味を知る令嬢
「料理番の舌」と笑われてきた令嬢が、和平の晩餐会で、たったひと匙のソースを口にしたとき。
婚約破棄、ざまぁ、そしてハッピーエンド。一話完結です。
ひと口で、だいたいのことは分かる。
何が入っているか。どこで取れたものか。いつ作られたか。誰が、どんな手つきで作ったか。
コレット・ブランシェの舌は、生まれたときからそういう舌だった。
子どもの頃は、それが自慢だった。
今は、なるべく人前で物を食べないようにしている。
* * *
「コレット、こっちへ来い。皆さまがお前の芸を見たいそうだ」
グラニエ侯爵家の庭で開かれたお茶会。
婚約者のダミアン・グラニエは、薄く切ったパンを乗せた皿を手に、彼女を呼んだ。
「うちの料理人が作った、家伝のソースだ。何が入っているか当ててみろ」
令嬢たちがくすくすと笑う。
ダミアンの隣には、伯爵令嬢のセリーヌ・ロシュが立っていた。最近、なぜかいつも隣にいる人だ。
「まあ、コレット様って、そんなことがおできになるの?」
「できるさ。こいつの舌は、令嬢の舌じゃない。料理番の舌だ」
どっと笑いが起きた。
コレットは黙ってパンを受け取り、ひと口かじった。
断れば、「つまらない女だ」と言われる。それも、もう三年ぶん聞いた。
「……ぶどう酢。春の蜂蜜。からし。塩は南の海のものです」
「ほう」
「それから、胡桃の油。樽で寝かせたものですね。三年……いえ、もう少し。少し古くなっています」
ダミアンの眉が、ぴくりと動いた。
「古いんじゃない。熟れているんだ」
彼は皿を高く掲げて、周りに聞こえるように言った。
「この胡桃油は、うちの領地の古い樽でしか作れない。国じゅう探しても、この味はグラニエ家にしかないんだ」
「さすがですわ、ダミアン様」
セリーヌが手を叩いた。つられて何人かが拍手をした。
「ほらな。こいつは味しか分からないが、うちには味そのものがある。どっちが上か、はっきりしているだろう?」
また、笑いが起きた。
コレットは口の中に残った古い油の味を、黙って飲みこんだ。
* * *
それから十日後。
王宮で、和平の晩餐会が開かれた。
隣国ヴェステルとは、もう何十年も国境で争いが続いている。
その争いを終わらせる話をまとめたのが、第二王子のレオンだった。今夜は、隣国の使者オスカー卿を迎えて、和平のしるしに食卓を囲む。
「いいか、今夜は何も口にするな」
晩餐の前、控えの間で、ダミアンはコレットに言った。
「料理を当てる芸なんかされたら、グラニエ家の恥だ。……まあ、それも今夜で最後だがな」
「最後、ですか」
ダミアンは答えずに、控えの間の真ん中へ出ていった。
そして、わざと大きな声で言った。
「皆さま、お聞きください。俺、ダミアン・グラニエは、コレット・ブランシェとの婚約を破棄いたします」
控えの間が、しんとした。
「料理番の舌の女は、侯爵家にはいりません。新しい婚約者は、こちらのセリーヌ・ロシュ嬢です」
セリーヌが、ダミアンの腕に手をかけてほほえんだ。
小さな笑い声が、あちこちで起きた。お茶会で笑っていた顔が、ほとんどそろっていた。
コレットは、少しだけ考えた。
悲しいかどうか、自分の胸に聞いてみた。
思ったより、何も感じなかった。
「承りました」
それだけ言って、頭を下げた。
* * *
晩餐会は、静かに始まった。
レオン王子が杯を上げ、オスカー卿に向かって言った。
「使者殿が胡桃を口にされると、お体にさわると伺っております。今夜のお料理には、胡桃はひとかけらも使っておりません。どうぞ、ご安心を」
「お心づかい、痛み入ります」
オスカー卿は、日に焼けた顔をほころばせた。
三皿目は、白身魚に香草のソースをかけたものだった。
使者の皿だけは、侯爵家の者が運ぶ。それが今夜の礼として決められていて、その役を引き受けたのがグラニエ家だった。
ダミアンが、厨房の入口から皿を受け取る。セリーヌが後ろについていく。
