ご主人様にハッピーエンドを ~ピッポ君、継母に虐げられた公爵令嬢を救う~
ボクは、ピッポ。クマのぬいぐるみなんだ。
ピンクのボディに、首には緑のリボン。
ちゃんと歩けるんだよ? 皆がびっくりするだろうから、昼間はルチアの部屋でじっとしているけれど。
ルチアは、ボクのご主人様。『生涯に一度だけ、一つのものに命を吹き込む』という超ハイレベルな魔法を持っていて、生まれたのがこのボクってわけ。
最初に貴族令嬢なんだって聞いたときは、嘘だろ? って思ったね。
だってルチアときたら、いつもボロボロのワンピースを着ているし、食事は冷めかけの野菜スープとカチカチになった黒パンだけ。おまけに朝からメイドに混じって、屋敷の掃除なんかしている。
とてもじゃないが、お嬢様には見えないよ。
「おまえは本当にグズね。午後からは大広間で掃除の続きをしなさい」
「お義母様、午後はブルーノ殿下がいらっしゃ……」
「口答えしないの! 殿下のお相手はニーナがするからいいわ」
「でも、殿下はわたくしのっ……」
パン! と平手打ちの音がした。ルチアが継母に叩かれたんだ。
これは、めずらしいことじゃない。ときにはムチで打たれたり、食事を抜かれることもある。
二年前に父親が再婚して、この継母と連れ子のニーナが屋敷で暮らすようになってからイジメられるようになったらしい。
らしい、というのはボクが生まれる前のことだから。
朝からこき使うだけじゃ飽き足らないのか、この数か月、婚約者のブルーノ第三王子と会うのを邪魔している。嫌なやつだ。
「ううっ………うっ……ブルーノ様……」
ルチアはベッドに突っ伏して泣いている。
本来の部屋はニーナのものになってしまったから、陽当たりの悪い屋根裏部屋にボクたちはいる。暖炉もなくて冬はすっごく寒いんだ。
父親は仕事で外国を巡っているので滅多に帰らないし、使用人は我が身可愛さに見て見ぬふり。この家にルチアの味方はいない。
たった一回こっきりの貴重な魔法を、幼い頃に母親から贈られた古びたぬいぐるみに使ってしまうくらいだ。相当辛かったんだろうな。かわいそうに。
『お母様とお話しできるような気がしたんだけれど、あなたは男の子なのね』と戸惑い顔だったのが忘れられない。
それからルチアは『会えて嬉しい!』って、泣き笑いしながらピッポという名前を付けてくれたんだ。
力になってあげたいのに――。
「ルチア、泣かないで。キッチンからホットミルクをくすねてきたからさ」
こんなことしかできない。
ぬいぐるみだからね。短い手足じゃ遠くまで歩けないんだ。せめてお祖父さんの家まで行けたら助けを呼べるのにな。
手紙は無理だ。継母が捨ててしまうから。お祖父さんからの問い合わせにも「ルチアが返事を書きたがらない」とか「我がままで手を焼いている」とか、ないことないことを吹き込んで平然としている。ホント、嫌なやつ。
「ありがとう、ピッポ君。掃除をしていたら、ブルーノ様とニーナの楽しそうな笑い声が聞こえてきたわ。殿下はわたくしのことなんて、もう忘れちゃったのかな」
ルチアはしょげて下を向いてしまった。
「そんなことないさ。王子様はルチアの婚約者なんだから」
「まさか会えなくなるなんて思わなかったわ。このままだと婚約解消になってしまうかもしれない」
そんな! 絶対に阻止しなくちゃ!
「何かボクにできることはない?」
するとルチアは、力なく首を横に振る。
「お祖父様が無理なら、せめてブルーノ様に現状をお知らせできれば……いいえ、きっとわたくしの訴えなど誰も信じないわ。皆、お義母様の口車に乗せられて、今やジャンですら、あの二人の味方だもの」
そうそう、ジャンは家令のくせに跡取りのルチアを守らない不届き者だよ。
父親が家に帰ってこないのをいいことに、継母がジャンを誘惑したんだ。やつは、すっかり骨抜きになっている。
なんで知っているのかって?
ボクの活動時間は夜なんだ。誰もいないから屋敷中を堂々と歩けるだろ?
