3.人間を拾う
変な人間を拾ってしまった。
いや、わたしより背が高い大人の男性だから……拾ったなんて表現はおかしいかな。
でも実際にそんな感じだったんだ。
世界樹のエルフの里がある森は、とても広い。
里から離れて数日歩いても、辺りはまだ深い緑の中だ。
わたしもこんな遠くへ来たことはなかったけど、森ならどこでも自分の庭のようなもの。
葉擦れのざわめき、鳥達の啼く声、栗鼠や野ネズミ、うさぎが駆けていく小さな足音を聞きながら歩くのは楽しい。
ところが、進んでいくうちに奇妙な沈黙がやってきた。
生きものがみんな息をひそめて、様子をうかがっているような……
大きな獣でもいるんだろうか?
わたしは狩りをするときみたいに用心しながら、少しずつ近づいてみた。
好奇心があった。
もし危険だったら、すぐ逃げられるように身構えてはいた。森でエルフに勝てるものなんて、早々いないけどね。
そうしたら人間だった。
それも、エルフと同じくらい綺麗な人間だった。
夜空のような濃藍色の、長い髪。目はそれより少し淡い藍色。
顔の輪郭は細身のエルフと違って、やや骨ばった男性的な印象があるけれど、目も眉も鼻も口も全部あるべきところに収まっていてーーつまり非常に美しかった。
綺麗な顔にも色々あるんだなぁと、わたしは生まれて初めて知ったんだ。なにしろ、わたしは里のみんな以外どんな種族も見たことがなかったんだもの。
ところが。
彼、葉っぱだらけだったんだよね。
年老いた樹が倒れてできた、小さな陽だまりに彼は座ってた。倒木に寄りかかって、なにをするでもなく、本当にただ座り込んでいるだけ。
藍色の両目は開いていて、時折まばたきもするから多分、生きてはいる。
ところが、ひらひらと降ってくる枯葉が頭の上へ落ちても微動だにしない。一枚、また一枚と葉が落ちては彼へ降り積もる。髪や服のあちこちに、葉っぱが何枚もくっついている。
このひと、いつから此処にいたんだろう。
そして気付くと彼に見つめられていた。
わたしは気配を隠して、森と一つになっていたのに。
出来がよくないとはいえ、わたしはエルフ。森の半身と呼ばれる種族だ。
なのに樹々の間に身をひそめていたエルフを、彼はどうやってか見つけてしまった。
ところがーー彼はやっぱり身動き一つせず、驚くでもなく敵意を見せるでもなく、ぼんやりした視線しか寄越さなかった。
わたしは好奇心に勝てなくなった。
するりと樹の間を出て、姿をさらして彼へ歩み寄った。
アルザートがいたら顔色を変えて止めたと思う。でもアルザートはいなかったし、わたしはそのときにはもう、この不思議なひとに目を奪われていた。
動こうとしない彼の正面に立って、顔をのぞき込む。
「ねえ、あなた誰? どうして此処にいるの?」
「ーーーー…………」
そこからの静寂がまた、長かった。
彼は黙りこくったまま、わたしを眺めていた。
端正な顔には表情がなくて、精巧な人形みたい。
わたしも、繰り返しになるけど顔見知りじゃない相手と話すのが初めてだったから、他になにを言えばいいのか……
もう一度、さっきの質問を繰り返してみる?
それとも、別のことをきく?
しばらくの間、わたし達は見つめ合ってしまった。
「ーーラスティウスだ」
口を開いたのは、意外にも彼の方だった。
「魔道士……だと思う」
だと思う、って。
自分のことなのに、妙に頼りない言い方をする。
「なぜ、こんなところに? 人間がいていいような森じゃないよ」
間近に顔を寄せて見てみると、ラスティウスの美しさはいっそう際立っていた。
でも髪の間からのぞいた耳はとがっていない。エルフじゃない。
ドワーフやホビットは背丈が低いらしいから、違うかな。座り込んでいるので目線は低いけど、立ち上がったらわたしよりも身長が高そう。
獣人族なら獣の耳やしっぽがあるはず。
ないよね?
首より下は、ゆったりした黒い服を着ていて分かりにくい。
髪も黒に近い色合いだから、そこにだけ夜がわだかまっているような、そんな錯覚が湧いてくる。
でも、なんとなく、人間っぽい……かな。
そう思いながら見ていると、ようやく彼の答えが返ってくる。
「……気付いたら此処にいた」
「なぁに、それ。変なの」
間抜けな人間だなあ。
自分のことは棚に上げて、わたしは思った。
ラスティウスの言うことは明らかにおかしかったけど、わたしは彼を疑いもしなかったんだもの。
人間は息をするように嘘をつく。
だから気を付けなさいって、あんなに言われていたのにね。
わたしにはどうしても、ラスティウスがでたらめで誤魔化したように見えなかった。
表情には出ていなかったものの、本当に訳が分からないという様子でーーいきなり森の奥深くに放り出されて、途方にくれているみたいだった。
それで、わたしは彼に手を差しのべてしまったんだ。
「わたしはリューエル。エルフだけど森を出るところなの。だから……一緒に行く?」
彼は、また少しの間わたしを眺めていたけれど。
ゆっくりと腕を上げて、わたしの手を取った。
触れ合った指先に、ちゃんと体温があった。生きてる人間だ。
わたしはその手をしっかり握って、彼を拾ってあげることにした。