彼はうやうやしく、オスカー卿の前に皿を置いた。
コレットの前にも、同じ皿が置かれていた。
言われたとおり、手はつけなかった。
オスカー卿が、魚をひと口食べた。
それから、しばらくして。
使者の手から、フォークが落ちた。
「……っ」
のどを押さえて、椅子ごと体が傾く。顔がみるみる赤くなって、息が細い笛のような音を立てた。
「侍医を!」
レオンが叫んだ。広間が、一気にさわがしくなった。
* * *
侍医がすぐに駆けつけ、薬を飲ませた。
オスカー卿は、青い顔でどうにか息をつないでいた。命は、なんとか助かりそうだった。
けれど、和平はもう、ここで終わるかもしれなかった。
隣国の供の者たちが、剣の柄に手をかけてこちらをにらんでいる。
「胡桃だ。胡桃を食わせたな」
「そんなはずはない!」
レオンの顔からは、血の気が引いていた。
そこへ、太った男が若い料理人の腕をつかんで引きずってきた。
料理長のバルトーだった。
「殿下、こやつです! 魚のソースを受け持っていたのは、このニコでございます!」
「ち、違います! 僕は、胡桃なんて……!」
まだ十七、八の少年だった。白い前掛けが震えている。
「わしの厨房に胡桃など置いておらん。ならば、こやつがこっそり持ちこんだに決まっておる」
バルトーは、ろくに話も聞かずにまくし立てた。
すると、セリーヌが一歩前へ出た。
「わたくし、見ましたわ」
広間の目が、いっせいに彼女に向いた。
「ダミアン様とお皿を受け取りにいったとき、その子が、小さな瓶を持っているのを。何かを、お皿に垂らしていましたわ」
ニコの顔が、真っ白になった。
「うそです! 僕、そんなこと……!」
「ほらな」
ダミアンが、肩をすくめた。
「下働きの考えることは分からん。ヴェステルに恨みでもあったんだろう。殿下、すぐに牢へ」
衛兵が、ニコの両腕をつかんだ。
* * *
コレットは、自分の前の皿を見た。
同じ魚。同じソース。
まだ、ひと口も食べていない。
——何も口にするな。
ダミアンの声が、耳の奥に残っていた。
コレットは立ち上がった。
まっすぐ、使者の席へ歩いていく。
「おい、コレット。何をしている」
ダミアンの声を、聞かなかったことにした。
「殿下。使者様のお皿を、ひと匙だけいただいてもよろしいでしょうか」
「……君は?」
「ブランシェ子爵家の、コレットと申します」
レオンは、一瞬だけ迷った。それから、うなずいた。
コレットは、きれいな匙を取った。使者の皿のソースを、ほんの少しすくう。
口に運んだ。
香草。バター。白ぶどう酒。魚のだし。
そして、その上に浮いている、べつの味。
知っている。
十日前に、無理やり食べさせられた味だ。
「胡桃の油です」
コレットは言った。
「ほら見ろ、やっぱり——」
「ですが、ソースには混ざっておりません。上に、浮いたままです」
ダミアンの言葉が止まった。
「殿下。厨房のお鍋に残っているソースを、持ってきていただけますか」
すぐに小さな鍋が運ばれてきた。
コレットは、それもひと匙すくって口に入れた。
「お鍋には、胡桃は入っておりません」
広間が、ざわりと揺れた。
「このソースを作った方は、とても丁寧です。バターを焦がさないように、火から下ろして混ぜています。こんなに丁寧な方が、胡桃の油を入れるなら、ちゃんと混ぜるはずです」
ニコが、目をまるくしてコレットを見ていた。
「使者様のお皿の油は、ソースができあがったあとで、上から垂らされたものです」
「そ、そんなもの、舌ひとつで何が分かる!」
ダミアンが声を上げた。コレットは、彼のほうを向いた。
「それから、この胡桃油は、樽で三年以上寝かせたものです。少し古くなっています」
「……」
「皆さま、覚えていらっしゃいますか。十日前の、グラニエ家のお茶会です」
コレットは、広間を見回した。
あの日、笑っていた顔が、いくつもあった。
