君が笑わなくても
復職して半年が経った。島田遼は、今は“無理に笑わない”営業マンとして、職場に戻っている。
「島田さん、最近変わりましたよね。なんか…いい意味で、力抜けた感じで」
若手の間では、かえって評判が良かった。
笑顔を強制しない。
無理に盛り上げない。
誰かの沈黙に寄り添う。
それでも、仕事は意外とうまく回っていた。むしろ、以前より人の話を“本当に”聞けるようになった気がする。
※
その日、新人研修が始まった。新卒の山口遥は、常に明るく、受け答えも完璧だった。
「メモ取るの早いな」「感じいいな」「さすが今どきの子だな」
みんながそう言っていた。
でも、島田はどこか気になっていた。
遥の笑顔が、「作られている」ことに。
──いつも笑っていた、かつての自分と、同じだった。
※
ある日、島田は社内の休憩室で、偶然遥を見かけた。
誰もいない部屋で、彼女はひとり、手を強く握りしめていた。
「あ……」
声をかけると、彼女はすぐ笑顔に戻った。
「島田さん! こんなとこで奇遇ですね〜!」
「……無理してない?」
その言葉に、彼女の笑顔が、少しだけ揺れた。
「え、どういう意味ですか?」
「俺、前にそうやって笑い続けて潰れたんだ。似てる気がしてさ」
遥は一瞬目をそらしたが、何も言わずに会釈してその場を去った。
※
数日後、島田のデスクに付箋が貼られていた。
「昼、少しだけ時間いただけませんか。話したいことがあります」
屋上で、遥は静かに語り始めた。
「私、就活のときから“明るい子”って言われてて、それが武器だと思ってました。でも、ほんとは……あんまり人と関わるの、得意じゃないんです」
「誰かに“期待されてる笑顔”を出すのが癖になってて。
でも最近、自分が誰か分からなくなって……」
島田は言った。
「俺もそうだったよ。明るくしてりゃ、誰も深く見てこない。安心される。でも、それ、苦しいよな」
彼女は小さくうなずいた。
「気づいてくれて、ありがとうございました」
※
その日を境に、遥の笑顔は少しだけ変わった。
愛想笑いが減り、代わりに素直な表情が見えるようになった。
ある時、後輩がミスして落ち込んでいたとき、遥は言った。
「大丈夫、笑わなくても、ここにいていいから」
それは、かつて島田が自分に言ってほしかった言葉だった。
今、その言葉を、彼女が別の誰かに届けている。
※
夜のオフィス。
島田は、自分の机で手帳を閉じた。
──かつて、自分を守るために笑っていた。
──今は、誰かを守るために、笑わなくてもいいことを伝えられる。
笑顔は武器じゃない。
そして、「笑わない権利」も、同じくらい大切だ。
島田は、窓の外を見つめて、小さく息を吐いた。
「君が、笑わなくてもいい場所を、俺が作る」
そう、心の中でつぶやいた