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籠の中の三国志  作者: ゆう
1 王允編
3/17

【王允編3】いつも通りの朝

遠く、鶏が鳴き始めた。

だが、夜明けには早すぎる。



王允は目を閉じたまま、耳を澄ました。

もう一匹、別の鶏が応じるように鳴いた。


それから、静けさが戻った。

王允は祈るように、いや、どこか暗い予感を抱いたまま、再び床に横たわった。


眠れるはずなどない。


ただ、闇の中で時間を待つしかなかった。




やがて、長安の城門が開く重い音が、遠く響いた。

鈍い、鉄の軋むような音。

毎朝、同じ時刻に聞こえる、あの音。


王允はゆっくりと目を開けた。


部屋はまだ薄暗く、灯りはとうに消えていた。

膝の上の錦の布は、冷えきっていた。


七星剣のあった場所が、空虚に残っている。


外では、朝靄が立ち込め始めていた。

窓の隙間から覗く空は、灰色に濁り、街の屋根々がぼんやりと浮かび上がるだけ。


市井の声が、徐々に聞こえ始めた。


馬車の車輪が石畳を転がる音。

行商の呼び声。

井戸端で水を汲む女たちの囁き。

子供が走り回る足音。


──いつも通りだ。

王允は立ち上がり、窓辺に寄った。

霧の向こうに、長安の街が動き始めている。

商人たちが店を開き、役人たちが邸を出て、兵士たちが交代のために城壁を歩く。


何も、変わっていない。


昨夜、あの男が七星剣を携えて去ったというのに。

董卓の館で、何かが起きた気配すらない。

騒ぎの声も、血の匂いも、伝わってこない。


王允の胸の奥が、静かに冷えていった。

それは、安堵ではなかった。

絶望でもなかった。

ただ、凍てつくような、底知れぬ不安だけが、そこに広がっていた。


屋敷の廊下で、家人の足音が近づいてきた。

老いた家令が、朝の支度を告げにきたのだ。


王允は袍を整え、静かに部屋を出た。

食殿では、いつものように粥と菜が並んでいた。

家人たちが控えめに朝餉を囲む。

誰もが、声を潜めて世間話を交わしている。


「今朝は静かですね。」

「昨夜は、風が強かったですが、相国のお館も、何事もなかったようで。」


王允は箸を手に取り、粥を口に運んだ。

味は、ほとんどしなかった。


家人たちの言葉は、耳に届くだけで、心には入ってこない。


何も起きていない。


それだけが、確かだった。



やがて、朝議の刻が近づいた。

王允は馬車に乗り、屋敷を出た。

長安の街は、霧が少しずつ晴れ始めていた。


市場では商人たちが声を張り上げ、荷車が石畳を軋ませて行き交う。

道端で兵士たちが槍を立て、怠惰に立っている。

女たちの声と、子供の笑い声が交じる。


いつも通り。


馬車の窓から、王允は外を眺めた。


董卓の館の方向に、煙も炎も上がっていない。

叫び声も、馬の嘶きも聞こえない。


あの男は、剣を携えて、どこへ行ったのか。


夜明けまで考えられる、と言って──

結局、何もせずに、ただ時間を潰したのか。

今日の日中に事を起こすつもりなのか。

それとも、すでに長安を離れ、七星剣を別の賭けに使おうとしているのか。


王允の指が、袍の袖の中で固く握られた。


宮殿に着いた。

馬車から降り、玉階を上る。

周りの官僚たちが、静かに集まってくる。

誰もが、顔を伏せ、声を潜めている。

朝議の間は、いつものように重い空気に満ちていた。


大臣たちが席に着き、沈黙が広がる。


誰も、昨夜のことを口にしない。

口にすれば、首が飛ぶことを、皆が知っている。


やがて、刻が来た。


相国・董卓は、いつも通りの時刻に現れた。

西涼の袍を纏い、腰に剣を佩き、玉座の傍らにどっかりと座った。


笑っていた。

いや、ただ口元が緩んでいるだけか。

判別がつかない。


王允は頭を垂れ、膝を折った。

胸の奥の冷えが、さらに深くなった。


何も起きなかった。


それだけが、何よりも不吉だった。

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