閑話 阿波国でもまた一難
年が明けて卯月。
フェノエレーゼたちは阿波国に来ていました。
春先なので、野宿していてもわりとあたたかく過ごせます。
ヒナは朝日が昇ると同時に起きてきました。
そこらで引っこ抜いてきたセリやナズナをちぎって、土鍋で煮込みます。水はそばに流れている川の水。
ここに来る前に立ち寄った村で買ったお米と粟を少々入れます。
見てくれはあまりよろしくないですが、草の粥です。水分を含んだので、かさが増しています。
鍋のそばにとまって、雀が滝のようなよだれをたらします。
『チチチッ。粥でさ! うまそうでさー! 嬢ちゃんあっしの分を多めに』
「だめよ、丸ちゃん。今食べると熱いからやけどしちゃうわよ。冷ましてからあげるね。──フエノさーん、ナギお兄さーん! ごはんできたよー!」
『うっうっ。声が届かないとはいえ、メシを前におあずけは辛いでさ』
翼にくるまるようにして寝ていたフェノエレーゼが、呼ばれてのそのそ起き上がりました。あくびをかみころして、まだ寝ていたいとぼやきます。
火の番をしていたナギも、今のうちに食事を取ることにします。
竹を切って作った小さな椀に粥をわけて、木を削った匙ですくって食べます。
食べながら、三人は次の路程を話し合います。
フェノエレーゼは木々の間からちょこちょこ出てくる小さいあやかしを見て言います。
「このあたりはあやかしの気配が濃いな。人に危害を加えるつもりはなさそうだが、木霊や小さいのがたくさんいる」
「ここは神やあやかしと縁が深い地なんですよ」
「ふうん。この国は妖怪だけでなくて、神さまがいるのね?」
「ええ。伊邪那岐命と伊邪那美命という神をまつる信心深い国です。師匠が、ナギの名は伊邪那岐神さまにあやかろうとつけたものだと言っていました」
自分の名の由来を話して、おそれ多いですが、とナギは恐縮します。
『きゅい! さすがあたしの主様ですわ! 神の名をいただいているなんて』
『にゃ。あるじさま、さすが!』
『あっしだって負けてないっさ! 梵天丸っていう立派な名があるっさ!』
式神二匹は、とれたてのネズミをほおばりながらナギを称賛します。器に分けてもらった粥にがっつく雀。
そしていつの間にやら、雀の横に灰色の兎がいました。兎にしてはやけに尻尾が長く、まるまるとしています。
「わぁ。うさぎさん! どこから来たの?」
ヒナがかがんで撫でようとすると、兎はサッとその手を避け、鍋に近づきます。
そして鍋の中に残っていた粥を食べはじめました。
「あ、だめようさぎさん!」
「おい、待てヒナ。安易に触るな。そいつ兎じゃないぞ」
兎をどけようと手を伸ばすヒナを、フェノエレーゼが止めます。
『なにをいうか。あちきはどこからどう見ても立派な普通の兎だろう!』
兎らしきものが、あやかしの声で鳴きました。
妖怪という時点でもはや“普通の兎”とはかけ離れています。
「どこのあやかしかはわかりませんが、口のまわりの粥を吹いてから喋りなさい」
『おっと、そいつはすまねぇな』
勝手に粥を食べただけでも図々しいのに、兎は居住まいを正すとお辞儀をして、頼みごとをしてきました。
『あちきは、このあたりじゃ兎狸と呼ばれていやす。兎に化けるのが趣味のケチな狸でございやす。迷惑ついでにお願いを聞いちゃもらえませんかね』
「嫌だ」
『そこをなんとか。天狗様。あちきの妹が、深い穴に落ちちまいまして。あいにくあちきは高いところが苦手で降りられないから、天狗様に手を貸して欲しいですよう』
「断る」
にべもなく断るフェノエレーゼ。兎狸がなにを頼んできたのか、ヒナが知りたがるので、ナギは訳してあげます。
すると琴線に触れたようで、ヒナはすくっと立ち上がってフェノエレーゼの袖を引っぱります。
「フエノさん、人助けよ! うさぎたぬきさんが困ってるから、助けてあげないと!」
「こいつは人じゃないぞ」
「でもでも、フエノさんなら穴の底にいって助けてあげられるでしょ?」
七つになってもお節介とお人好しなヒナに、フェノエレーゼはため息をつきます。気が進まないけれど、ヒナはこうと決めたら、助けるまで引かない頑固者でもあります。
これ以上嫌だと言っても無駄だと、腹をくくりました。
「…………おい狸。その妹が落ちたってのはどこだ」
『ありがとうごぜえやす天狗様! ありがとうごぜえやす!』
兎狸は何度もお礼を言って、茂みに走っていきます。
穴に落ちた兎狸を助けるだけの些細なことが、また大騒動を引き起こすきっかけになるのでした。
翼を取り戻しても、まだまだフェノエレーゼの苦労は続きそうです。
結 閑話 阿波国でもまた一難 了
これにてとべない天狗とひなの旅は終幕です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。