拾弐ノ壱 遠江国の晴明塚
神無月の半ば。
フェノエレーゼたちは、遠江国におりました。
高名な陰陽師、安倍晴明が祈祷したという地を見るためです。
村々では稲作や畑作をしていて、脱穀したもみを円柱状の石臼にかけているところでした。
ひなは持ち前の人なつっこさで、臼をまわしている女性に話しかけます。
「これはなに? なにしてるの?」
「これは木摺臼ずら。ほれ、この米のまわりについているのをもみっつうんだが、もみにはいったまんまだと米を食えねぇだろ? だっけんこうして臼に入れて、もみをとるんさ」
「ふうん。お米を食べられるようにするまで、たくさんすることがあるのね」
『めしめしめしめしめしでさーーー!』
ヒナは女性の前にしゃがみ、ぱらぱらと臼の隙間から出てくる米を興味深くながめます。
フェノエレーゼは今にも米に飛びつきそうな雀をわしづかみます。放っておくと精米する横から全て食べてしまいそうです。
ナギは、弧を描く竹製のザルのようなものでもみを選別している男性に聞きます。
「晴明塚、というものがこのあたりにあると聞きました。おれは陰陽道を学ぶ身なので、ぜひ見せていただきたいのです」
「ほうほう。あんたも安倍さまの祈祷した地を見たいのか。若いのに勤勉さなぁ。塚はそこの、海岸に近い砂地にある。見たいだけ見るといい」
「おれたちの他にも、塚を見にくる人がいるのですか」
男性は手を動かしながら、誇らしそうに語ります。
「そうさ。昔ここは津波が何度も来て、ひどい有様だった。安倍さまに相談したら、ありがたいことに、祈祷してくれて。それ以来一度も津波は来なくなったのさ」
安倍晴明の恩恵を受けたいと訪れる旅人が珍しくないそうで、安倍晴明さまのお力は本当に素晴らしいのだと、自分の家族を自慢するかのように語ってくれました。
『きゅい。だからこの地は清浄なのね。悪いものの気配を感じないですわ』
『にゃー。これなら、わるいのがこれない』
オーサキもタビも、なにか妖として感じるものがあるようです。
「よくわからないけど、とにかくすごい人なのね。楽しみ! さっそく見に行きましょう。フエノさん、ナギお兄さん!」
「いや。私は行けない。ここで待つから、晴明塚にはお前たちだけで行け」
「えええ。どうして? せっかく来たのに」
ヒナに袖を引かれたフェノエレーゼは、首を左右に振ります。
「私には、この力は毒だ」
しぼりだすような掠れた声で言われ、ヒナはあせります。
オーサキたちが言うように、ここは安倍晴明により祈祷をされ、邪気や魔性を寄せ付けなくした地。
一行の中でも特に魔性の力が強いフェノエレーゼには、この地の魔を祓う力は毒のようなものでした。
息をするのも苦しく、全身を圧迫されているような気がして、どうにも晴明塚のほうに近寄ることができません。
ナギも半妖ゆえに、フェノエレーゼが術の力に当てられているのがわかり、頷きました。
「わかりました。ヒナさん。フェノエレーゼさんは体調が良くないのだそうです。だから、無理強いしてはいけませんよ」
「はぁい……。行ってくるね、フエノさん」
『チチチチ。陰陽師の兄さんと嬢ちゃんたちだけで行ってくるといいでさ。あっしは旦那とここにいるでさ』
いつもならフェノエレーゼをからかい喧嘩を売る雀ですが、さすがに邪気祓いの影響を受けているときに下手なことを言わないだけの分別はあります。
フェノエレーゼはヒナとナギを見送り、極力術の影響を受けない場所を探して村の外に出ました。
木々のなかからは木霊が出てきて、フェノエレーゼのまわりにまとわりつきます。
敵意のないあやかしなので、フェノエレーゼは木陰に座り、木霊の好きなようにさせます。
『あなめずらしや。天狗だ。天狗だ』
『ほう。安倍晴明とやらは、お前たちを祓うような愚かさはないのか』
『とうぜんだ。わたしたちがいなくなったら、木が枯れるぞ。あれは半妖ゆえ、わしらにたいするりかいもあるのだ』
『あれ、とは』
村が近いので、フェノエレーゼはあやかしの声で返します。人には木霊の姿は見えないし、あやかしの声も聞こえません。
『あれ、は。安倍晴明のことよ』
木霊から意外なことを聞いたフェノエレーゼは、驚きました。
京の陰陽師、安倍晴明。
人間の中でも名高く、敬い慕われている陰陽師が半妖だという。
津波を止めた強力な術も、半分混じった魔の力が干渉しているのでしょう。
はるか前に祈祷を施した地にいるだけで、こんなに気分が悪くなる。本人にだけは会いたくないものだと、心底思いました。