66.運命(sideゲランウェイド/前編)
運命を刻まれて生まれてきた。
エルフの里の長、世界樹の契約者。
強い守護と共に、生を受けたときから決まっていた。
その通りに生きようとしたはずだった。
迷いがなかったとは言わない。
例えば人間族との交流を絶ったこともそうだ。
やかましく粗暴で、礼儀を知らず、しかしエルフにはない活気を持つ。それが人間という生きものだった。
色々な顔や名前を携えて、彼等は訪れては去っていった。いちいち数えていたら、きりがないほど目まぐるしかった。
これといって印象に残るものはいない。しいて言えば、あの、やたら名前の長い男だろうか。
無骨な顔をゆがめて、エルフは礼儀がなっとらん、と見当違いの怒りを見せる男。
名前を間違えられるのが気に食わないと、改名までした妙な商人。
ところがある日、珍しくも殊勝な態度でやってきて、結婚したい女がいるから贈り物を作ってくれと言い出した。
魔物も逃げ出しそうな強面で女を口説くだと?
馬鹿も休み休み言うがいい。
しかし冗談ではないらしい。
ならば、その仏頂面を見せずとも、用が済むようなものを出すしかあるまい。
だが、約束の夏は来なかった。
世界樹の枝を盗もうとした人間がいた。
見つけて処断したのはゲランウェイドだった。
殺さずに済ませたものの、一族の反発は激しく、里を閉じて人間を追い出すことになってしまった。
当時の彼は……次の里長ではあったが、まだ若いエルフの一人に過ぎなかった。反対はした、しかし大きな流れを覆せなかった。
あの男は、それは怒り狂っただろう。
どうしようもない。
忘れ物だけが残った。
不運が重なった。
ゲランウェイドの子供が生まれた。誰よりも強い守護を持って。
しかし健康なエルフの女でも、子を産み落とすのはときに命懸けになる……彼女は、ゲランウェイドではなく世界樹の下へ帰った。かつて彼を愛しんでくれた腕に、アルザートを抱くこともないままだった。
同じ頃、世界樹の里にもう一人のエルフが生まれる。
呪歌の使い手であるサリエラの娘でありながら、守護がほとんどない。
小さく弱々しい、世界樹の花だった。
ーーこれが運命か。これが。
リューエルと名づけられた娘も、生まれたばかりのアルザートも、世界の歯車となった。
ゲランウェイド自身も。
リューエルが次の世界樹に、アルザートがその最初の契約者となるのならーー旧き世界樹の、最後の契約者はゲランウェイドが務めるしかない。
だから、そのようにした。
子供達が大きくなり、穏やかに季節が過ぎていく、それがわずかな慰めだった。
老いた世界樹はゆっくりと衰える。だがゲランウェイドとエルフ達は、そのときを引き延ばした。
あと少し、もう少しだけ……
運命に逆らうつもりはない、ただ、歩みをわずかに遅らせた。ままごとのような日々を惜しんだ。
それを叩き壊したのはアルザートだった。
リューエルとの婚約は破棄した、と突然言ってきた。おまけにリューエルは森の外へ旅に出たがっているという。
なにをやっているのだ……ゲランウェイドは長老達と総出で叱りつけたが、アルザートは頑として聞かない。
別の娘に心を移してしまった、とまで言い出し、ゲランウェイドは久しぶりに、怒りで我を忘れるところだった。
アルザートも既に成人しているが、エルフとしては若く未熟だ。しかし、此処まで愚かだったか?
「……ほんの短い間でいいんだ。笑顔になってほしい」
笑顔、か。
確かに最近、リューエルは笑わない。それどころか皆の前に姿を見せることさえ少ない。
リューエルを呼んで話を訊くと、アルザートは悪くない、と庇った。なにもできない自分と、なんでもできるアルザートは釣り合わない、とまで言った。
この二人は恋人同士ではないが、仲のよい幼馴染に見えていた。
否、今も取り立てて関係が悪化している訳ではない。互いが互いを思いやっているのに、噛み合わずにいる。
頭を冷やす時間が必要なのかもしれない。
それに、リューエルはーー
「でもわたし、森の外へ出てみたかったから!」
そう言って、屈託なく笑った。全てを諦めてしまっていた彼女が。
なによりも説得力があった。アルザートも恐らく、この光を見たかったのだ。
ゲランウェイドは里長として、リューエルが旅に出るのを許した。
もしリューエルの身になにか起きれば、ただでは済まない。覚悟の上で、そうした。
一つの賭けだった。
⭐︎⭐︎⭐︎
災いの星が落ちた。
姿を見せず、大地を震わせることがなくても明らかだった。
闇の魔力が急激に強まり、魔物が増える。
世界樹がたちまち弱っていく。
それもまた巡り合わせだと言えなくもない。
だが、臓腑が煮えるような怒りが湧いた。
なにも今でなくてもよかっただろう。
ささやかな自由も許さないというのか。
ゲランウェイドにも意地はあった。
リューエルを呼び戻すべきだという、至極もっともな周りの意見をはねつけた。
エルフでありながら、一日がひどく長く感じられるが構わない。
リューエルも、アルザートも、若いエルフとして当たり前の時を過ごしている。責められる謂れはない。ゲランウェイド一人の罪でいい。
そうして半年ほどが経ったとき、アルザートが再び、静かな決意を浮かべた顔でやってきた。
「リューエルを連れて帰ります。一時的に里を離れる許可を」
「……その必要はない」
「状況が変わってしまった。父さん……いえ、里長もご存じでしょう」
アルザートは相変わらず譲らない。ゲランウェイドの許可がなくても、飛び出していきそうな勢いだ。
全く。
「子は思い通りにならぬものだと言うが。この気性の激しさと頑なさは誰に似た」
「……誰に、だと思っているんです?」
なぜか呆れた声音で息子が訊いてくるので、ゲランウェイドは答えた。
「無論、お前を産んだ女だ。とても強情だった。いつも手を焼かされていた」
⭐︎⭐︎⭐︎
許可は出さなかった。
だがゲランウェイドの力は衰え、里長の……世界樹の契約者としての権威も強制力も既に消えかかっている。
次の契約者、アルザートを止められなかった。
認めざるを得ない。
そのときが来たのだ。
⭐︎⭐︎⭐︎
ーー回り道をしたかもしれない。しかし一年にも満たなかったのだから、ほぼ同じ結末に収束したと言っていいはずだ。
アルザートはリューエルを連れて帰還し、二人で世界樹の下へ向かった。
リューエルは、吹っ切れたように笑っていた。運命を受け入れて。
それが果たして良いことだったのか……分からない。
どこで間違えた。
目の前で白い闇が踊っている。




