お前はお調子ものだから大丈夫
「おい島田、また課長がグチってたぞ。『島田がいれば何とかなる』ってよ」
「うわ、それ誉め言葉? それとも社畜賞?」
営業三課のオフィスで、今日も笑いが起こる。
島田遼はその中心にいる。
冗談を言い、部のムードを和らげる“潤滑油”。
誰かが沈黙すれば話題を変え、険悪な空気になれば笑いに変える。
「すげぇな、あいつ。人たらしだよな」
「どんな空気でも、あいつがいれば丸くなるもんね」
周囲はそう言う。
誰も、彼がその“空気読み”に命を削っているとは知らなかった。
※
家に帰ると、ソファに倒れ込む。
スマホを開き、インスタを更新する。
《今日も一日、お疲れさま!明日も前向きに行こう》
──たった今、自分が吐きそうなほど疲れてるのに。
SNSでは「明るい人間」を演じる。
なぜか? その方が“面倒な会話”を避けられるからだ。
「病んでる?」「大丈夫?」「何があったの?」
そんな言葉に耐えられない。
心配されるのも、期待されるのも、面倒だ。
だったら、最初から笑ってたほうが楽だ。
でも、本音は違う。
「誰か気づいてくれ」「こんなの、無理だ」
その叫びは、どこにも届かない。
※
ある金曜日、課内で飲み会が開かれた。
島田はいつも通り、盛り上げ役を演じた。
課長のギャグにはオーバーに笑い、後輩には気さくに声をかけ、女子社員の失敗談には「あるある!」と共感して場を和ませた。
でも、帰り道、ふいに後輩の宮野が言った。
「島田さんって、ほんとすごいですよね。いつも明るくて」
「いや〜そんなことないよ」
「……でも逆に、たまに怖いっすよ。なんか、ずっと笑ってて」
島田は立ち止まり、宮野を見た。
「え、どういう意味?」
「いや……なんか……ほんとに大丈夫なのかなって思う時あります」
島田は笑った。「いやいや、心配しすぎでしょ。俺、単純なんだよ」
笑いながら、心が静かに冷えた。
──気づかれてる。
でも、それ以上踏み込まれたら、壊れてしまいそうで。
「何でもないような顔をする」
それは、島田にとって生き延びるための鎧だった。
※
ある日、同期の高木遼太が自殺した。
島田と同じ「明るい奴」だった。
どんなにきつい仕事も冗談で乗り切る、ムードメーカー。
その高木が死んだとき、社内は一瞬沈黙した。
誰もが思っていた。
「明るい奴が死ぬって、どういうことだ?」
「じゃあ、本当にしんどい人間なんて、誰が分かるの?」
社内の空気は一時的に重くなり、
メンタル研修や産業医面談が形式的に実施された。
けれど、数週間で元に戻った。
仕事の山は変わらず、無理な要求も続いた。
「結局、空気を読んで笑ってないとダメなんだ」
高木の死で、むしろ島田は“笑う責任”を強く感じるようになった。
※
六月、梅雨の雨が止まない日。
朝からクレーム対応、午後は詰められる会議、夜は資料作成。
日付が変わる頃、オフィスで一人パソコンに向かっていた。
ふと、目の前がぐにゃりと歪んだ。
気づけば息がうまく吸えない。
心臓がバクバクと暴れている。
「やばい、やばい、死ぬ」
机に突っ伏したまま、声も出せなかった。
それが、人生初のパニック発作だった。
※
数日後、島田は心療内科を受診した。
診断は「適応障害」。すぐに休職を勧められた。
初めて、“笑わない自分”として職場に連絡を入れたとき、
電話口の沈黙が怖かった。
「え? 島田が?」
「なんで? だっていつも元気だったじゃん」
──そうだよ、俺が“そう”振る舞ってきたから。
誰も悪くない。
でも、誰も正しくもなかった。
※
休職中、家のベランダに座りながら、久々に同期とLINEをした。
その相手は、数年前に心を壊して辞めた元同僚だった。
「俺もさ、笑ってる間、ほんとは誰かに止めてほしかったんだよね」
その言葉に、島田はスマホを持ったまま、泣いた。
しばらくして、少しずつ、心が落ち着いてきた頃、
島田は社内ブログに一通の投稿をした。
タイトルは『“いつも笑ってる人”は、本当に笑ってるのか?』
明るく見える人こそ、誰よりも無理をしているかもしれません。
僕は、笑いで自分を守ろうとして、壊れました。
もし、あなたの周りに“いつも笑ってる人”がいたら──
その人が、最後に泣いたのはいつだったか、思い出してみてください。
※
復職した島田に、後輩の宮野が言った。
「島田さん、なんか今のほうが自然ですね」
「……前は、不自然だった?」
「正直……はい。でも今の方が、ちゃんと人間って感じです」
その言葉に、島田は微笑んだ。
「俺、無理して笑ってたんだよ。誰にもバレないように。でも一番、俺が自分にウソついてたのかもな」
笑顔は時に、人を救う。
でも、笑顔に逃げたままでは、自分が消えてしまう。
だから島田は今日、**“笑わなくても大丈夫な自分”**として、生き直すことに決めた