18.馬車の旅
連休中は一日2回更新します。
出発が遅れたので冷や冷やしたけれど、その日のうちにカルルーネ行きの馬車に乗ることができた。
ガタゴトと馬車は進んでいく。
初めて乗った。結構揺れるね。
最初は面白かったものの、腰が痛くなってきたので、こっそり魔法を使って薄い風のクッションを作っておいた。上着の裾がかぶさっているから、他の人には見えないはず。
「器用だな」
「これぐらいはね」
短い会話を交わした。
揺れで舌を噛みそうになるから、あまり長い話はできない。
左隣に座っているラスティウスの姿を眺めた。
今の彼は普通の旅人の格好で、焦茶色のマントを羽織っている。整いすぎて人目を惹いてしまう顔も幻惑魔法を使って、目立たないように見せかけている。
わたしも同じ魔法をかけてもらったので、髪は栗色、耳もとがっていない。普通の人間の女性に見えるーーはず。
彼の横顔をじっと見た。
魔法の効果で、記憶に残らないようになってる。
目を離した途端に印象が薄れていき、どんなひとだったか思い出せないーーそんな感じ。
でも、注意深く目を凝らすと、その奥でふっと元の彼が見えるときがある。
わたしは本来のラスティウスの顔を知っていて、一応は魔力持ちだから、だね。エルフとしては魔力が少ない方だけど。
魔法も万能ではないんだよね。元とかけ離れた色や形に見せるのは難しいし、なにかの弾みで魔法が解けてしまうこともある。
世の中には魔力が強い人間だっているので、見破られてしまう可能性も皆無じゃない。油断は禁物。
「あのー。もしよかったら、これどうぞ」
ラスティウスと反対側から声をかけられた。
右隣に座っている女の子だ。
頬にそばかすがある、純朴そうな子。
手に持った小さなものを差し出している。
「蜂蜜入りの飴です」
「わあ、綺麗」
「疲れが取れますよ」
大きさは親指の先くらい。ころんと丸く、うっすら蜂蜜色に染まった透明な飴だ。
「食べるのもったいないね」
「うふふ、じゃあ、もう一つあげます。そっちのお兄さんは?」
「すまないが、甘いものはあまり」
ラスティウスも勧められたものの、断っていた。
「そうですか。男性にはよくいますよね、お酒の方が好きだったり」
女の子は気を悪くした様子もなく、飴をしまった。
馬車に慣れているようで、揺れをものともせず明るくしゃべり始める。
「ね、お二人はどこまで行くの? あたしはこの次のナジディまでです」
女の子の名前はメナ。
ナジディという小さな町の出身で、グラガレウの商会で働いているんだけれど、休みを
もらって里帰りするところだと教えてくれた。
控えめな性格に見えたけど、おしゃべりが好きみたい。
「私達はカルルーネまでだ」
「ずいぶん遠くまで行くんですね」
「そうかもしれないな」
ラスティウスは肯定も否定もしなかった。
本当はカルルーネどころか、その先まで行くんだものね。
わたし達、悪いことはしていないけど。
ラスティウスがエルフの森のヨミガエリで記憶喪失になっていて、自分の素性を思い出すための旅ーーだなんて、簡単に他人に話すことじゃないし。
おまけに、わたしもいる。
エルフは人間との交易をやめ、滅多に集落を出なくなった。人間にとって幻の種族になってしまったから、わたしの正体がばれたら大騒ぎになる。
ゴリラさんみたいに、事情を知らせたい相手には説明するけれど。
他のひとを巻き込んではいけない。
ラスティウスはメナに色々と訊かれても、上手にはぐらかしている。
わたしは、その隣で蜂蜜色の飴を口へ入れた。
舌の上で転がすと、じんわりした優しい甘さと、ちょっとスッとする香りが広がる。
「薄荷みたいな匂いがする」
「ああ、ハーブが少し入ってるんです。馬車酔いを軽くしてくれるんですよ」
メナはニコッとした。人懐こい笑顔だ。
わたしも笑顔を返しておく。
すると彼女は不意にわたしの方へ身を寄せて、小声でささやいた。
「ーーねえ。あんた、あのお兄さんとどういう関係なのかしら?」
…………どう言えばいいんだろう?
まさか本当のことは話せない。
メナが顔をのぞき込んでくるから、ラスティウスに訊く訳にもいかない。
わたしが困っていると、彼女はくすくすっ、と笑って口角を吊り上げた。
「うふふ。分かったわ、ナイショの仲なんだ。ふぅん、そうなんだ。駆け落ちとか?」
うーん。駆け落ちでもないけど。
「まあいいや。事情は訊かないであげるわ。この飴、まだ食べる?」
「ううん。もうすぐ野営地につくみたいだし」
「ああ、そうね。残念」
メナは再び意味あり気に微笑み、身体を離した。
代わりのようにラスティウスが気遣ってくれた。
「大丈夫か?」
「うん……平気」
メナは、また別の人に話しかけて飴を勧めている。
おとなしそうな女の子に見えたけど、人間は見かけによらないって本当だね。
蜂蜜の甘さの裏に、フジネムリバナの薬の香りが隠れてる、この飴みたいに。
わたしは薄くなった飴をくしゃりと噛みつぶした。
でも、エルフには効かないよ。