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バートの手当てを受けたアルノは着替えてから、カレルたちの住む家に向かった。崖から落ちたときにぼさぼさになった髪は今は整えられている。村に入った当初、村人が胡散臭そうに見てくるはずである。後頭部に沿って短く切りそろえた黒髪は、すっきりとして形のいい顔の輪郭を際立たせている。
村の片隅にあるこぢんまりした建物が見えてきた。ここに、六人で暮らしているのだという。
周囲には民家がなく、そのせいか敷地は広い。敷地にめぐらされた囲いの柵はところどころ壊れていた。大きな穴が開いたところから、ぷるんとしたひと抱えの楕円形のものが見える。少してっぺんが盛り上がった楕円形で、晴れた空のような明るい青色だ。
「だめよう、チュライム。でちゃ、だめ!」
高く愛らしい声が敷地内から聞こえてくる。
驚いたことに、スライムはその声に呼応するように、今にも柵の隙間から出てきそうだったのが、中へ引っ込んだ。
アルノは思わず身を乗り出して柵の中を覗き込んだ。
金髪の小さな子供がしゃがんでスライムを撫でている。
「いいこねえ、チュライム、いいこ!」
「スライムは動きはのろいが、魔物なんだ。君は怖くないのか?」
アルノが自分のことを棚に上げて尋ねると、子供は顔を上げて唇を尖らせる。
「こわくないもん!」
「そうか。そのスライムは君の言うことがわかるようだな」
「ちょうなの! チュライムはとってもかちこいのよ!」
素直さが現れた目元、青い目をまん丸に見開いてスライムへの並々ならぬ情熱を語ってみせる幼児はメイニと名乗った。
軋む柵を勝手に開けて中に入ったアルノは、メイニに断ってそばにしゃがみこむと、あれこれとスライムについて話し始めた。庭には何匹もスライムがいるようだ。
「このこはねえ、」
「ほう、メイニはスライムの区別がつくのか」
「うん!」
えっへんとばかりに胸を張る。胸よりも丸いお腹が突き出る。
「じゃあ、」
「あの、どちらさまですか?」
すっかりメイニとスライム談義に夢中になっていたと気づいたのは、女性にそう声をかけられたときだ。物音を聞きつけたらしい女性が家の扉を開いて半身を出している。完全に外に体を出していないのは見知らぬ人間を警戒してのことだろう。
アルノは十代後半の女性の姿を見上げながら、この人がリシェルかなと考えていた。立ち上がりもしない。
平然としたアルノに、亜麻色の髪にやさしく落ち着いたセージグリーンの瞳をした女性は困惑する。
「勝手に入って済まない。俺はアルノ・カルフォシスという。昼間、ここに住むカレルとチエムに世話になったので、改めて礼を言いに来たんだ」
「ああ、崖から落ちたという旅人さんですね」
アルノは、女性からやや警戒が薄れた雰囲気を感じとる。そうすると、どこか透明感があるのを見て取れる。
「リチェル、アルノね、とってもものちりなの! がくちゃたんなんだって」
メイニが跳ねるようにして立ち、目を輝かせて女性に訴える。
「学者さん」
女性は思わずという風につぶやく。
「チュライムのことをおちえてあげていたの!」
えっへんとばかりに胸を張るメイニに、アルノは大きくうなずく。
「メイニはよくスライムのことを観察している」
アルノは心から感心して言った。
「えへへえ」
アルノが褒めると笑み崩れる。その足元でスライムがゆるゆると動いている。
「メイニから聞いたんだが、君がスライムを使役しているのだそうだな」
「え、ええ、まあ」
女性はリチェルではなくリシェルだと名乗った。
ようやく立ち上がったアルノに、今度はリシェルが見上げる形となる。
「それで、いろいろ実験をしているそうじゃないか!」
「は、はあ」
アルノの興奮気味の様子に驚きつつも、リシェルはなんだかなつかしい気持ちになった。
「その実験について、話を聞かせてもらえないか?」
「リシェル、不審者がいるって、誰か呼んでこようか?」
チエムより年下でメイニよりも年上のおしゃまな子供が、いつの間にか家の扉から顔を出し、うろんげな視線をアルノに注いでいた。
崖から落ちたときに出会った子供、カレルとチエムは、十八歳のリシェル、七歳のエニー、五歳のティコ、そして三歳のメイニとともに暮らしている。
夕日が家や柵、木々といったすべてのものの輪郭をくっきりと黒く浮き出たせる中、騒ぎを聞きつけて家から出てきたカレルとチエムは、アルノを見て呆れた顔をした。そのふたりの後ろに隠れるようにしてティコが所在なさげに立っている。
「なんだ、結局来ちゃったのか」
「メイニにいろいろスライムについて教わっていたんだ」
チエムが腕組みをしながら顔をしかめるも、アルノはまったく気にせずにこぶしを握り締める。
「あー、そいつら、リシェル以外ならメイニに一番懐いているからな」
