【陳宮編3】自由の風
曹操の軍が、徐州に迫った。
かつての逆徒・黄巾軍を飲み込み、精鋭へと鍛え上げた数万の軍勢。
決着は、あまりに早かった。
逃げ場を奪う水攻めが始まり、気づけば城壁は蹂躙されていた。
孤立した呂布の兵は力尽き、期待した劉備の援軍も現れない。
曹操の「理」が積み重なるたび、出口は一つずつ塞がれていった。
徐州の拠点・下邳の城は、落城した。
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下邳の南門・白門楼の下、牢は冷たく湿っていた。
呂布は壁に寄りかかり、陳宮は向かいに座っていた。
呂布を縛る縄は固かった。
曹操の使者が来て、呂布に告げた。
「降伏せよ。」
呂布は、静かに聞いた。
長い沈黙。
「命乞いをせぬのか」
やがて、淡々と答えた。
「……妻を、汚すな」
それだけだった。
使者は、わずかに眉を動かした。
「大将軍に伝える」
陳宮は、目を伏せた。
呂布は、最後まで欲を語らなかった。
最後まで自分の大切なものを、守ろうとした。
だから、俺は呂布の側にいたのだと、分かった。
使者が去り、牢に沈黙が戻った。
呂布が、静かに尋ねた。
「公台、なぜ乞わぬ」
陳宮は、ゆっくりと口を開いた。
「奉先。今分かった。俺はただ、まっすぐなお前が好きだった」
呂布は、黙った。
理解したかどうかは、わからない。
ただ、目を閉じた。
外で、足音が近づいた。
処刑の時だった。
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白門楼の上。
風が冷たく、旗が揺れていた。
呂布と陳宮は、並んで立たされた。
曹操は、すぐ近くに馬を寄せていた。
劉備は、少し離れて目を伏せていた。
高順が先に絞首された。
侯成、宋憲、魏続が、次々と。
呂布は、首を吊るされる前、最後に、白門楼の一番高い場所から、静かに周りを見回した。
陳宮は、その隣に立たされた。
曹操は、陳宮を見て、静かに言った。
「公台。降れば、なお用いる」
声は低く、惜しむ色を帯びていた。
陳宮は、曹操を見返した。
初めて、微笑んだように見えた。
「曹将軍──孟徳。私は、籠の外の理を選んだ。それが、間違いだったと知りながら」
曹操は笑った。
「本心を言え」
陳宮も笑った。
「俺は、お前が嫌いだ」
曹操は、目を伏せた。
長い沈黙。
やがて、曹操は小さく頷いた。
「そうか」
それだけだった。
陳宮だけには、曹操の目の端に光るものが見えた。
最期に陳宮は心中で呟いた。
裏切りはなかった。
ただ、正しさが、あった。
呂布は、欲を語らなかった。
美しさを守り通した。
劉備は、義を曲げなかった。
曹操は、理を尽くした。
──その中で、俺は、自由に生きた。
あの時、なぜ曹操を切らなかったか。
それが俺の生き方だからだ。
後悔はなかった。
風が吹き、旗が大きく揺れた。
下邳の空は、遠くまで晴れていた。




