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ふしぎな力を持つ令嬢たち

味を知る令嬢

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/10/02

「料理番の舌」と笑われてきた令嬢が、和平の晩餐会で、たったひと匙のソースを口にしたとき。

婚約破棄、ざまぁ、そしてハッピーエンド。一話完結です。

 ひと口で、だいたいのことは分かる。


 何が入っているか。どこで取れたものか。いつ作られたか。誰が、どんな手つきで作ったか。

 コレット・ブランシェの舌は、生まれたときからそういう舌だった。


 子どもの頃は、それが自慢だった。

 今は、なるべく人前で物を食べないようにしている。


  * * *


「コレット、こっちへ来い。皆さまがお前の芸を見たいそうだ」


 グラニエ侯爵家の庭で開かれたお茶会。

 婚約者のダミアン・グラニエは、薄く切ったパンを乗せた皿を手に、彼女を呼んだ。


「うちの料理人が作った、家伝のソースだ。何が入っているか当ててみろ」


 令嬢たちがくすくすと笑う。

 ダミアンの隣には、伯爵令嬢のセリーヌ・ロシュが立っていた。最近、なぜかいつも隣にいる人だ。


「まあ、コレット様って、そんなことがおできになるの?」


「できるさ。こいつの舌は、令嬢の舌じゃない。料理番の舌だ」


 どっと笑いが起きた。


 コレットは黙ってパンを受け取り、ひと口かじった。

 断れば、「つまらない女だ」と言われる。それも、もう三年ぶん聞いた。


「……ぶどう酢。春の蜂蜜。からし。塩は南の海のものです」


「ほう」


「それから、胡桃の油。樽で寝かせたものですね。三年……いえ、もう少し。少し古くなっています」


 ダミアンの眉が、ぴくりと動いた。


「古いんじゃない。熟れているんだ」


 彼は皿を高く掲げて、周りに聞こえるように言った。


「この胡桃油は、うちの領地の古い樽でしか作れない。国じゅう探しても、この味はグラニエ家にしかないんだ」


「さすがですわ、ダミアン様」


 セリーヌが手を叩いた。つられて何人かが拍手をした。


「ほらな。こいつは味しか分からないが、うちには味そのものがある。どっちが上か、はっきりしているだろう?」


 また、笑いが起きた。

 コレットは口の中に残った古い油の味を、黙って飲みこんだ。


  * * *


 それから十日後。

 王宮で、和平の晩餐会が開かれた。


 隣国ヴェステルとは、もう何十年も国境で争いが続いている。

 その争いを終わらせる話をまとめたのが、第二王子のレオンだった。今夜は、隣国の使者オスカー卿を迎えて、和平のしるしに食卓を囲む。


「いいか、今夜は何も口にするな」


 晩餐の前、控えの間で、ダミアンはコレットに言った。


「料理を当てる芸なんかされたら、グラニエ家の恥だ。……まあ、それも今夜で最後だがな」


「最後、ですか」


 ダミアンは答えずに、控えの間の真ん中へ出ていった。

 そして、わざと大きな声で言った。


「皆さま、お聞きください。俺、ダミアン・グラニエは、コレット・ブランシェとの婚約を破棄いたします」


 控えの間が、しんとした。


「料理番の舌の女は、侯爵家にはいりません。新しい婚約者は、こちらのセリーヌ・ロシュ嬢です」


 セリーヌが、ダミアンの腕に手をかけてほほえんだ。

 小さな笑い声が、あちこちで起きた。お茶会で笑っていた顔が、ほとんどそろっていた。


 コレットは、少しだけ考えた。

 悲しいかどうか、自分の胸に聞いてみた。


 思ったより、何も感じなかった。


「承りました」


 それだけ言って、頭を下げた。


  * * *


 晩餐会は、静かに始まった。


 レオン王子が杯を上げ、オスカー卿に向かって言った。


「使者殿が胡桃を口にされると、お体にさわると伺っております。今夜のお料理には、胡桃はひとかけらも使っておりません。どうぞ、ご安心を」