「ダミアン様は、こうおっしゃいました。この胡桃油は、うちの領地の古い樽でしか作れない。国じゅう探しても、この味はグラニエ家にしかない、と」
しん、と音が消えた。
「私も、そう思います。同じ味の胡桃油は、ほかに知りません」
* * *
「ば、馬鹿を言え! 皿を運んだだけで——」
「衛兵」
レオンの声は、低かった。
「グラニエ卿の、上着を改めてくれ」
「無礼な! 俺は侯爵家の——」
衛兵は、ダミアンの言葉を待たなかった。
上着の内側から、親指ほどの小さな銀の瓶が出てきた。
「ただの香油だ!」
「ブランシェ嬢」
レオンが瓶のふたを開け、コレットに差し出した。
彼女は、指先にほんのひとしずくだけつけて、なめた。
「同じ樽のものです。お茶会でいただいたものと、同じです」
ダミアンの顔から、色が抜けていった。
そのとき、ニコがかすれた声で言った。
「……僕は、お皿を、侯爵令息様に直接お渡ししました。そのときは、ソースの上に何も浮いていませんでした」
「やはり、お皿が厨房を出たあとですね」
コレットが小さく言うと、みんなの目が、ゆっくりとセリーヌに向いた。
「小さな瓶を持っていたのは、あの子だと。そうおっしゃいましたね、ロシュ嬢」
レオンが言った。
「瓶は、ここにありますが」
「わ、わたくしは……」
セリーヌは、ダミアンの腕から手を離した。一歩、また一歩と下がっていく。
「わたくしは何も知りませんわ! ダミアン様が、そう言えばいいと……わたくしは、言われたとおりに……!」
「セリーヌ!」
「近寄らないでくださいませ!」
さっきまでダミアンの腕にかかっていた手が、今は彼を押しのけていた。
* * *
「ち、父上!」
ダミアンは、広間の奥に座っていた父親を振り返った。
ハロルド・グラニエ侯爵は、ゆっくりと立ち上がった。
「殿下。この愚か者は、今この時をもって、グラニエ家とは関わりのない者といたします。家の者がしでかしたこと、まことに申し訳なく——」
「父上!?」
「ちょうどよかった、侯爵」
レオンは、侯爵の言葉をさえぎった。
「この半年、国境の砦に納められた麦の帳簿を調べていました。値が、よその三倍。納めていたのは、グラニエ家です」
侯爵の口が、止まった。
「和平が結ばれれば、砦は半分に減らされる。その話が決まった翌月から、グラニエ家の者が、使者殿の好き嫌いをしきりに尋ねて回っていたそうですね。……ご子息ひとりが思いつくことだとは、僕には思えない」
「そ、それは……」
「父上が言ったんじゃないか!」
ダミアンが叫んだ。
「和平さえつぶれれば、また麦が売れると! 胡桃油を使えと言ったのも父上だ! うちにしかない油なら、足がつかないだろうと——」
そこまで言って、ダミアンは自分の口を押さえた。
遅かった。
広間じゅうの人間が、その言葉を聞いていた。
「……うちにしかない油だから、足がつかない」
コレットは、小さくくり返した。
「逆です、ダミアン様。うちにしかない油だから、すぐに分かったのです」
侯爵は、椅子にくずれ落ちた。
* * *
衛兵に両腕をつかまれながら、ダミアンは、コレットを見た。
「コ、コレット。お前なら分かってくれるよな?」
声が、ひっくり返っていた。
「婚約破棄は取り消す。やり直そう。お前の舌は、うちの家にこそ役に立つ。な?」
コレットは、彼をまっすぐに見た。
「承った婚約破棄を、取り消すつもりはございません」
「コレット……!」
「それに、ダミアン様」
彼女は、少しだけ首をかしげた。
「今のお言葉、あの胡桃油と同じ味がいたします。寝かせすぎて、もう、いただけません」
ダミアンは、何も言い返せないまま、引きずられていった。
* * *
それから、ひと月がたった。
オスカー卿は三日で起き上がれるようになった。
そして、自分から「和平の話を続けたい」と言ってくれた。
