69.探索(sideウォルグレン/前編)
夢だったのかもしれないと、今でも思うことがある。
少年時代の終わりに見た、優しい幻。
自分でも分かるが、あの頃の俺、かなり複雑なガキだったな。
父上は小国とは言え、王と呼ばれる者だった。いつも忙しく遠い相手。
義母上は常に美しい微笑を向けてくるひとだった。高貴な女性にふさわしく優雅で、まなざしだけが冷え切った笑顔。
当時はどこへ行っても、あの氷のまなざしが背中に張りついているように思えていたな。俺が何か失敗すれば嬉しそうになり、褒められれば一層冷たく険しくなる。目立ったらいけないんだと、幼い俺でも分からされる……そういう視線だった。
大人になればーー正式に王の後継として認められれば決着がつく。
だが子供だから、という目こぼしもなくなる。
義母上だけじゃない、色々な人間から注目されることになる。
子供心にも息苦しかった、それが。
しなくていい反抗ばかりしていた気がする。
あのひととは、そういうときに出会った。
フレスベルは小さな国だ。フレイアの民なら、だいたい俺の顔を見たことがある。
ところが、そのひとはーーリューエルは俺を知らなかった。グレン、と名乗っても不思議そうにしただけ。
旅行者だと、あり得なくはない、のか?
そのとき俺はいわゆるお忍びで地味にしてたから……裕福な平民の子、とでも思われたかな?
そう考えたら、なんだか気分が軽くなったのを覚えてる。
教育係だったはずの男に裏切られて殺されそうになってて、絶対絶命だっていうのに。
……アイツら、すぐ戻ってくるだろうな。そう考えた。
隠れられる場所って、この教会にはほとんどない。
リューエルが次に巻き込まれたら、たぶんマズい。
モーバは俺の暗殺で頭がいっぱいだが、他のヤツらの目つきは明らかに若い女を品定めしていた。あれこれ難癖つけて、物陰に連れ込んで「尋問」しようとするはずだ。
……本人、全然気づいてないけど。大丈夫か、このおねーさん。
俺の素性も疑ってないみたいだ、なりが小さいから油断してる?
それにしても怪しい地下通路に平気でついて来ちゃうの、おかしくないか。
いや、案内したの俺だけど、さ。
なんか毒気を抜かれるというか……
結局、リューエルは普通の人間じゃなかったんだよな。
モーバ達に先回りされていて、もう駄目だと絶望しかかった俺に、彼女は言ったよ。大丈夫だって。
で、数分とかからずヤツらをみんな叩きのめした。
ーー俺なりに守ったつもりだったけど、全くの逆だった訳だ。
おまけにリューエルはエルフだったし猛毒を受けても効かないし……俺がフレスベルの王子だと知っても態度が変わらないし。
まあ、エルフが人間相手に、かしこまるはずもないか。
エルフって、人間族の常識が通じないんだなー……
これだけ強いと、その辺の悪漢なんて一撃だろ? 有象無象はどーでもいいから、あんなに危機感がないのかも。
でも周りの迷惑をさ、ちょっとは考えなよ。
連れだとかいう魔道士の男、心臓がいくつあっても足りないんじゃねーの?
会ったこともないソイツ、ラスティウスに同情したくなったね。ほんの少しだけ。
基本は呪われたらいいと思う。
そのあとも、俺ではない俺が出てくる不思議な幻のようなものを見たり。
王宮に帰ったら帰ったで、父上に泣きそうなくらい心配されてたのが分かったり。
義母上があっけなく失脚させられたり。
……濃すぎる一日だった。
どれが一番驚いたかって? 選ぶの無理だよ。天地がひっくり返りまくって、何周したんだか分かんないって。
自分がなんの力もない子供で、狭いところに閉じこもっていたんだということも痛感した。このままじゃ駄目だ、ってのも思い知った。
だから約束した。いつか恩返しをしたい。
リューエルも笑って言ってくれた。
ーー待ってるよ、グレン。小さな英雄さん。
エルフは嘘をつかないんじゃなかったのか。
もう会えないとは思ってなかった。
⭐︎⭐︎⭐︎
父上は半信半疑だったが、手を尽くしてリューエル達のことを調べてくれた。
しかし見つからなかった。
リューエル、ラスティウス、その二人がフレイアに滞在していた形跡はあったらしいが、俺と別れた直後から行方が分からなくなったという。
まさかモーバに仲間がいた?
いや、リューエルが返り討ちに遭うなんて想像できない。
なにか事情があってフレスベルを離れたんだろう……そう考えることに決め、本気で勉強や剣術の鍛錬を始めた。胸を張って再会できるように。あまり声高に言えないけど、義母上が王宮を去ったのも大きかった。
だが、しばらくして探索は打ち切られた。
魔物の数が、急激に増えた……そっちに人手をさくことになったんだ。
王宮にいると分かりにくいが、皆の顔が暗くなりがちだ。剣の稽古をつけてくれる兵士達も、雰囲気が物々しい。
寒さが厳しくなって、空が曇り、作物が育ちにくくなり……たくさんの魔物が現れ、凶暴になって襲ってくる受難のとき。
ーー冬の時代が来たとささやかれている。
⭐︎⭐︎⭐︎
「王子? どうなさったんです?」
「いや、なんか。誰かに呼ばれたような」
「誰もおりませんよ? 私と貴方様以外は」
「おかしいな……」
俺は部屋を見渡したが、確かに人影は見当たらない。目の前にいる、栗鼠獣人の司書官リットを除いて。
あれから二年経っていた。
消えてしまったリューエルとラスティウスのことを、俺は知りたかった。それでリットに会いに行ったのが、きっかけだ。
最初はにべもなく断られたっけ。司書官たるもの、来館者の情報をうかうかとしゃべったりしないって。どうもリットは義母上と揉めたとき、ラスティウスに庇ってもらったらしい。
「その後もなにかと頼りにしてくださいました。それに、獣人のくせに、と一度もおっしゃいませんでした」
ふーん……他の連中は言ってたってことだな?
誰だよ。義母上か?
その取り巻きも?
……王家の者が信じられないのも当たり前か。
それでも諦め切れず図書館に通って、少しは信用してもらえたのかな。
ある日、行ってみたら机の上に本が何冊か積んであった。たぶんリットはラスティウスが読んでいた本を覚えていて、持ってきてくれたんだ。
「その方に必要な書物を探すのが、私の仕事ですので」
堅物なリットは、それしか言わなかったけど。
ただ、この本がどれもこれも難解だった。古い言い回しや綴りが多くて、心が折れそうになった。
一応、俺って王子だからね? 他にも、学ぶことが腐るほどあった……時間を作って、リットや他の教師にも教えてもらって、なんとか読み進めたようなものだ。
主な内容はフレスベルや北方の歴史、文化、という感じ。特に、英雄王の時代に集中していた。
調べ物をする理由について、ラスティウスは、リットにも全く言わなかったそうだ。
でも推測はできる。
我ながら、かなり突拍子もない考えだけど、な。
たとえ父上でも、頭がおかしくなったと取られそうで言ってないが。
ラスティウス……アイツはたぶん……長い時を超えて、フレスベルへ帰ってきたんだ。




