拾ノ伍 人を惑わす妖怪と、棚機津女の真実
式神の蜘蛛にキヌと妖怪が出くわした詳しい地点を探らせ、政信がナギとフェノエレーゼを先導して歩きます。
長年離れていたとはいえ祖国。地の利はナギたちよりもあります。
目的地にいく道すがら、政信はキヌを襲ったであろう妖怪について語ります。
「この地に伝わる妖怪の名は、おもい。他の地では覚と呼ばれるモノ。人の心を読み、そのものがうろたえ怯えたところを食らう」
「サトリか。思考や行動を先読みされてしまうなら、お前たち人間だけで戦いにくいのも必然か」
人間にとってやりにくい相手だというのもうなずけます。心を持たない人間などいないのですから。
「ならば、棚機津女がおもいから聞いた“棚機津女にふさわしくない、なりたくないのだろう”というのは、彼女の本心ということか。機織りが終わればまた日常に戻れるのだろう? そんなに辛いことなのか?」
儀式の間、せいぜい準備を含めて七日かそこらでしょう。機織りのためにいっとき我慢すればいいだけなら、心底嫌だと思うのは過剰なように思えました。
ナギの後ろにタビとオーサキもついて歩き、三人の話に耳を傾けます。
政信は足を止め、呆れたような深いため息を吐いて、冷たく言いました。
「だからお前は未熟で馬鹿だというんだ。棚機津女は、そういう名前をしているだけの生け贄さ」
「…………どういうことだ」
予想だにしなかった事実に、ナギはうろたえます。ナギと正反対に、政信はどこまでも冷静で、術を読み上げるように淡々と続けます。
「棚機津女の真の役目は、神の妻になること。だから津女には処女が求められる。神の妻として召し上げられ二度とこの地を踏めない。だから今回の津女は逃げ出したかったんだろう。おそらくは木の実をとりにいったというのは嘘。本当は役目を放棄してどこか遠くに逃げるつもりだったんだ」
「そ、そんな。師匠の手紙にも、村長はそんなこと一言も」
「父上は対面を重んじるお方だから、美談の方しか教えなかった。そして、師匠が本当の事を知っていながら書かなかった理由。ナギ、お前なら言われずともわかるだろう」
師匠が真実を文に書かなかったとしたらそれは、ナギを信用していなかったから。ナギにはそう思えました。最初から知っていたなら、少女を生け贄にする儀式なんて手伝えないと断っていたでしょう。
「政信は、なんとも思わないのか。生け贄を差し出して治水と豊穣を願うこと」
「あいにく、ワタクシも甲斐の人間。棚機津女は必要悪だ。布切れ一枚で不作を豊作にするなど、神とてわりに合わぬだろう。それともお前は、娘一人を助けて、残る民全員洪水と飢饉に苦しめと言うのか」
「そんなことは言っていない! けれど他にやりようがあるんじゃないのか」
「……お前がそんな風だから師匠は仔細を書かなかったのだ。師匠がお前にここの任務を与えたのは、無駄なことを頭から消して任務に忠実になることを覚えろ、ということだろう」
政信の言うことは真実です。
ナギは甘いを通り越して心が弱い、そう指摘します。
顔色一つ変えずに言い、政信は再び歩き出しました。
ナギはどうしても踏み出せません。
棚機津女を食おうとしているおもいを退治するのは必要なこと。
けれどそうして棚機津女を救ったところで、もうすぐ行われる儀式で神に捧げられるのです。
『きゅい~。主様……』
『あるじさま……』
どうにもならない現実に打ちのめされ、うつむくナギの表情は、暗い。非情でも、非人道的でも、これがずっとこの地で続いてきた儀式なのです。
オーサキもタビも、式神では人間のことわりに口出しできないことを知っているので、何も言えません。
「ナギ。今は何も考えるな。サトリは心の隙をつく」
「ええ、そうですね。今すべきは、おもいを倒すことだけ。……行きましょう、みんな」
ナギはフェノエレーゼの呼びかけに辛そうな面持ちのまま応え、急ぎ足で政信を追いました。