5.極相の森を抜けて
「ーーもう。今度から、わたしがいいって言うまで攻撃しないでね。森の調和を乱したくないの」
「……攻撃を受けたまま反撃はおろか、なにもするなと?」
「身を守る魔法を使うのは大丈夫。あなたってあんなにすごい魔道士なんだから、指一本触らせないようにだって、できるでしょ?」
「できるが……その程度をすごいと言えるかは分からない」
「さっきみたいな魔法、里のみんなでも無理だよ絶対」
オオトリキバクサの縄張りを抜けて、わたし達は急ぎ足で進んでいた。
『魔道士……だと思う』
ふんわりしていたラスティウスの自己紹介は、出まかせでもなんでもなかった。
むしろ彼は、とても腕のいい魔道士だった。
どうして自信なさげにしているんだろうね。
訊いてみたら、どうも目が覚める前のことは朧気なのだという。
記憶喪失っていうもの?
もっとも、なにもかも忘れてしまった訳ではないらしい。
さっきの不可思議な言葉は一つの発音に複数の意味を持たせることで、大きな魔法でも素早く行使できるようになる技……だとか。
わたし、そんなの初めて聞いたよ。
人間の魔道士にとっては当たり前なのかな?
何しろエルフの里って百二十年以上も引きこもっているから、近頃の流行に疎いものね。
「……私は他の魔道士のことをよく知らないから、なんとも言えない」
「ラスティウスも引きこもりだったってこと? じゃあ誰にその技を習ったの」
「昔の私が考えたーーような気がする」
それ、ひょっとしなくても一般には知られてないんじゃないかな?
弓だけでなく、魔法にも長けているのがエルフだ。
天性の才能に加えて長い寿命を持っているから、他種族よりも時間をかけて修行ができる。
それは弓や魔法に限らず、工芸品だったり機織りだったりも同様で。
人間はそういう品物を手に入れたくて、エルフと交易をしてたんだとか。
『里を閉じてしまって、やることがなくなっちゃって。人間が来ていた頃は、そういう意味では刺激があって楽しかったわね』
母がそう言っていたっけ。
家事だって魔法を使えば、すぐに終わっちゃう。
暇を持て余して、修行ばっかりしていたのが里のみんなだ。
そのエルフよりもすごい魔法を使うって、ラスティウスはどういうひとなんだろう。
質問を重ねたものの、彼の返事は全く要領を得なかった。
「ーー似たようなものだ」
「え? エルフの里と?」
「私も他にすることがなかった。それで魔法の稽古ばかりしていたような記憶がある」
あるのかなあ、そんなこと。
わたしは確かにエルフの里しか知らないけど……母やみんなの話では、人間は毎日、一生懸命に労働をしてお金というものを手に入れないと、生きていくことができないらしい。
ラスティウスは、労働をしなくて大丈夫だったんだろうか?
理屈がつかめない話ではあったけれど、わたしはあんまり深く考えていなかった。
もともとラスティウスは正体不明の拾いもので、森から出られるように手伝ってあげているーーそのくらいの認識だった。
不慣れな彼のせいで進み具合は遅くなっている。それも大丈夫、始めから急ぐ旅じゃない。
わたしは外の世界へ行ってみたいだけで、他に確固とした目的もない。
ちょっと寄り道したっていいよね。
そう思っていたから。
⭐︎⭐︎⭐︎
さらに数日進んだところで、ようやく森が途切れた。
「いや……変わらず森の中だと思うが」
ラスティウスはやっぱり抜けたことを言っている。
わたしは腰に手を当てて言い返した。
「木はたくさん生えてるけれど種類が違うじゃない。光が入ってくるようになっているでしょ?」
「そう、だな。言われてみれば」
「此処はもうエルフの森じゃない。生きものの種類も全く別なの。時々だけど人間も来てるみたいだね、枝や下草を払った跡があるから」
「……ああ」
ラスティウスは来た方を振り返って、ぽつりと言った。
「今まで踏み越えてきたのは、獣道だったか……」
「えっ、違うよ?」
わたしは驚いて訂正した。
「交易をしてた頃に使ってた道だよ。森に訊いて、人間がここを通った記憶をたどってきたの」
「里を閉ざしたのは、百二十年以上前だったと言っていなかったか」
「うん。だから最近の記憶をほんのちょびっと、さかのぼるだけで済んだよ。ほとんど迷わなかったし歩きやすかったよね」
「……エルフだと、そうなるか……君がいなければ出られなかった、だろう」
ラスティウスは深い吐息をこぼし、木々の向こうを指さした。
「ありがとう、リューエル。すまないが、私はこの先の道も全く分からない。誰か他の人間に出会うまで、案内してもらえるか?」
「うん、いいよ」
わたしは快く引き受けた。
嬉しかったんだ、こんなわたしでも誰かの役に立てるんだって。
⭐︎ラスティウスは別に鈍臭い男ではなく、エルフがエルフすぎるだけです。