すると他人に言えないようなことや、悪だくみをしている場面に遭遇することもある。
たとえば今夜みたいに、ルチアのホットミルクのカップを片付けようとキッチンに向かう途中で、執事室の前を通りかかったときとかにね。
「今日、夫から便りが届いたの。また断られたわ……夫の養子になればニーナだってブルーノ殿下と結婚できるのに、頑なに受け入れてくださらないのよ。イライラするわ」
「ルチアお嬢様が当主になれば、もう横領はできなくなりますし、奥様たちの予算も半減しますよ」
「それは嫌よ! ドレスや宝飾品が買えなくなるじゃない。なんとしてもニーナにこの家を継がせなくては。……仕方ないわ、書類を偽造しましょう」
「しかし、旦那様の印章がなければ……」
「同じものを職人に彫らせるのよ。協力してくれるでしょ?」
「はい。奥様のためならば」
ジャンのやつ、横領してたのか。
継母もさ、文書偽造なんて正気じゃない。犯罪だよ?
ルチアから母親の形見の宝石や王子様からのプレゼントを取り上げたくせに、そのうえ婚約者まで奪おうとするなんて許せない。
これは結婚まで悠長に待っている場合じゃないよ。
でも一体どうしたら……そうだ!
ボクにだって、証拠の帳簿を探すくらいはできるんじゃないか?
それからというもの、奮起したボクはスパイさながらに動き回った。
夜な夜なジャンの執務室に忍び込んだり、継母やニーナのクローゼットの中を漁ったり。
徹夜もしたよ。
その甲斐あって重要書類の入った金庫の暗証番号もバッチリ覚えたし、クローゼットにルチアの宝石がたくさん入っているのも発見した。
しかも継母の机の引き出しは、ルチアに渡すはずの王子様の手紙でいっぱいだ。
「すごいわ! ピッポ君」
ルチアがぎゅっと抱きしめてくれた。
エヘッ、ボクってやればできる子。
あとはそれらをいつ回収して、誰にどうやって渡すのかってことなんだけど……ヘタに手を出して警戒されたら、証拠を隠滅されてしまう恐れがある。
どうしよう。
「その証拠があれば、きっとブルーノ様も信じてくださるわ。でもいらっしゃるときは、お義母様に用を言いつけられるか部屋に閉じ込められているから、お伝えするのは難しいのよね」
「ボクが部屋を抜け出して、王子様に話すよ」
「……ピッポ君、自分がぬいぐるみだってこと、忘れてない?」
「あ、そうだった」
こんなピンクのクマがいきなりしゃべったりしたら、びっくりして話を聞いてくれるどころか気味悪がられるのがオチだ。
はぁ~。
ボクたちは、同時にため息を漏らした。
ルチアが部屋を出る方法を探さないとダメだな。
ボクみたいにチェストの裏の壁の穴からってわけにはいかないもんね。
スパイ活動を継続しつつ、数週間が過ぎて――。
バタン!
扉が開いて、勝手にニーナが入ってきた。
彼女は自慢話をするときだけ、前触れもなくやって来る。
「ふふん、見てよ、このドレス。殿下からいただいたのよ!」
小鼻を膨らませ、くるりとターンした。胸元にはエメラルドの首飾り。
だけど、微妙にサイズが合ってないんだよなぁ。ウエストはキツキツで肉がはみ出そうだし、丈は長いし。
これ、絶対にルチア宛のプレゼントだろ?
「そう、ブルーノ様が……」
「三日後、王宮で特別な舞踏会があるんですって。私が行くからルチアお義姉様は留守番していればいいわ」
「ダメよ、家のお茶会とは違うの。国王陛下がいらっしゃるわ。何かあったら、ごめんじゃ済まないのよ?」
「うるさいなぁ。いいじゃない、陛下も私のほうが殿下にふさわしいと思うはずだわ。そうなれば、お義姉様はこの家の厄介者ね。居辛いだろうから、お母様に頼んで修道院に送ってあげる。感謝してよね、アハハ」
ニーナは笑いながら、バタバタと走り去ってしまった。
う~ん、なんか粗雑なんだよなぁ。やっぱり王子様には、ルチアのほうがお似合いだと思う。
「待ちなさいっ、ニーナ。あなたはまだ……」
ルチアは引き止めたけど、戻ってくるわけないよね。
そのうえニーナが告げ口したのか、怒り心頭の継母にムチで打たれてしまった。
舞踏会には自分が行くべきだと真っ当な主張をしただけなのに、「生意気」だってさ。
「おまえなんて、そのうち修道院に送ってやるわ!」
継母は、無情な宣言を下して部屋を出て行った。
「ルチア、大丈夫? まったく継母のやつ、なんてひどいことを!」
背中に血がにじんで痛そうだ。薬箱を持ってこなくちゃ。
「だ、大丈夫……。ニーナはこの家の正式な娘ではないし、まだ舞踏会に行ける年齢でもないのに、お義母様は何度教えても聞く耳を持たないのよ。このままじゃ、マズイわ」
そうなんだよ、ニーナは来年にならないと社交デビューできない。
継母は元平民だから、その辺りの情報に疎いんだ。
元平民と言うと「私は準男爵の娘よ!」って怒るけど、この国で準男爵は一代限りの名誉称号で、爵位ではないから貴族に含まれない。
だから連れ子のニーナの身分は平民なわけ。
そもそも招待されていない王宮の舞踏会に行けると思うほうがおかしい。王様に怒られちゃうよ。
父親は、なんであんなのと結婚したんだろう。やっぱり胸が大きいから?