「あの令嬢の舌が、二つの国を救ったのです。私が恨みを言えば、あの方に顔向けができない」
和平は、予定より少し遅れて、無事に結ばれた。
グラニエ侯爵家は、爵位も領地も取り上げられた。砦への麦の商いも、すべて王家のものになった。
ハロルドとダミアンは、そろって北の塔へ送られた。自慢の古い樽は、ひとつ残らず割られたと聞いた。
セリーヌは、王族の前でうその証言をした罪で、遠い修道院へ入れられた。
ロシュ伯爵家は大きな罰金を払い、しばらくは社交界に顔を出せないそうだ。
料理長のバルトーは、ろくに調べもせずに部下を罪人にしかけたとして、職を解かれた。
新しい料理長には、ニコが選ばれた。まだ若すぎるという声もあったが、レオンが「あのソースを作れる者なら」と押し切った。
そして、あのお茶会で笑っていた人たちは——。
「コレット様、ぜひ今度、わが家のお茶会に」
「まあ、なんて素晴らしいお力でしょう。前から、ただ者ではないと思っておりましたのよ」
手のひらを返したように、ブランシェ家に招待状と贈り物が届くようになった。
コレットは、そのすべてに、同じ返事を書いた。
『お茶会でしたら、先日たっぷりいただきましたので。もう、けっこうです』
* * *
王宮に呼ばれたのは、よく晴れた日の昼だった。
通されたのは、厨房のとなりの小さな部屋だった。テーブルには、湯気の立つスープがひと皿。
レオンが、少しそわそわしながら立っていた。
「来てくれてありがとう。……座って、食べてみてほしい」
コレットは、匙を取ってひと口飲んだ。
玉ねぎ。鶏のだし。月桂樹の葉。
それから。
「玉ねぎを、少し焦がしましたね」
「うっ」
「塩は、二回入れています。二回目は、たぶん入れたのを忘れて」
「……うん」
「それと、ニコさんの味ではありません。ニコさんは、こんなに慌てて混ぜません」
レオンは、両手で顔をおおった。
「全部、分かるんだね」
「全部ではありません」
コレットは、もうひと口飲んだ。
少ししょっぱい。焦げた玉ねぎが、ほんのり苦い。
けれど、作った人が、この一皿のためにどれだけ時間をかけたのかは、よく分かった。
「殿下が、お作りになったのですか」
「ニコに教わって、三回失敗した。これが四回目だ」
レオンは、観念したように椅子に座った。
「君の舌は、料理番の舌なんかじゃない。あの夜、僕の和平を救ってくれた舌だ。……だから、ちゃんと言いたかった。王家の食卓で、これからも力を貸してほしい」
「毒見役、でしょうか」
「違う」
レオンは、首を横に振った。
「それは、半分だけ本当の理由だ」
「では、もう半分は」
「……君と、毎日いっしょにご飯を食べたい」
言ってから、レオンの耳が赤くなった。
コレットは、スープの皿に目を落とした。
人前で物を食べないようにして、何年たっただろう。
食べれば、また何か言われる。当てれば笑われて、当てなければつまらないと言われる。
けれど、この人は、自分の作った失敗作を、わざわざ彼女に食べさせた。
全部当てられると、分かっていて。
「殿下」
「うん」
「塩が、少し多いです」
「……うん」
「でも、とてもおいしいです」
コレットは、残りのスープをゆっくりと飲みほした。
ひと口で、だいたいのことは分かる。
この一皿が、誰のために作られたのかも。
「……はい、殿下。毎日、ごいっしょいたします」
からっぽになった皿を見て、レオンが、子どものように笑った。
お読みいただきありがとうございました。
「料理番の舌」と笑われた舌が、自慢の油で、自慢した本人を追いつめる。そんなお話でした。
いちばん書きたかったのは、最後の焦げたスープです。
全部当てられると分かっていて、それでも食べてほしいと思う人がいる。それがきっと、いちばんのごちそうです。
シリーズ「ふしぎな力を持つ令嬢たち」の一作です。ほかの令嬢たちのお話も、よろしければどうぞ。