「お心づかい、痛み入ります」


 オスカー卿は、日に焼けた顔をほころばせた。


 三皿目は、白身魚に香草のソースをかけたものだった。

 使者の皿だけは、侯爵家の者が運ぶ。それが今夜の礼として決められていて、その役を引き受けたのがグラニエ家だった。


 ダミアンが、厨房の入口から皿を受け取る。セリーヌが後ろについていく。

 彼はうやうやしく、オスカー卿の前に皿を置いた。


 コレットの前にも、同じ皿が置かれていた。

 言われたとおり、手はつけなかった。


 オスカー卿が、魚をひと口食べた。


 それから、しばらくして。

 使者の手から、フォークが落ちた。


「……っ」


 のどを押さえて、椅子ごと体が傾く。顔がみるみる赤くなって、息が細い笛のような音を立てた。


「侍医を!」


 レオンが叫んだ。広間が、一気にさわがしくなった。


  * * *


 侍医がすぐに駆けつけ、薬を飲ませた。

 オスカー卿は、青い顔でどうにか息をつないでいた。命は、なんとか助かりそうだった。


 けれど、和平はもう、ここで終わるかもしれなかった。

 隣国の供の者たちが、剣の柄に手をかけてこちらをにらんでいる。


「胡桃だ。胡桃を食わせたな」


「そんなはずはない!」


 レオンの顔からは、血の気が引いていた。


 そこへ、太った男が若い料理人の腕をつかんで引きずってきた。

 料理長のバルトーだった。


「殿下、こやつです! 魚のソースを受け持っていたのは、このニコでございます!」


「ち、違います! 僕は、胡桃なんて……!」


 まだ十七、八の少年だった。白い前掛けが震えている。


「わしの厨房に胡桃など置いておらん。ならば、こやつがこっそり持ちこんだに決まっておる」


 バルトーは、ろくに話も聞かずにまくし立てた。


 すると、セリーヌが一歩前へ出た。


「わたくし、見ましたわ」


 広間の目が、いっせいに彼女に向いた。


「ダミアン様とお皿を受け取りにいったとき、その子が、小さな瓶を持っているのを。何かを、お皿に垂らしていましたわ」


 ニコの顔が、真っ白になった。


「うそです! 僕、そんなこと……!」


「ほらな」


 ダミアンが、肩をすくめた。


「下働きの考えることは分からん。ヴェステルに恨みでもあったんだろう。殿下、すぐに牢へ」


 衛兵が、ニコの両腕をつかんだ。


  * * *


 コレットは、自分の前の皿を見た。


 同じ魚。同じソース。

 まだ、ひと口も食べていない。


 ——何も口にするな。


 ダミアンの声が、耳の奥に残っていた。


 コレットは立ち上がった。

 まっすぐ、使者の席へ歩いていく。


「おい、コレット。何をしている」


 ダミアンの声を、聞かなかったことにした。


「殿下。使者様のお皿を、ひと匙だけいただいてもよろしいでしょうか」


「……君は?」


「ブランシェ子爵家の、コレットと申します」


 レオンは、一瞬だけ迷った。それから、うなずいた。


 コレットは、きれいな匙を取った。使者の皿のソースを、ほんの少しすくう。

 口に運んだ。


 香草。バター。白ぶどう酒。魚のだし。

 そして、その上に浮いている、べつの味。


 知っている。

 十日前に、無理やり食べさせられた味だ。


「胡桃の油です」


 コレットは言った。


「ほら見ろ、やっぱり——」


「ですが、ソースには混ざっておりません。上に、浮いたままです」


 ダミアンの言葉が止まった。


「殿下。厨房のお鍋に残っているソースを、持ってきていただけますか」


 すぐに小さな鍋が運ばれてきた。

 コレットは、それもひと匙すくって口に入れた。


「お鍋には、胡桃は入っておりません」


 広間が、ざわりと揺れた。


「このソースを作った方は、とても丁寧です。バターを焦がさないように、火から下ろして混ぜています。こんなに丁寧な方が、胡桃の油を入れるなら、ちゃんと混ぜるはずです」


