49.グレン(前編)
次の日からも、ラスティウスは図書館へ出かけていった。
猶予をもらえるなら考えをまとめた上で話したい、少し待ってほしいと言って。
わたしはもちろん構わない。
ラスティウス、ちゃんと毎日帰ってくるし。
エルフの少しって十年くらいだよ、と言ったら、そんなには待たせないと返された。
真面目だよね、ほんと。安心したような残念なような。
ラスティウスが、わたしを手放したくないと思っているのは……分かってる。
二人きりで暮らしているのもあるのかな。
刻みつけるように触れられることが増えた。
例えば、そう、ぎゅうっと抱きしめられる力が少し強くなって、解放されるまでの時間も長くなった。
相変わらず口数が少なくて表情も変わらないけれど、その分、行動に気持ちが表れるんじゃないかな。
わたしも……似たようなものだ。
本当のことを話してしまったら、このままでいられない。
でも断ち切れなくて一緒にいる。
そんなラスティウスも外出中だ。わたしは昼間、家のあちこちを手入れしたり、周囲の森を探検したりしている。
今日はフレイアの街へ行こうかな。食べ物を少し買い足しておきたい。
でも犬獣人に限らず、獣人さん達は感覚が鋭いみたい。わたしを見て、挙動不審になるひとが時々いるんだよね。それが一人二人じゃないから、わたしだって気付くよ。
「……だから警戒心が足りないと、いつも」
ラスティウスに溜息をこぼされてしまったっけ。
さすがに反論できない。
だから街へ行くのは、エルフだとばれないように、様子を見ながらにしようと思ってる。
ヴェラドニカはフレイアに住んでたとき、どうしていたんだろう。聞いておけばよかった。
⭐︎⭐︎⭐︎
グラガレウで両替してもらった人間のお金、結構すごい金額だったりする。
ゴリラさんの「忘れ物」を届けたお礼も入ってるみたい。あのときのわたしは、お金の価値がぴんと来てなかったけど。
わたしとラスティウスと二人で旅をしてきて、取り立てて贅沢はしてなかったにしても、お金がまるで減っていかない。
フレイアの露店の買い物ぐらいじゃ、びくともしない。
ところが自給自足の里で育ってきたエルフには、お金の使い方なんて見当もつかない。
今、着ている服や靴、頭に巻いてるスカーフだって、十分いいもので気に入っている。
魔道具は、見ているのは面白い。でもラスティウスもわたしも、だいたい魔法でできちゃう。
アクセサリー? エルフはつける習慣がないんだよね。きらきらしてて綺麗だなとは思う。森を歩くのに邪魔そうだけど。
ラスティウスに毎朝つけてもらってる耳飾りは、あれは例外。つけてくれるの嬉しいから。ラスティウス、すごく真剣にやってくれるんだよ。
食べ物も、今は冬で種類が少ない。フレスベルの今の王様が、民を飢えさせないために色々と頑張っているらしくて、品ぞろえよりも値段を押さえて、たくさん仕入れる方に力を入れてるっぽい。
ザラール帝国の調味料なんかは、馴染みがないから見ていて楽しい。ちょっとピリッとするスパイスとか、お茶やお菓子に入れると甘い風味がつく香草とか。
ラスティウスが好きな味なのか分からないので、少量だけ買ってみた。
ほとんどお金は減らなかった。
うーん。買い物って難しい。
買い物が終わった後、思いついて聖光教会へ足を向けた。
旅が始まった頃から、行ってみようと思ってたのに機会がなかったんだよね。オンフォアでも魔物が襲ってくる騒ぎが起きて、すぐに街を出てしまった。
で、今度こそ。
フレイアの聖光教会は石造りの立派な建物で、中へ入ると壁や天井に色とりどりの絵が描かれていた。
どうも教典にある有名な場面を映し取ったもの、みたい。
一番奥に描かれているのは、淡い色のヴェールをかぶって、ひざをついて祈っている女性だった。
このひとかな。
光の乙女。
聖なる光の恵みを全ての種族に。
持てるものを隣人と分け合いなさい。
災いの星が降るときも、光を胸の奥へ灯しなさい。
恐れることはない。
祈りを捧げなさい。
光が災厄を打ち払うときが必ず来るーー
壁画の周囲にある文字を追っていくと、そういう内容が書かれていた。
彼女は元よりこの世の人間ではなく、天が遣わした存在だった。
あまたの地を巡って教えを広め、困っているひとびとへの奉仕を続けた。
そして若くして、再び天へ帰ったという。
壁画の女性は、太陽みたいな黄金色の巻き毛がくるくると肩や背を覆っていて、光を背負っているように見える。ふんわりしたヴェールの向こうにある顔は朧気で、目も閉じられているけど、きっと美しいひとだったんだろう……そう思わせる雰囲気があった。
⭐︎⭐︎⭐︎
背後でパタパタという足音がした。
誰だろう? 建物の中には今、わたし以外のひとはいない。
振り返ると、入り口から小さな人影が駆け込んできたところだった。
人間族の男の子ーーかな?
勢いよく走ってきて、わたしを見て「あっ!」と言った。
「あ、あのさ! 秘密にして!」
えっ?
秘密って、なにを?
聞き返す暇もなく、男の子はわたしとすれ違い、ダダダッと階を駆け上がって乙女の壁画ーーの前にある祭壇へ隠れた。
どういうこと?
答えも向こうからやってきた。
またも荒々しい足音がして、何人か別の人間が姿を現したんだ。
「女! 子供が来なかったか?!」
先頭にいる小太りな男性が、大きな声で怒鳴った。
ええと。女って、わたしのこと?
荒っぽい言い方でびっくりだ。
さっきの男の子が言ってたのは、これかなあ。
どう答えるのが正解だろう。嘘をつくのは、よくないと思うけど……
黙っていると男性は、どすどすっと足を踏み鳴らした。
「この儂が聞いておるのだ! 答えんか!」
「え……いえ、誰も来てないですよー」
この男性がもっと丁寧だったら、素直に教えてあげたかもね。ところが横柄すぎるので、とりあえず否定しておいた。
あの子に事情を訊いてからにしよう、と思ったんだ。
「ちっ、あのクソガキめ……女、見つけたら知らせるのだぞ!」
男性は回れ右をして、どすどすと出ていった。お付きのひと達も引き連れて。
身分が高いのかな? 金色の派手な刺繍がある服を着ていた。趣味は悪いけど高価そうではあった。
追いかけられていた子は何者なんだろう。
わたしは、周りに誰もいないのを確かめてから祭壇へ歩み寄った。
ちょこんと小さな頭が飛び出す。
「おねーさん、ありがと! アイツすげー失礼だったな。ごめんね」
「あはは、別にいいよ。あなたは誰?」
尋ねると、男の子はニカッと笑い、元気よく名乗った。
「ーーグレン!」




