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脇役令嬢の失恋  作者: 夕燼
辺境伯爵の初恋
16/26

ひとめ惚れ


 ――彼女が扉の向こうから現れた瞬間、たった今夜が明けたのだと、比喩でなくそう思った。



「ヴィオレーヌ、とお呼びくださいませ」



 背を流れる輝かしい金の髪は眩く透きとおって、きっと光を紡いだらこんな風になるのだろう。

 瞳は蜂蜜をとろりと垂らしたような、甘さとあたたかみを湛えた琥珀色。

 一筋の瑕もない白磁の肌は蠱惑的な稜線を描き、気品の奥になんとも言えない艶がある。

 まさに絶世の美姫。社交界の華という噂は正しいどころか、語彙と表現力が明らかに不足している。


「アベル・トゥディールだ。はるばるよく来てくれたね、僕の姫君」


 商談においては先に場の空気を呑んだものが勝つ。

 気合いで作った朗らかな笑顔でその圧倒的な美に抗いながら、どうやら敵いそうにないことを悟っていた。

 彼女から目を離せない。

 芸術品めいた見事な造形だからだろうか? 男の欲を刺激する艶やかさだからだろうか?

 

 ちがう。


 凛と伸びた背筋、瑞々しい声音、控えめながら逸らされることのない真摯な眼差し。

 彼女は努力で磨き上げられた人間特有の、揺るぎない清廉さを纏っている。

 この雰囲気には覚えがあった。

 優れた為政者の中に稀にいるタイプだ。彼らは単に有能なばかりではなく、魂が澄んでいるかのような慈悲深さと気高さで人に自然と頭を垂れさせる。利益より大局を選ぶことが出来、総じて一流を通り越した超一流であることが多い。

 小利口で腹黒い人間であるところの僕はそういうタイプをことさらに尊敬するし、縁があれば大切にしている。


 ……女性を類稀な領主に喩えて讃えるのは褒めた内に入るだろうか?


 如才なく親愛に満ちた態度で彼女を迎え入れながら、思考だけが高速で回転して観察を続けている。

 自分でも訳が分からないくらい見つめていたくて、美しさに思わず見惚れているといった体で紳士的に誤魔化せたのは奇跡だった。

 王都からの道程についてユーモアを交え談笑しながら、少しでも粗がないかを探してみる。

 

 溜め息の出るほど匂やかな仕草。

 使用人への穏やかで気遣いに溢れた態度。

 僕と目が合う度に生まれる笑みは媚びも嫌みもない自然なもので、絶妙なタイミングで挟まれる会話はトゥディールについて事前に相当深く学んできたことが窺い知れる。


 欠点らしい欠点がない。まさか、嘘だろう。相手の弱みにつけこむことに定評のあるこの僕が。

 まだ十代とは思えない完全無欠の美姫は優雅でありながら優しさと包容力すら感じさせ、近付けば馨しさが鼻を擽るばかりだ。

 外見も中身も女神なんて有り得るのか? 手綱を引くどころか神殿を建てるべきじゃないか?


 そんな脳内の大混乱をおくびにも出さないまま、エスコートするために手を差し伸べる。

 重ねられた嫋やかな手はひんやりと冷たい。

 これほど完璧に振舞っているのに、実は緊張しているのか――


 否。


 取られた指先を見つめる眸が微かに翳る、その滴るほど美しい憂い。

 僕への嫌悪故ではないと気付ける程度に聡いのは幸か不幸かどちらだろう。

 浮かれた頭に、あの絵本の角がガツンとぶつかったような気がした。



 ――お姫様は、恋に破れて、はるばるここまでやってきたのだ。


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