カレルが頭をかきながら言う。
「ちゃんということをきくのよ! はっぱとかをいっぱいたべたら、からだがおおきくなるの」
「伸展能力が高いのか? すごいな」
「うん!」
「それで―――」
鼻息の荒いメイニに、アルノは今にもしゃがみ込んで同じ目線になりそうだ。
「ちょっと待った。スライムのことは後回しだ」
「えー」
放っておいたらまたスライム談義を始めそうだと察したカレルの制止に、アルノが不服そうな顔つきになる。
エニーが大丈夫かしらこの人、という目つきでアルノを見やる。すっかり子供っぽい人、という認識が出来上がっている。
その視線をリシェルに移し、気づかわし気な顔をする。
「リシェル、大丈夫そうね」
「うん。学院のときも学者さんはこんな風だったわ。なにかに夢中になると、とたんにほかに意識がいかなくなるの」
なつかしそうに目を細める表情には、笑いをこらえるような雰囲気がある。エニーは内心安堵する。
「へえ、君は学院にいたのか」
ふたりの話を聞きつけ、アルノが振り向く。
「え、ええ」
腰が引けた様子のリシェルに、エニーが慌てて自己紹介をする。続いて、ティコやメイニのことも話す。いつもそうやって年下の子供たちの世話を焼いているのだろう。
「メイニはたぶん、三歳くらいよ」
「くらい?」
気をひかれて繰り返したアルノに、エニーは肩をすくめる。七歳だというエニーのそんな仕草は彼女を大人びて見せた。
「正確な誕生日がわからないの。神殿の前に捨てられていたから」
「村の誰かの子供じゃないのか?」
「違うよ」
「こんな小さな村なら互いに動向を把握してらあ」
アルノの問いに答えたのはカレルとチエムだ。
「もうね、誰かが新しい道具を買ったとか、服を買ったとか、そんなことでもみんな知れ渡っているのよ」
「あれ、怖いよなあ。魔法かなんかじゃないか?」
エニーがため息交じりに言うと、チエムがそれそれ、とばかりに人差し指を立てる。
「そんな魔法が使えたら、一流魔法使いだ」
カレルが笑うと、エニーもチエムもいっしょに笑みをこぼすが、リシェルは痛みをこらえるようにかすかに顔をしかめた。エニーは気づかず、話を続ける。
「わたしたち、バートさんが来る前にいた聖職者のジムさんと暮らしていたのよ」
その聖職者は高齢で、一年前に亡くなった。
「死んじゃう前から、高齢でろくに動けないから新しい人を寄こしてくれって、何度も手紙を出したのよ? 代わりのバートさんがようやく来たのは二か月前よ」
前聖職者が亡くなった後、子供たちの面倒は村人が交代で見たという。
「でも、やっぱり農繁期に関係のない子供のことに関わっている暇なんてないって感じで、放ったらかしよ」
「どうやって暮らしていたんだ?」
「農繁期はとにかく忙しいから、俺やチエムが手伝うことで食料や日用品を駄賃にもらって、それでなんとかなっていたんだ」
「わたしが弟とメイニの面倒を見ていたの」
エニーとティコは姉弟なのだという。
そんな風にしてなんとか暮らしていたところへ、リシェルが学院を卒業して村へ戻ってきた。
「それで、リシェルがジムさんの代わりを務めるようになったということか」
「わたしは学院に入学する少し前に両親を亡くしていたので、ちょうどよかったんです」
アルノはリシェルの言葉を、村に戻ってきたばかりで割り振られた役割がない、手空きだから、という意味に受け取った。
「リシェルが代筆をして稼いでくれているから、大分楽になった」
カレルは最年長者として、リシェルが引き取ってくれるまで、気を張っていたのだろう。
「村の人たちったらひどいのよ。ようやっと来てくれた聖職者だからって、ビートさんには子供の面倒なんて見させられないっていうの」
「その「面倒なんて」ことを、リシェルには押し付けられるってんだからなあ」
「でも、わたしは村の人たちの期待に応えることができなかったんだもの」
エニーとチエムは憤慨するも、リシェルが気後れする風に肩を落とす。エニーとチエムがなにか言わなくてはと力むが言葉が出てこない。カレルが口を開いた。
「まあ、そんなわけで、村の人たちは新しい聖職者様に面倒ごとを押し付けてはならないってことで、俺たちはそのままリシェルと暮らしているんだ」
カレルがそう、話をまとめる。
「訳が分かったら、もう用事は済んだだろう? もう暗くなってきているし、神殿へ戻りなよ」
「名ばかり神殿のおんぼろ小屋にな」
アルノをどうにかして早く追い返そうというカレルに、チエムがにやにや笑う。
アルノは逆らわずに神殿に戻った。
「わるいすらいむじゃないよ!」
「おとこのこなの?」
「わかんなーい」
「じゃあ、おんなのこ?」
「わかんなーい」
「じゃあ、すらいむ?」
「わかんなーい」
「「「ぷるぷるぷるぷるぷるぷる」」」