「どうする? ルチア」
「ニーナを王宮へ行かせるわけにはいかないわ。騒ぎでも起こされたら、我が家は終わりよ。こうなったら、なんとかしてブルーノ様に会うしかないわね。舞踏会当日は、我が家まで迎えにいらっしゃるはず。そのときに……っ、痛っ!」
「と、とりあえず手当てしよう。包帯を探してくるっ」
ルチアが傷の痛みに顔を歪めたので、ボクは慌てて部屋を飛び出した。
◇◇
ボクらの作戦はシンプルだ。
王子様が迎えに来たタイミングで、ルチアが颯爽と登場。事情を話し、ボクは回収した証拠をその場に持っていくだけ。
継母たちの悪行を暴露すると同時に、証拠を突きつけてやる!
地道なスパイ活動が実を結び、メイド長室にあった屋根裏部屋のスペアキーを手に入れられたからこその策だ。これで部屋に閉じ込められても、もう安心。
偽物の印章が完成して、金庫に入れられたばかりだということもわかった。
早くどうにかしないと印章が悪用され、この家がメチャクチャになってしまう。
絶対に成功させなきゃ。
と意気込んでいたはずが――。
当日になって、ルチアが寝込んでしまったんだ。おでこが熱い。
た、大変だ!
「ご……めんね、ピッポ……君。わたくし……もうダメかも……」
「ルチア、ルチア、弱気になっちゃダメだ。王子様と結婚するんだろ? ほら、お水を飲んで」
ルチアが水を飲んでいる間に、冷たい水で浸した布を絞る。
「ありがとう……ピッポ君の腕が濡れてしまったわね」
「なんのこれしき。とにかくゆっくり休んで」
「でも、今日はブルーノ様が……」
「夕方まで、まだ時間があるから」
「う……ん…………」
何度もおでこの布を取り替えているうちに、ルチアが寝息を立て始めた。
ゼーゼーと苦しそうで、熱はなかなか下がらない。
ずっと粗末な食事だったから、体が弱っているんだな。
たぶん、今日は動けないだろう。
刻々と時間だけが過ぎてゆく。
王子様が現れるまで、あと少し。ボクがなんとかしなくちゃ。
とにかくジョンの執務室の金庫にある偽印と裏帳簿を回収しよう。そして、ルチアを助けてくれって訴えるんだ。
「あら? 今、何かピンク色のものが動いてなかった?」
「何も見えなかったわよ。気のせいじゃないの?」
「そっか、そうよねぇ~」
「あっ、子ブタが走ってる!」
「そんなバカな。この屋敷にブタなんかいないよ」
「念のため料理長に確認してみよう」
「それもそうだな。晩餐の食材がなくなったら、奥様がうるさいから」
「今、カーテンがひとりでに動いたわよっ」
「ま、まさか、幽霊?」
「ひぃ…………!」
「〇▽※~!」
危ない、危ない。
まだ使用人たちが働いている時間だから、見つからないように歩き回るのは至難の業だ。
ジョンはさっき継母に呼ばれていたから、執務室には誰もいないはず。
今がチャンスだ。
ボクは扉を開けて、素早く室内へ滑り込む。
机の上には、あとは印章を押すだけになっている養子縁組の書類が置いてあった。緻密に再現された父親のサインまで記入済みだ。
「これも持っていこう」
小さく折りたたんでから手に持ち、次に金庫へ向かう。
えっと、暗証番号は――。
「8、7、8、2……」
慎重に一つずつダイヤルを回していく。
しばらくして、カチャという音とともに金庫の扉が開いた。
背伸びして掻き出すように腕を動かし、真新しい小箱を回収する。中身は偽物の印章だ。まだ使った形跡はない。
「あとは裏帳簿……うへ、奥のほうにあるな」
手が届かない。あと二センチ! これだから腕が短いと不便なんだ。
ぴょんぴょんとジャンプしながら帳簿に手を伸ばす。
もうちょっとなんだけどな……。
その時、ガチャッと部屋の扉が開く音がした。
咄嗟に壁際の本棚の陰に身を潜める。
「誰かいるのか?」
ジャンのやつが戻ってきたんだ。キョロキョロと部屋を見渡している。
「金庫が開いてる……」
ジャンが目を見開き、ゆっくりと金庫に近づく。
ボクは証拠の偽印と書類を握りしめ、気づかれないようにやつの反対側に回り込みながら出口まで移動した。
そろり、そろり……部屋を出る寸前でふと目が合う。
あ、見つかっちゃった!
