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31.同族(後編)

 明け方に目が覚めてしまった。

 まだ睡眠を取る日じゃないからね。

 眠っているラスティウスを起こさないように、そっと抜け出した。



 ヴェラドニカは家の外、大きな樹の側にいた。

 吹雪は止んでいるけど、空はやはり、厚い雲に覆われている。


「ヴェラドニカ」


 声をかけると、彼女が振り返った。


「おや、おはようさん。何の用だね?」


「話があって。ヴェラドニカの恋人ってどんな人間だったのか……聞いていい?」


「聞きたいかえ? いくらでも話せるから、長くなるかもしれないよ?」


「うん。知りたい」


「ふふ、そりゃあ良い男だったさあ。若い頃は人間の娘にも人気があってねえ」


 ヴェラドニカは目を細めて、柔らかな声で語り始めた。


「ちょっと抜けているところもあったんだが、そこがまた、可愛かった」


「うん」


「年老いて、しわが増えても渋みがあって良い男のままだった。あたしも一緒に、しわくちゃの婆さんになりたかったよ。それで、こんな手の込んだ幻惑魔法をこさえたりもしたんだけど」


 ヴェラドニカの美しい顔が揺らぎ、お婆さんになって「キッヒッヒ」と笑った。


「本当は子供を授かれれば、だいぶ違ったんだろうけどねえ。残念ながら、あたしが身ごもることはなかったよ。元々エルフの女は妊娠しにくい。仕方のないことさね」


「そっか……薬草酒を作ったり、肉料理の仕方を覚えたりしたのも……そのひとのため、だった?」


「おや、分かるかえ? もちろんさあ。エルフには必要ないだろう?」


 エルフは薬草に限らず植物全般に詳しいけれど、自分達はほとんど薬を必要としない。幼い子供に使うぐらいだ。

 お酒に入れたりはしないね。風味を変えるために試すくらいかな。

 でも、彼女は人間の恋人が長生きできるように、色んな工夫をしていたんだろう。


 わたしはそっと息を吸った。

 ヴェラドニカはただ、同じ種族だというだけじゃない。

 人間の恋人を持っていたエルフの女性……奇跡的な偶然で巡り会った、同族だ。

 訊いてみたかった。

 彼女が嫌な気持ちにならないことを祈って、口を開く。


「……後悔、しなかった……?」


 答えは即座に、返ってきた。


「したさ。もちろんしたよ、何回も何回も。でもねえ、リューエル」


 エルフの姿に戻って、ヴェラドニカは微笑んだ。


「もしも時をさかのぼって、もう一度やり直せるとしても……あたしは、あのひとについていくよ」


「そう……うらやましいな、ヴェラドニカが」


 わたしは自分のことを話した。

 世界樹の里を出てきた理由。ラスティウスが森の魔法に捕まっていたヨミガエリだということ。彼の記憶を取り戻すために、フレスベル王国へ行く途中だということ……


 ヴェラドニカは黙って聞いてくれて、思わず涙をこぼしたわたしを抱きしめて、頭を撫でてくれた。


 そして言った。


「あんたの思う道を進んだらいいよ、リューエル。ただねえ……一つだけ言っておくと、あまり時間がないかもしれない」


「それは、災いの星が落ちたから?」


「多分ね。北に魔物が多いのは元々、闇の魔力が集まりやすい土地だからさ。でも、このところ急に闇が濃くなった。あたしは長いこと此処にいるから、くっきりと分かってしまう」


「世界樹の力が必要になるんだね」


「その通りだよ……八十年より、もしかしたら」


 ヴェラドニカは、わたしの目を悲しそうにのぞき込んだ。


「それでも……一緒に行くよ、ラスティウスと。普通の人間の一生より短い間でも、離れたくないの」


 わたしは空へ向かって伸びる樹を見上げた。

 永遠を表すこの樹は、冬でも葉を落とさない。

 遠い梢から、さらさらと葉擦れの音が降ってきた。



⭐︎⭐︎⭐︎



 雪は降ったり止んだりしていたけれど、数日ですっかり去って、しばらく大丈夫だとヴェラドニカも断言してくれた。

 わたしとラスティウスは、手早く準備を整えて出発する。


「よかったのか?」


 雪の積もった道を歩きながら、ラスティウスが言った。


「ヴェラドニカの元から……離れがたいようにも見えたが」


「そんなことないよ。それは、ヴェラドニカは同族のエルフだし、気が楽ではあったけど」


 わたしが答えると、ラスティウスは意外な言葉を返す。


「……少し、嫉妬していた。ヴェラドニカと君はとても仲がいいと言うか。私には入れない壁があるように思えた。我ながら心が狭い」


 ヴェラドニカはわたしと同じ、エルフの女性だから。

 頭では分かっていたけど、どうにも割り切れない部分があったんだという。


「気づかなかった。ごめんねラスティウス。でも、わたしも実はそうだったよ」


 ヴェラドニカは人間と長年暮らしていただけあって、わたしよりもラスティウスのことを理解できているように感じるときがあった。

 彼女は亡くなった恋人を今も深く愛していて、ラスティウスを決して、色恋の目では見てはいなかったよ?


 でも、ちょっとした気遣いとか、料理の味付けとか、わたしが想像もしていなかったことを、彼女はたくさん知っていた。ヴェラドニカはわたしを馬鹿にしたりしなかったし、快く色々と教えてくれたんだけれど。

 なぜか、ほんのちょっぴりだけ、面白くないというか。

 割り切れない気持ちーーまさにその通りだね。


「では、お互い同じような気分だったのだな」


「そうみたいだね」


 ラスティウスと、どちらからともなく手をつないだ。



 振り返ってみても、もうヴェラドニカの住まいは見えない。



 二百年前から、隠れ棲んでいるのだと言っていたヴェラドニカ。

 きっと彼女はこれからも、ずっと、あの場所で静かに生きていくのだろう。

 恋人のためだった薬草を育てながら、時に年老いた魔女へ姿を変えて。


 小さな家を(いだ)くように枝葉を伸ばす、弔いの樹の下で。


⭐︎大変細かい設定ですが、エルフに近しい種類なら「樹」で、そうでない普通のものは「木」という表記をしています。

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