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脇役令嬢の失恋  作者: 夕燼
辺境伯爵の初恋
19/26

救国の英雄

 結論から述べると、会議は大成功だった。

 我らがトゥディールの誇るガロン羊毛織は諸外国にも通用すると高い評価を受け、早速量産化に向けた投資が決定した。


 ただし、代償に僕の体力は限界を迎えている。


 宿泊用に与えられた王宮の客室で一人になると、思わず深い溜め息が洩れた。

 着替えるのに人を呼ぶのも面倒で、上衣だけ脱いで豪奢なソファに埋もれる。

 ああ……ふかふかだ……。

 この数日間で一年分くらい喋り倒したような気がする。

 田舎貴族と侮る相手は油断させて切り崩し、辣腕家だと擦り寄る相手は軽くいなして丸め込み。

 さんざん喋り続けて乾いた喉を葡萄酒で潤しながら、否応なしに胸に刻み付けられた彼との会話を反芻する。


 若き筆頭公爵。王太子の懐刀。救国の英雄。

 絢爛たる二つ名を数えきれぬほど背負った男。

 ――僕の恋敵であるらしい、クロード・ガディアス公との。







『さすがはトゥディール辺境伯領、際立った技術だ』

『……公爵にお褒めいただくとは光栄至極。詳細をご説明差し上げましょうか』

『是非に。ガロン羊毛織の染料は特殊なものを?』

『織る際に強い力がかかるので、擦れに強い必要があります。現状は輸入の染料ですが、より品質の高いものがあれば代替は可能かと』


 一対一でまともに言葉を交わすのは初めてだった。遠くから見れば絵画のような公爵は、至近距離ではもはや白昼夢のように現実味がない。それほど凄絶に美しい。

 氷細工の唇から響く声は天鵞絨の滑らかさで――その内容に、思考回路がようやく常の速度を取り戻した。


『最南端のグレム伯爵領で、促成栽培が可能な特産物の作付けを開始している。染料となる希少な古代種の花だ』

『稀少な染料、ですか』

『鮮やかに染まり褪せにくい。素材の状態から染料に仕上げるまでの工程は、同じく南方のシャリス侯爵領に任せようと考えている。避難から帰還する民の雇用創出のために』


 南北の領地は距離が遠すぎることもあり、輸送にかかる時間や費用の観点から協業することは滅多にない。

 だが、今、世界を脅かした魔からの復興という局面であれば。


『なるほど。ガロン羊毛織を買うと復興支援になるという付加価値で、慈善事業を責務と考える富裕層に需要が生まれる――経費を補って余りある高単価で売れる』

『その通りだ。貴殿であればすぐに分かって頂けるだろうと思っていた』


 ちらりとも笑わない紫の瞳が、けれど透きとおった光を湛えて真っ直ぐにこちらを見つめる。私利私欲など一欠片もなさそうな、峻厳に磨かれた瞳。

 ならばこちらとて悪意も他意もなく、貴族の義務を果たすのみだ。


『早速染料の試験と三領で協議を開始します。公爵のお墨付きであれば、反対する者もいないでしょう』

『染料の買い取り額については財務局が調整に入る。北方にも損はさせないので安心されよ』

『……ふは、いえ、大変有り難く。商売は三方に益が生まれねば長続きしませんから』


 貴族の頂点に立つくせに少しも形式に拘らず単刀直入で、提示してくるアイディアは的確だ。商談相手としてはこの上ない。

 おまけに天上の神々みたいな顔をして親切なフォローまで入れてくるものだから、迂闊にも笑ってしまった。


 ああ、だって。


 浮世離れした美しさに滲む、生真面目な雰囲気だとか。

 前例に囚われず、正しいことを為そうとする心根だとか。

 いっそ心配性なくらいに人を守ろうとするところだとか。

 ――そのどれもが、ヴィオレーヌに良く似ていたものだから。


 僕の表情に微かに首を傾げた彼は、威厳と気品の馨る完璧な礼をとり、それから次の領主の元へと歩んでいった。

 銀の髪が靡く後ろ姿まで綺羅星のような救国の英雄。

 彼は最後まで一言も、僕の妻について言及しなかった。







「なるほどなあ、そういうことか……」


 ひと息で飲み干したワインはほんのりと甘い。果実味の向こうに蜂蜜を思わせる香気があって、愛しい人の瞳を思い出す。


 蝶よ花よと守られて育った筈のヴィオレーヌが、どうしてあれほど教養深いのか、己に厳しく手を抜かないのかが分かってしまった。

 神様みたいな男に恋をしたから。

 彼の隣に並べるように、きっと必死で自分を磨いたんだろう。

 彼がヴィオレーヌに似ているのではない。彼女が、クロードに似ているのだ。

 想いを馳せるほど胸が抉られるような心地がするのに、考えずにはいられない。

 

 何故、彼はヴィオレーヌを手離したのだろう。


 一時の感情に左右されて罪のない婚約者を捨てるような、弱く愚かな男には見えなかった。

 自分の願望を押し殺してでも正しいことを選べる、国や民に身を捧げられる、貴族の誇りを持った人間だと思えた。


 いいや、だからこそ――だとしたら?


 空のグラスを睨んで思考を深めようとしたその時、扉を叩く音がした。

 



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― 新着の感想 ―
[一言] 何となくですがクロードはこの世界の責任をとったのではないでしょうか?勇者を好きにはなっていたと思います(その好きがどういった種類かわからないけど)が、でも簡単に主人公を捨てる人ではない様に思…
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