「えっ、ク、クマ………の、ぬいぐるみっ?」
ジャンがポカンとした顔で固まった瞬間、ボクは全速力で走りだした。開きっぱなしの扉を抜けて、表玄関をめがけて突き進む。
少し間を置いてから、後ろのほうでバサバサッと書類の山が崩れる音がした。
「ま、待てっ」
我に返ったジャンが追いかけてくる。
「待つもんか!」
ボクは短い足をフル回転させたけど――。
まあ、どうしたって人間のジャンのほうが速いよね。
あっという間に距離を詰められてしまった。
負けじと、ちょこまか動いて翻弄させる。
ジャンは、もう少しのところで躱されて捕まえられない。
どんなもんだい、こっちは身軽なんだよ。
階段の手すりを滑り降りる。これは速いぞ。
「誰かこいつを捕まえてくれっ」
ジャンが叫んだ。
わらわらと集まってきた使用人たちは、走るぬいぐるみに愕然となった。
「ぬ、ぬいぐるみが動いてるわ」とか「や、やっぱり呪いの人形なんだっ」とか、慄きの声がチラホラ聞こえてくる。
だからボクも脅かしてやった。
「ボクを捕まえたら、呪っちゃうぞぉ~!」
するとジャンの命令に従おうとしていたメイドが、「キャァ~!」と悲鳴を上げながら逃げていった。
「この盗人めっ!」とジャンが罵れば、すかさず「この裏切者っ」と返してやる。
「あの継母と不倫してるくせにっ!」
続けざまに口撃するとジャンの顔が真っ赤になり「な、な、なんでそれを」と、しどろもどろになった。
周囲から「うわ、マジか……」「旦那様を裏切ったのか」と白い目で見られ、足がもたついている。
その隙に、使用人の頭の上を一人、二人とジャンプして距離を稼ぐ。
表玄関まで、もう少しだ。あの階段を下りれば……。
ボクは、勢いよく階段の手すりに飛び乗った。
滑り降りている最中、継母の声が聞こえてくる。
「ブルーノ殿下、本日はルチアが舞踏会に出席できないので、代わりにニーナをお連れくださいませ」
「彼女がそう言ったのか?」
「もちろんですわ。あの子は、我がままなんですの」
「お義姉様が、気に入らないからとドレスを譲ってくださったの。ねぇ、ブルーノ殿下、いいでしょう? ニーナ、お城に行ってみたぁ~い」
わわっ、王子様、もう来ちゃってる! 急げ急げ!
それにしても継母のやつ、嘘ばっかり吐いてさ。
「今宵の舞踏会では、僕とルチアの婚約を公表すると連絡したはずだが」
「はい。ですからこの際、この家はニーナに継がせようと思います。近々、夫の養子として正式にこの家の娘になりますの。うふふ、殿下もそのほうがよろしいでしょう?」
「ニーナ、殿下のお嫁さんになりたいですっ」
「なるほど……」
継母に決定権なんてないのに、何を言っているんだよ。
突然、ガクンと体が傾いた。
わわっ、この階段、手すりが急カーブになってる!
曲がり切れずにボクの体は宙に放り出された。ポーンと大きく弧を描き、表玄関に落下してゆく。
「うわわわっ! 落ちるっ」
ニーナの頭にワンバウンドして、王子様の顔面にぶつかってしまった。
ケガ、ない? 頬に傷なし、鼻の高さよし、瞳はキラキラ、蜂蜜のような金髪は……ちょっと乱れているけど、美しさを損なうほどじゃない。うん、大丈夫だ。
そのまま下に落ちて、ぽすんと王子様の腕に収まる。
「き、君は!」
そりゃ、驚くよね。
四名ほどいる王子様の護衛騎士たちも、口をあんぐりと開けている。
でも言わなきゃ!