 ニコが、目をまるくしてコレットを見ていた。


「使者様のお皿の油は、ソースができあがったあとで、上から垂らされたものです」


「そ、そんなもの、舌ひとつで何が分かる!」


 ダミアンが声を上げた。コレットは、彼のほうを向いた。


「それから、この胡桃油は、樽で三年以上寝かせたものです。少し古くなっています」


「……」


「皆さま、覚えていらっしゃいますか。十日前の、グラニエ家のお茶会です」


 コレットは、広間を見回した。

 あの日、笑っていた顔が、いくつもあった。


「ダミアン様は、こうおっしゃいました。この胡桃油は、うちの領地の古い樽でしか作れない。国じゅう探しても、この味はグラニエ家にしかない、と」


 しん、と音が消えた。


「私も、そう思います。同じ味の胡桃油は、ほかに知りません」


  * * *


「ば、馬鹿を言え! 皿を運んだだけで——」


「衛兵」


 レオンの声は、低かった。


「グラニエ卿の、上着を改めてくれ」


「無礼な! 俺は侯爵家の——」


 衛兵は、ダミアンの言葉を待たなかった。

 上着の内側から、親指ほどの小さな銀の瓶が出てきた。


「ただの香油だ!」


「ブランシェ嬢」


 レオンが瓶のふたを開け、コレットに差し出した。

 彼女は、指先にほんのひとしずくだけつけて、なめた。


「同じ樽のものです。お茶会でいただいたものと、同じです」


 ダミアンの顔から、色が抜けていった。


 そのとき、ニコがかすれた声で言った。


「……僕は、お皿を、侯爵令息様に直接お渡ししました。そのときは、ソースの上に何も浮いていませんでした」


「やはり、お皿が厨房を出たあとですね」


 コレットが小さく言うと、みんなの目が、ゆっくりとセリーヌに向いた。


「小さな瓶を持っていたのは、あの子だと。そうおっしゃいましたね、ロシュ嬢」


 レオンが言った。


「瓶は、ここにありますが」


「わ、わたくしは……」


 セリーヌは、ダミアンの腕から手を離した。一歩、また一歩と下がっていく。


「わたくしは何も知りませんわ! ダミアン様が、そう言えばいいと……わたくしは、言われたとおりに……!」


「セリーヌ!」


「近寄らないでくださいませ!」


 さっきまでダミアンの腕にかかっていた手が、今は彼を押しのけていた。


  * * *


「ち、父上!」


 ダミアンは、広間の奥に座っていた父親を振り返った。

 ハロルド・グラニエ侯爵は、ゆっくりと立ち上がった。


「殿下。この愚か者は、今この時をもって、グラニエ家とは関わりのない者といたします。家の者がしでかしたこと、まことに申し訳なく——」


「父上!?」


「ちょうどよかった、侯爵」


 レオンは、侯爵の言葉をさえぎった。


「この半年、国境の砦に納められた麦の帳簿を調べていました。値が、よその三倍。納めていたのは、グラニエ家です」


 侯爵の口が、止まった。


「和平が結ばれれば、砦は半分に減らされる。その話が決まった翌月から、グラニエ家の者が、使者殿の好き嫌いをしきりに尋ねて回っていたそうですね。……ご子息ひとりが思いつくことだとは、僕には思えない」


