拾参ノ捌 はじまりの約束
強い風が吹き荒れました。
落ちるナギとヒナを持ち上げるくらいの強い風。
真っ白な両手が伸ばされ、ナギとヒナを支えました。
「ヒナ! ナギ!」
「フェノエレーゼ、さん」
ナギの前に、本物の翼で羽ばたくフェノエレーゼの姿がありました。雪よりも白く、汚れのない翼にナギは目を奪われます。
術で作ったかりそめの翼とは比にならないほど美しい。
ゆっくり谷底に向かって飛びながら、フェノエレーゼは聞きます。
「戻るのが遅くなってすまない。怪我は」
「ありません。ヒナさんも無事です。ありがとう、フェノエレーゼさん」
「礼などいらん。いったんおろすぞ。お前の式神たちがまだ上にいるだろう。連れてこないと」
オーサキたちのことも気にかけてもらって、ナギは胸があたたかくなります。
谷底には緑が茂っていて、清水が湧き出ていました。水は低い方へ流れていて、徐々に幅が広がっていく。どこかの川の源流なのだとわかります。
その清水のそばに二人をおろすと、フェノエレーゼはもらってきた薬をナギに渡しました。
「朝晩の二回、一粒ずつ飲ませろと、あいつが言っていた」
「はい。すぐに」
いつもヒナが大事にしている竹の水筒に水を汲んで、ヒナの口に薬と一緒に含ませます。
むせたけれど、きちんと丸薬を飲み込みました。
ヒナは薄く目を開けて、ふわりと笑います。
「フエノさん、おにいさん」
「どうした、ヒナ」
顔色はやはりあまりよくないものの、水と薬を飲んだからか、ヒナの容態はいくぶんマシになったように思います。
「羽が戻ったら、お空、約束。フエノさんがいつもみている地は、とても、きれいなのね」
翼を取り戻したらヒナを抱えて空を飛ぶ。出会った日にヒナが言い出したお願いです。
フェノエレーゼがほぼ忘れていたそれを、ヒナはずっと覚えていました。
こんな目に遭わされても、人の住む大地はきれいだと言える。フェノエレーゼは呆れを通り越して感心してしまいます。
家族と森を奪われた憎しみに染まっていたフェノエレーゼとは、心の根っこが違うのでしょう。
「ヒナさんはとても強いのですね」
「そうとも言えるのかもしれんな」
ナギも、どうしてこんな目に遭わされないといけないのかと思うばかりで、景色がきれいだなんて思う余裕をなくしていました。
「さ、小者たちを連れてくるぞ。とくに雀は放置するとうるさそうだ」
「ふふっ。そうですね。お願いします。さすがにこの高さですし、村人たちも、谷底に落ちて生きているとは思わないでしょう。おそらくはこれ以上追っ手も来ないと思います」
「そう願いたいものだ」
肩をすくめて、フェノエレーゼはまた、空に向かいます。
ナギとヒナが落ちた崖の上は、すでに人が引き上げていました。茂みの中に、オーサキとタビと雀がいます。
『うっうっ。あの人間たち、もう行ったかしら。主様、主様。主様が行けと言うならあいつらに噛みついてやるのに』
『にゃ、あるじさま、かみつけって、言わなかったから』
『チチチ。それを言わないのが兄さんでさ~』
「おいお前ら、いつまでそこにうずくまっているつもりだ」
ため息まじりにフェノエレーゼが声をかけると、オーサキたちはパッと顔を上げました。
翼を取り戻したフェノエレーゼを見て、三者三様の反応をします。
『きゅい! あんたおそすぎんのよ! 主様とおちびちゃんが!』
『そうでさそうでさ! あとすこし早く戻ってこいでっさー!』
『にゃーーー!!』
「うるさい。あいつらなら無事だ」
それを聞いた途端オーサキの態度がコロリと変わりました。
『きゅ~、それを早く言いなさいよ白いの! でかしたわ! さあ、あたしを主様のもとに連れていきなさい!』
「しばくぞ」
タビを脇に抱え、雀とオーサキを肩に乗せて、ヒナとナギが待つ谷底に戻ります。
再会できて感極まる式神たちとナギの対面。ヒナのもとに飛んで騒ぐ雀。
大賑わいに、フェノエレーゼが「黙れ」と怒鳴るのもいつものこと。
そのまま谷で夜を明かし、薬のおかげで、明け方にはヒナが起き上がれるようになりました。