2.当てのない旅
わたしは旅に出ることにした。
アルザートと顔を合わせにくい。彼だってそうだろう。好きなひとを口説きたいだろうし。
里のみんなはずいぶん反対して、特にアルザートはものすごく怒られてたけど、わたしが取りなした。
わたしとアルザートは里の古い取り決めで婚約していただけで、二人とも恋愛感情があるかって聞かれたら全然ない。他のエルフを好きになったアルザートはもちろん、わたしも彼は嫌いではないけど、婚約破棄されて失恋して夜も眠れない、などということはない。
里の取り決めだって、どうしてあるのか誰も知らないような大昔の慣習だし。変えたって別にいいと思う。
生まれてからずっと、みそっかすなわたしの面倒を見てくれたアルザート。彼の幸せを願う気持ちはある。
ただし、わたしからは見えないところでやってほしい。
それに、わたしは外の世界を見てみたい。
エルフは長い寿命があるのに、とても閉鎖的で生まれた森をほとんど出ない。もったいないよね。
ここ百二十年以上、森の外からの客人も来てないから、わたしは他種族に会ったことがなかった。ドワーフやホビット、獣人族は当然かもしれないけど、一番数が多いっていう人間だって見たことがない。
「ちっとも面白いものじゃないわよ、人間なんて」
溜息をついたのは、わたしの母だ。
「私が若い頃は、人間が里へ来て交易をしていたわ。でもリューエルが生まれる少し前に、世界樹の枝を盗もうとした人間がいてね。それでやめてしまったのよ」
「ふぅん。どうして枝なんて盗もうとしたの?」
この里に限らない、全てのエルフの母なる樹。
この広い世界に根を張って生命の枝葉を茂らせ、安寧を守るのがーー世界樹。
エルフという種族は世界樹から生まれたとも言われてる。
言うまでもなく、とても大切なものだ。
傷つけるなんて、どんな理由があっても許されない。
でも人間には、何の関わりもないよね。
その辺の木の枝と一緒じゃないかな。
母は肩をすくめた。
「高く売れるみたいよ。エルフのような不老長寿になれると思われているらしいわ」
「ええー、そんな効果ないのに……」
「そうね、でも人間は狡賢いし、お金というものを欲しがるの。何も知らないリューエルが人間の街へ行くなんて心配だわ。教えてあげるから、もう十年くらい後にしたらどう?」
うん、母に悪気はない。
母もまた典型的なエルフだというだけ。
わたしはくすくす笑った。
「お母さん、ありがとう。でもわたし、もっと早く出発したいよ」
「ああ……そうだったわね。ただでさえ、あなたを見送るのがつらいものだから」
母は微笑み、わたしをそっと抱きしめる。
わたしも久しぶりに、母の胸へ身体を預けた。
物心ついた頃から今に至るまで、母は一つも変わっていない。
優しさや愛情はもちろん、容姿も含めて。
そう思っていたけど。
やはり年を重ねて、小さくなってしまったようにも感じる。
でも、わたしはーー自分の心に嘘はつけない。
「行ってくるね、お母さん」
⭐︎⭐︎⭐︎
森を歩いて仲よしの樹々にも、ひとときの別れを告げた。
ちょっとだけ留守にするよって。
樹はエルフよりも物静かで、感情もとても淡い。
ふーん、そう、行ってらっしゃい……そんな感じ。
さらさらと葉をそよがせて送ってくれた。
盛大に見送ってもらう必要なんてないから、ちょうどいい。子供じゃないのに恥ずかしい。ちょっと出かけるだけだもん。
このときのわたしは、そう思ってた。
母と里長にだけ挨拶をして、わたしはエルフの里から旅立ったんだ。
あまたの種族が生きる、広い世界を知るために。