「そ、それは……」


「父上が言ったんじゃないか!」


 ダミアンが叫んだ。


「和平さえつぶれれば、また麦が売れると! 胡桃油を使えと言ったのも父上だ! うちにしかない油なら、足がつかないだろうと——」


 そこまで言って、ダミアンは自分の口を押さえた。


 遅かった。

 広間じゅうの人間が、その言葉を聞いていた。


「……うちにしかない油だから、足がつかない」


 コレットは、小さくくり返した。


「逆です、ダミアン様。うちにしかない油だから、すぐに分かったのです」


 侯爵は、椅子にくずれ落ちた。


  * * *


 衛兵に両腕をつかまれながら、ダミアンは、コレットを見た。


「コ、コレット。お前なら分かってくれるよな?」


 声が、ひっくり返っていた。


「婚約破棄は取り消す。やり直そう。お前の舌は、うちの家にこそ役に立つ。な?」


 コレットは、彼をまっすぐに見た。


「承った婚約破棄を、取り消すつもりはございません」


「コレット……!」


「それに、ダミアン様」


 彼女は、少しだけ首をかしげた。


「今のお言葉、あの胡桃油と同じ味がいたします。寝かせすぎて、もう、いただけません」


 ダミアンは、何も言い返せないまま、引きずられていった。


  * * *


 それから、ひと月がたった。


 オスカー卿は三日で起き上がれるようになった。

 そして、自分から「和平の話を続けたい」と言ってくれた。


「あの令嬢の舌が、二つの国を救ったのです。私が恨みを言えば、あの方に顔向けができない」


 和平は、予定より少し遅れて、無事に結ばれた。


 グラニエ侯爵家は、爵位も領地も取り上げられた。砦への麦の商いも、すべて王家のものになった。

 ハロルドとダミアンは、そろって北の塔へ送られた。自慢の古い樽は、ひとつ残らず割られたと聞いた。


 セリーヌは、王族の前でうその証言をした罪で、遠い修道院へ入れられた。

 ロシュ伯爵家は大きな罰金を払い、しばらくは社交界に顔を出せないそうだ。


 料理長のバルトーは、ろくに調べもせずに部下を罪人にしかけたとして、職を解かれた。

 新しい料理長には、ニコが選ばれた。まだ若すぎるという声もあったが、レオンが「あのソースを作れる者なら」と押し切った。


 そして、あのお茶会で笑っていた人たちは——。


「コレット様、ぜひ今度、わが家のお茶会に」


「まあ、なんて素晴らしいお力でしょう。前から、ただ者ではないと思っておりましたのよ」


 手のひらを返したように、ブランシェ家に招待状と贈り物が届くようになった。


 コレットは、そのすべてに、同じ返事を書いた。


『お茶会でしたら、先日たっぷりいただきましたので。もう、けっこうです』


  * * *


 王宮に呼ばれたのは、よく晴れた日の昼だった。


 通されたのは、厨房のとなりの小さな部屋だった。テーブルには、湯気の立つスープがひと皿。

 レオンが、少しそわそわしながら立っていた。


「来てくれてありがとう。……座って、食べてみてほしい」


 コレットは、匙を取ってひと口飲んだ。


 玉ねぎ。鶏のだし。月桂樹の葉。

 それから。


「玉ねぎを、少し焦がしましたね」


「うっ」


「塩は、二回入れています。二回目は、たぶん入れたのを忘れて」


「……うん」


「それと、ニコさんの味ではありません。ニコさんは、こんなに慌てて混ぜません」


 レオンは、両手で顔をおおった。


「全部、分かるんだね」


「全部ではありません」


 コレットは、もうひと口飲んだ。

 少ししょっぱい。焦げた玉ねぎが、ほんのり苦い。


 けれど、作った人が、この一皿のためにどれだけ時間をかけたのかは、よく分かった。


「殿下が、お作りになったのですか」


「ニコに教わって、三回失敗した。これが四回目だ」


 レオンは、観念したように椅子に座った。


「君の舌は、料理番の舌なんかじゃない。あの夜、僕の和平を救ってくれた舌だ。……だから、ちゃんと言いたかった。王家の食卓で、これからも力を貸してほしい」


「毒見役、でしょうか」


「違う」


 レオンは、首を横に振った。


「それは、半分だけ本当の理由だ」


「では、もう半分は」


「……君と、毎日いっしょにご飯を食べたい」


 言ってから、レオンの耳が赤くなった。


 コレットは、スープの皿に目を落とした。


 人前で物を食べないようにして、何年たっただろう。

 食べれば、また何か言われる。当てれば笑われて、当てなければつまらないと言われる。


 けれど、この人は、自分の作った失敗作を、わざわざ彼女に食べさせた。

 全部当てられると、分かっていて。


「殿下」


「うん」


「塩が、少し多いです」


「……うん」


「でも、とてもおいしいです」


 コレットは、残りのスープをゆっくりと飲みほした。


 ひと口で、だいたいのことは分かる。

 この一皿が、誰のために作られたのかも。


「……はい、殿下。毎日、ごいっしょいたします」


 からっぽになった皿を見て、レオンが、子どものように笑った。


お読みいただきありがとうございました。

「料理番の舌」と笑われた舌が、自慢の油で、自慢した本人を追いつめる。そんなお話でした。


 いちばん書きたかったのは、最後の焦げたスープです。

 全部当てられると分かっていて、それでも食べてほしいと思う人がいる。それがきっと、いちばんのごちそうです。


 シリーズ「ふしぎな力を持つ令嬢たち」の一作です。ほかの令嬢たちのお話も、よろしければどうぞ。

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