救国の英雄
結論から述べると、会議は大成功だった。
我らがトゥディールの誇るガロン羊毛織は諸外国にも通用すると高い評価を受け、早速量産化に向けた投資が決定した。
ただし、代償に僕の体力は限界を迎えている。
宿泊用に与えられた王宮の客室で一人になると、思わず深い溜め息が洩れた。
着替えるのに人を呼ぶのも面倒で、上衣だけ脱いで豪奢なソファに埋もれる。
ああ……ふかふかだ……。
この数日間で一年分くらい喋り倒したような気がする。
田舎貴族と侮る相手は油断させて切り崩し、辣腕家だと擦り寄る相手は軽くいなして丸め込み。
さんざん喋り続けて乾いた喉を葡萄酒で潤しながら、否応なしに胸に刻み付けられた彼との会話を反芻する。
若き筆頭公爵。王太子の懐刀。救国の英雄。
絢爛たる二つ名を数えきれぬほど背負った男。
――僕の恋敵であるらしい、クロード・ガディアス公との。
『さすがはトゥディール辺境伯領、際立った技術だ』
『……公爵にお褒めいただくとは光栄至極。詳細をご説明差し上げましょうか』
『是非に。ガロン羊毛織の染料は特殊なものを?』
『織る際に強い力がかかるので、擦れに強い必要があります。現状は輸入の染料ですが、より品質の高いものがあれば代替は可能かと』
一対一でまともに言葉を交わすのは初めてだった。遠くから見れば絵画のような公爵は、至近距離ではもはや白昼夢のように現実味がない。それほど凄絶に美しい。
氷細工の唇から響く声は天鵞絨の滑らかさで――その内容に、思考回路がようやく常の速度を取り戻した。
『最南端のグレム伯爵領で、促成栽培が可能な特産物の作付けを開始している。染料となる希少な古代種の花だ』
『稀少な染料、ですか』
『鮮やかに染まり褪せにくい。素材の状態から染料に仕上げるまでの工程は、同じく南方のシャリス侯爵領に任せようと考えている。避難から帰還する民の雇用創出のために』
南北の領地は距離が遠すぎることもあり、輸送にかかる時間や費用の観点から協業することは滅多にない。
だが、今、世界を脅かした魔からの復興という局面であれば。
『なるほど。ガロン羊毛織を買うと復興支援になるという付加価値で、慈善事業を責務と考える富裕層に需要が生まれる――経費を補って余りある高単価で売れる』
『その通りだ。貴殿であればすぐに分かって頂けるだろうと思っていた』
ちらりとも笑わない紫の瞳が、けれど透きとおった光を湛えて真っ直ぐにこちらを見つめる。私利私欲など一欠片もなさそうな、峻厳に磨かれた瞳。
ならばこちらとて悪意も他意もなく、貴族の義務を果たすのみだ。
『早速染料の試験と三領で協議を開始します。公爵のお墨付きであれば、反対する者もいないでしょう』
『染料の買い取り額については財務局が調整に入る。北方にも損はさせないので安心されよ』
『……ふは、いえ、大変有り難く。商売は三方に益が生まれねば長続きしませんから』
貴族の頂点に立つくせに少しも形式に拘らず単刀直入で、提示してくるアイディアは的確だ。商談相手としてはこの上ない。
おまけに天上の神々みたいな顔をして親切なフォローまで入れてくるものだから、迂闊にも笑ってしまった。
ああ、だって。
浮世離れした美しさに滲む、生真面目な雰囲気だとか。
前例に囚われず、正しいことを為そうとする心根だとか。
いっそ心配性なくらいに人を守ろうとするところだとか。
――そのどれもが、ヴィオレーヌに良く似ていたものだから。
僕の表情に微かに首を傾げた彼は、威厳と気品の馨る完璧な礼をとり、それから次の領主の元へと歩んでいった。
銀の髪が靡く後ろ姿まで綺羅星のような救国の英雄。
彼は最後まで一言も、僕の妻について言及しなかった。
「なるほどなあ、そういうことか……」
ひと息で飲み干したワインはほんのりと甘い。果実味の向こうに蜂蜜を思わせる香気があって、愛しい人の瞳を思い出す。
蝶よ花よと守られて育った筈のヴィオレーヌが、どうしてあれほど教養深いのか、己に厳しく手を抜かないのかが分かってしまった。
神様みたいな男に恋をしたから。
彼の隣に並べるように、きっと必死で自分を磨いたんだろう。
彼がヴィオレーヌに似ているのではない。彼女が、クロードに似ているのだ。
想いを馳せるほど胸が抉られるような心地がするのに、考えずにはいられない。
何故、彼はヴィオレーヌを手離したのだろう。
一時の感情に左右されて罪のない婚約者を捨てるような、弱く愚かな男には見えなかった。
自分の願望を押し殺してでも正しいことを選べる、国や民に身を捧げられる、貴族の誇りを持った人間だと思えた。
いいや、だからこそ――だとしたら?
空のグラスを睨んで思考を深めようとしたその時、扉を叩く音がした。