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6.ヨミガエリ

 人間が手入れをしている森をしばらく進むと、小さな家が建っていた。

 切り出した丸太を組んで造られた小屋だ。庭先に井戸や鶏の囲いもあって、コッコッコーと雌鶏が啼いている。


「誰か住んでいるみたい」


 雌鶏が飼われているなら、飼い主がいるはずだ。

 わたしとラスティウスが近づくと、扉が開いて年老いた人間の男性が現れた。


「おお……エルフのお客さんとはなぁ。森番に何のご用だね?」


 お爺さんは髪も、長いひげも真っ白で少し背中も曲がっているものの、しゃんとした足取りでこちらへやってくる。


「こんにちは。教えてほしいことがあって来たの」


 このお爺さんが今の森番みたい。


 エルフの森へ許可なく立ち入ることは禁じられているけど、たまに勘違いをした人間が来てしまうことがある。森番はそういう人間を引き留める役割をしている。

 エルフが侵入者を捕まえたときも、森番に引き渡すことがあるそうだ。

 それから滅多にないけれど、エルフから人間に用事がある場合も、まず森番に話す決まりになっている。


 ……と言っても人間の都合で急にいなくなったり、また違う森番が住み着いたりするらしくって、会えるかは分からなかったんだよね。


「あのね、この人間が森にいたの」


 わたしは、ラスティウスを前へ押し出した。

 お爺さんは彼を見て首をかしげ、ひげをなでた。


「ほおぅ。これはまた。すみませんの、知らぬお方ですわな」


「そう。ラスティウスもね、いつどうやって此処へ来たのか分からないみたい」


「ふむぅ。ひとまず立ち話は老人の腰に響きますでなぁ。中へお入りくだされ。粗茶を差し上げますでな」


 お爺さんはゆっくりと踵を返し、丸太小屋へ入っていった。



⭐︎⭐︎⭐︎



「ヨミガエリ、ですかのぉ」


 お茶から上がる湯気をあごに当てながら、森番のお爺さんは言った。


「ヨミガエリ?」


「エルフの森の魔法に囚われたもの、ですわい」


 お茶を飲みつつ、お爺さんは説明してくれた。


 お爺さんは森番といっても一日中、エルフの森の入り口を見張っている訳じゃない。

 だからエルフの里へ行きたい人間が、お爺さんの目を盗んで忍び込むこと自体は簡単だ。


 けれど世界樹の里があるこの森には、人間を寄せつけないエルフの魔法がかかっている。

 里へ続く極相の森ーー私とラスティウスが出てきたところだーーへ踏み入っても、気付くと森の入り口に戻されているという仕組みの、とても強い魔法。

 侵入しては戻され、を何回か繰り返すと魔力や精神力を吸い取られてしまい、意識を失って戻される。

 そして、だいたいは森番に見つかって回収されるんだって。


「ですが、たまに……戻ってくるのに時間がかかる場合がありましてなぁ」


 魔力や精神力の強い人間には、エルフの魔法も効きにくい。だからどうしても森に入ろう、世界樹の里へ行こうと頑張ってしまうと中途半端に戻れなくなってーー長い間、森の魔法に囚われて過ごすことになる。


「すると、記憶や心を失くしてしまうことがあるのです。自分の名前や家族まで分からなくなったものも、いましたのぉ」


 森の魔法は時の流れにも干渉してしまうようで、若者がひと月で老人になって出てくることもあれば、十年以上経って帰ってきたのに若さを保っていた場合もあるんだとか。


 そうやって狂わされた人間を、ヨミガエリと呼ぶーー。


 お爺さんはそう言って、静かにお茶を飲んだ。


「そうだったんだ……」


 知らなかった。

 ううん、里を守るための魔法があるのは聞かされて知っていた。

 だけどヨミガエリと呼ばれる事故が起こっていたなんて。


 わたしはうつむいて、そっと茶器に口をつけた。

 お爺さんのお茶は庭で採れたというハーブを使ったもので、爽やかな香りがする。

 里で飲んでいたお茶とは違うけど、とてもおいしい。

 ただ……このときは苦く感じた。

 水やりを忘れた花の苗みたいに、長耳の先がしおしおと下がっていく。


「その……ごめんね、ラスティウス」


 わたしは彼に謝った。

 謝って、どうにかなるものではないけれど。


 ラスティウスはあちこち抜けている人間だと思ってた。でも彼がそうなってしまったのは、わたし達エルフが原因だったんだ。


 優れた魔道士であるラスティウスは、もちろん魔力も精神力も高い。

 どれだけの時間を森で過ごしたんだろう。

 たった一人で。

 自分のことが分からなくなってしまっても、無理はない。


「リューエルのせいではない」


 意外な言葉が聞こえて、わたしは思わず顔を上げた。

 彼の目が穏やかにわたしを見ていた。


「どんな理由があったにしても、私が禁を破ってエルフの森に入ってしまったのが悪い。なぜ、そんなことをしたのかは自分でもよく分からないが……」


「ラスティウス……」


「それに森の魔法をかけたのはリューエルではないし、むしろ私を連れ出してくれたのは……君だろう。感謝こそしても、恨むことはない」



⭐︎⭐︎⭐︎



 わたし達はお爺さんに勧められて、森番の小屋に泊めてもらうことになった。


 ベッドで寝るのは、里を出て以来だ。

 わたしは森の中で、樹々のざわめきを子守歌のように聞きながら眠るのも好きだったから、野宿だって苦ではなかったけど。


 ラスティウスはどうだったんだろう。

 エルフではない人間のラスティウス。

 森の魔法に捕まっていた彼にとって、森にいること、そのものが苦痛だったんじゃないだろうか。

 わたしは爪の先ほども彼のことを知ろうとしなかったし、考えてもいなかったんだ。


 じくじくと痛む心を抱えて、わたしは重苦しい眠りに落ちた。



 そして黒衣を引きずりながら、永久の闇をさまようラスティウスの夢を見た。


⭐︎罪悪感は本作の重要なファクターとして書いていきたいと思います。

⭐︎次回、ラスティウスから見た話。

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