4.オオトリキバクサ
女の子をいじめてはいけません。
さらに数日、わたしはラスティウスと森を歩いた。
ラスティウスはすぐ葉っぱだらけになるひとだった。
最初に山盛りくっついていた枯葉は払い落として、頭の後ろや背中にあるのは、わたしが取ってあげたんだけど。
彼はのろのろした動きで立ち上がってーーそうするとやはり、わたしよりも頭一つ分は背が高かったーー、数歩進んだところで前触れなく、ずしゃっと倒れ込んだ。
枯葉が一斉に舞い上がって、うつ伏せになった彼の上へ、はらはらと落っこちた。
なんにもない地面で転ぶって、逆に器用なことをするよね。
その後もラスティウスは樹の幹にぶつかったり、蔓草や根っこにつまずいたり、目の前にあるはずの枝に引っかかったりした。
わたしはそのたびに立ち止まって彼を助け起こして、葉っぱや土埃を払ってあげた。
見捨てようという気持ちにはなれなかった。
なんでだろう。
置いていったらラスティウスは永遠に森から出られないだろうなって思ったから……かな。
それに新鮮だったのかもしれない。誰かの面倒を見てあげるのが。
わたしはいつも、アルザートに助けられてばかりだったから。
⭐︎⭐︎⭐︎
ラスティウスは森歩きが下手なだけで体力はあるらしく、めげずについてきた。
嫌そうな顔一つしない。というか、全然表情が変わらない。さっき頭に太い枝が直撃して痛いはずなんだけど、なんでか平気そうだ。
「ラスティウス、痛くないの?」
「……特には」
「たんこぶになったり腫れたりしてない?」
「ない」
「じゃあいいけど、注意してね? そこにあるのはオオトリキバクサだから危なーーあっ」
踏んじゃった。
大取牙草は生きものを捕らえて食べてしまう、ちょっと物騒な植物。
といっても触手枝に触らなければ害はなくて、恥ずかしがりで控えめな子だ。
ところがラスティウスは思い切り踏みつけてしまった。
それは怒るよね、オオトリキバクサだって。
あっという間に、木立の間から蔓状の触手枝が何本も飛んできて、ラスティウスに巻きついた。
彼の身体が持ち上げられて宙に浮き、同時にメリメリ、バキバキという音がして地面が割れ、地下に隠れていた塊根が現れる。
オオトリキバクサの本体だ。
塊根の真ん中にその名の通り、鋭い牙が並んで生えた大きな口がある。正確には消化液が入ってる袋状の器官なんだけど、捕まえた獲物をあの口に押し込んで、溶かして栄養にしちゃうんだ。
どうしようかな、とわたしは迷った。
このままだとラスティウスが食べられてしまう。
でもオオトリキバクサだって森で生きていく必要があるから、ごはんを横取りするのは気の毒だ。
とりあえずラスティウスを離してもらって、なにか代わりのものでもーー。
しかし、わたしより彼の方が早かった。
ラスティウスは唇を動かして何か言った。
エルフの長耳にも聞き取れない不思議な言葉だった。
途端に、ひんやりと気温が急降下する。
え、なに?
びっくりしたのも束の間、時ならぬ冬の嵐が襲いかかった。
吹雪だ。
ラスティウスとオオトリキバクサの周りにだけ氷のつぶてが現れて、轟々と暴れ回ったのだった。
「うわあ、ちょっと、ラスティウス……」
幸い、魔法の吹雪はすぐ止んだけど、景色は一変していた。
ここだけの銀世界ーー。
凍りついた触手枝が、ぼろぼろになって崩れ落ちる。
ラスティウスは身体の自由を取り戻し、自身が降らせた雪の上へ、ふわりと着地した。
藍色の目が動き、残った塊根を見る。オオトリキバクサの本体は、地面を凍らされて逃げられないようだ。
わたしは慌てて彼に駆け寄り、その手を押さえた。
「駄目だよ、ラスティウス。やりすぎ。いくらなんでも」
「……なぜだ?」
「オオトリキバクサはおとなしい子なんだよ。あなたがいきなり、触手枝を乱暴に踏んづけるからいけないの。おまけに、あんな魔法を浴びせたりして。女の子をいじめるにも程があるでしょ」
「…………」
ラスティウスは無表情ながら困惑したようで、わたしとオオトリキバクサを見比べる。
「……私の知識にある女性とだいぶ違うようだが」
「いくらあなたが人間で、森に詳しくなくてもね、これくらいは常識じゃない。オオトリキバクサは雌株しか大きくならないの。雄株は手のひらより小さいんだから」
「そういう問題……なのか?」
「とにかく、わたしがあの子と話してくるから。あなたはここにいて」
ラスティウスの肩を叩いてから、わたしはオオトリキバクサの方へ向かった。
でもかわいそうなオオトリキバクサはすっかりおびえてしまっていて、話をするどころじゃなかった。
静かに立ち去るより他にないみたい。
わたしは「彼女」にごめんねと告げ、魔法で周囲の氷を溶かしてやり、ラスティウスをうながしてその場を後にした。
⭐︎イケメンとキモカワ肉食植物を天秤にかけるエルフ美少女。
⭐︎オオトリキバクサはアクティブなウツボカズラのイメージです。