表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
籠の中の三国志  作者: ゆう
1 王允編
2/17

【王允編2】王允の決断

「司徒殿。夜分、失礼いたします。」


王允は静かに名を問うた。

男はわずかに口元を歪め、答えた。


「曹操。字は孟徳。今は相国の幕下、司空の位にありながら──」


そして、不躾に、しかし迷いなく続けた。


「七星剣を、私にお譲りください。」


部屋に、沈黙が落ちた。




部屋の灯りは、わずかに二人の影を揺らしただけだった。


曹操は座ったまま、静かに待っていた。

七星剣を求める言葉を投げてから、一言も加えない。


ただ、時折、指先で膝を軽く叩く。

そのリズムは、まるで夜明けまでの残り時間を数えているようだった。


王允は黙って、奥の戸棚を開けた。

錦に包まれた剣を手に取り、曹操の前に置くことなく、自分の膝の上に載せたまま、じっと見つめた。


北斗七星の意匠が、薄暗い灯りに鈍く光る。


先帝から下賜されたこの剣を、今ここで他人に渡せば、もう戻らない。


曹操は視線を上げなかった。

ただ、静かに言った。


「司徒殿。夜は、もう深くなっています。」


王允の指が、剣の柄に触れた。


冷たい。

いや、熱いのか。


判別がつかない。


──この男は、本当に董卓を殺すつもりなのか。

それとも、ただ剣を手に入れて、別の道を選ぶつもりか。


城門の外には、すでに馬を用意しているのでは。

夜明け前に長安を抜けられるよう、番兵に金を握らせているのかもしれない。


渡せば、漢に火が灯るかもしれない。

渡さなければ、何も変わらない。


変わらないまま、ただ董卓の酒を飲み続け、笑みを浮かべて、血の杯を傾け続けるだけ。


王允は息を吐いた。


ゆっくりと、剣を曹操の方へ滑らせた。


曹操はようやく顔を上げた。

剣を手に取り、鞘から抜くことなく、ただ重さを掌で量った。


「……思ったより、軽い。」


曹操は低く、ほとんど独り言のように呟き、鞘を抜いた。


王允の背筋に、冷たいものが走った。

いや、冷たいだけではない。

熱く、ざわつくような、獣の息づかいのようなものだった。


王允は無意識に曹操の目を覗き込んだ。

その瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。


まるで自分が刃を向けられているような、逆の恐怖。


この男の瞳の奥に、董卓を殺す覚悟などないかもしれない。

あるのは、ただ自分の命を最優先に計る、冷たい計算だけかもしれない。


だが、曹操は王允の視線に気づいた様子もなく、七星剣を鞘に戻し、静かに膝の上に置いたまま、目を落としたままで言った。


「これがあれば……夜明けまで、考えられる。」

夜明けまで。

その言葉が、王允の耳に重く響いた。


夜明けまで考えられる──ということは、今すぐ動くつもりはない、ということか。


王允の手が、わずかに震えた。

膝の上の空いた錦の布が、急に冷たく感じられた。


託してよかったのか。


託さなければ、何も変わらなかった。

このまま血の杯を飲み続け、笑みを張り付け、

漢が滅びるのをただ見ているだけだった。


だが、託したことで──


変わるものが、漢の未来なのか。

それとも、ただ自分の首を、より早く城門に吊るすだけなのか。


外はまだ深い闇。

遠くで、犬が一匹、短く吠えた。


曹操はゆっくりと立ち上がった。

剣を懐にしまい、深く礼をした。


「司徒殿。今夜は、感謝いたします。」


そして、裏戸へと向かうその背中を、王允は何も言えずに見送った。


戸が閉まり、足音が遠ざかる。


部屋に、再び静寂だけが戻ってきた。


王允は動けなかった。

ただ、灯りの揺らめきを見つめながら、夜明けが来るのを待つしかなかった。


──あの男は、今どこへ行く。

董卓の館か。

それとも、城門か。


どちらにせよ、明日の夜までには、何かが変わっているはずだ。


変わってほしい。


変わらなければ、自分はまた血の酒を飲むだけだ。


だが、変わったとしても──


それは、救いなのか。それとも、ただ新たな血の始まりなのか。


王允は目を閉じた。

震えは、もう止まらなかった。


遠く、鶏が鳴き始めた。

夜明けには早すぎる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