いた。


「あたしは謝りません。だから貴女は、あたしを赦さなくていい」

「いいえ――いいえ、私たちは勇者様に感謝こそすれ、恨むだなんて」

「ヴィオレーヌさんは、本当にきれいなんですね」


 相変わらず感情の抜け落ちたような顔のまま、呟く声には自嘲の響きが混ざる。

 張り詰めて今にも砕け散ってしまいそうな気配。

 この人はいったい何を想い、私に何を求めるというのだろう。


「謝罪の代わりに二つの未来を貴女にお返しします。選んで、ください」


 深く昏い漆黒に惹き込まれるように見つめ返す。

 何を言っているのか、意味はよくわからない。けれど、とても重要な何かを迫られているのだとだけ理解した。


「トゥディール辺境伯夫人としてこのまま生きてゆく未来と――」


 春の陽射し。懐かしい秘密基地。私の庭。

 

「ガディアス公爵と結ばれる、本来そうなる筈だった未来を」


 勝手に踏み入った、見知らぬ、少女の姿の救世主。



 ――心を縫い留めていた見えない糸が千切れて、何かが堰を切って溢れるのがわかった。

 


「なぜ……なぜ今更、そのようなことを仰るのです! 戻れるわけがないでしょう!?」


 否応無しに瞼に焼き付いた、幸福そうな花嫁の姿。

 世界中の全てから望まれ祝福された、完璧な一対。

 引き裂くことなど誰にも赦されないだろう、どれほど重い罪になるだろう。


 選ぶことなど出来ないと分かっていて、それでも私に言わせようとするの?

 私の全てだった初恋を、欠片も残さず棄てさせようとするの?

 どうしてそんなに残酷なことを、どうして――!


「戻れると言ったら?」

「なんてことを……それは婚姻を誓った神と、夫と、祝福してくれた人々全てへの裏切りです!」

「誰にもばれないと言ったら?」


 その声は幽かで、そのくせ不思議なほどくっきりと耳に届いた。





「あたしは時を操る魔法をようやく見つけました。――今なら、時計の針を、巻き戻せます」





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― 新着の感想 ―
[良い点] 「時を操る魔法を見つけた」のなら、勇者さんは元の世界に戻って最愛のお父さんが生きている時点にタイムスリップ出来るので、めでたしめでたしですね。 [気になる点] 元の世界に戻って、勇者さんは…
[気になる点] 勇者さん、それはないでしょ、という感じ。そういう展開なのでしょうが、鬱な感じ。 時間巻き戻しを選ぶもしくは、選ばされるだとすると、ヴィオレーヌのここまでは、何だった?人智を超えた力を…
[良い点] その発想はなかった。 その手があるなら使うよね。 [気になる点] 本当に欲しいなら手をのばせばいい。 咲耶には選択肢があったけどヒロインにはなかったからアンフェアだと思ったんじゃないか?…
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