「王子様、騙されないで! ルチアは継母にイジメられているんだ。屋根裏部屋に押し込められて、今も熱があるのに誰も看病に来ない。お願いだよ、ルチアを助けて!」
「殿下、そんな薄汚いぬいぐるみの言うことなど嘘っぱちですわ」
継母が慌てて割って入った。
ニーナも上目遣いで「私をお城に連れてってぇ~」と、しなをつくっている。
「そうです、殿下。こんなへんてこりんなクマより、奥様のおっしゃることが正しいのです。ルチアお嬢様は、後継者にふさわしくない!」
はぁはぁと息を弾ませて階段を駆け下りてきたジャンが、継母に加勢した。その目はボクを射殺さんばかりに睨んでいる。
三対一で、こちらの分が悪い。
しかも、さっき王子様の顔にぶつかった拍子に証拠品を放り投げてしまったから、手ぶらなんだ。
偽印はどこかに転がっていっちゃった! しくじったなぁ。
でも……。
「……信じて?」
王子様の大きな手が、ボクの頭をポンポンと優しくなでた。
「うん、とりあえず君たちがルチアを虐げ、家の乗っ取りを企んでいることは理解した。この三人を捕らえよっ」
命じられた騎士たちが風のような俊敏さで、すぐさま彼らを取り押さえる。
「は、放してよっ」
「家の乗っ取りだなんて、誤解です!」
継母とニーナはバタバタと暴れ抵抗した。
一方のジャンは、捕まったショックからか呆然としている。
「私たちよりもぬいぐるみの言うことを信じるのですかっ? 殿下だって、ニーナを憎からず思ってくださっていたじゃありませんか!」
継母が声を荒げて、王子様に食って掛かった。
王子様はため息を一つ吐いて、ゆっくりと口を開く。
「信じるに決まってるさ。このぬいぐるみ……君、名前は?」
「ボクはピッポ。ルチアが名付けてくれたんだ」
王子様はそうかと頷いて、ボクの首に巻かれた緑色のリボンに触れた。
「この首のリボンは、僕が十歳のときに、初めてルチアにプレゼントした物だ。ルチアはリボンが色あせても、母親の形見のぬいぐるみに結んで大切にしていた。そのピッポ君が、必死に助けを求めているのだからね」
そう、あちこち色が抜けて明るくなってしまったけど、王子様の瞳と同じ深緑のリボンなんだ。
よかったね、ルチア。ちゃんと王子様は憶えていてくれたよ。
「それに、さっき自白したじゃないか。ニーナを跡取りにする、と。血縁でない者に家を継がせようとするのは、家の乗っ取りだ。この家の当主はルチアの祖父のチェスティ公爵で、父親は婿だよ? 中継ぎですらない男には何の権利もない。そんなことくらい知っていただろう? ジャン」
「殿下、奥様が正しいのです。奥様の希望は、すべて叶えられるべきです。奥様は神なんです。奥様は……」
王子様の問いかけに、ジャンが独り言のようにボソボソと答えた。
なんだか様子がおかしい。目も虚ろだ。
「これは、まさか……禁呪か! 隷属か魅了か洗脳か……いずれにせよ、こんな状態にされたのでは、まともな判断などできまい」
き、禁呪!? それじゃあ、ジャンはずっと魔法で操られていたってこと?
どうりでお祖父さんの忠実な部下なのに横領なんてするわけだ。
「取り調べはあとだ。ピッポ君、とにかく今はルチアの所へ急ごう」
「うん、屋根裏部屋はあっちだよ」
王子様はボクを抱えたまま継母たちの横を通り過ぎようとして、ふと思い出したように足を止めた。
「あ、そうだ。誤解のないように言っておくが、僕はニーナを女として見たことは一度もないよ。ルチアの義妹だから、それなりの態度で接しただけだ」
「そんなバカなっ」とニーナが驚く。「だって確かに殿下にも……」と言いかけて、マズイと思ったのか、すぐに口を閉ざした。
「残念だが、僕や護衛に魔法をかけても無駄だよ。君たちより魔力が高いんでね。ルチアにも効かなかっただろう? まあ、覚悟しておくんだね。禁呪の使用だけでも処刑は免れない大罪だから」
継母とニーナはワーワー騒いでいたけど、王子様は無視してずんずん屋敷の奥へと進んでいく。
屋根裏部屋にたどり着く間、ボクはこれまでのことを話した。
ジャンの横領のこと、書類を偽造するために父親の偽印を作らせていたこと、ルチアがムチで打たれていたこと。そして王子様と会えなくて寂しがっていたこと。
ボクたちがスペアキーで部屋の扉を開けると、ルチアは瞼を重たげに持ち上げて微笑んだ。瞳に涙の膜が張る。
「ルチア!」
「ピッポ君……ブルーノ様っ……会いたかった……!」
「助けるのが遅くなってすまない。この屋敷が異様なのは、薄々気づいていたんだ。だが、何が起きているのか調べるのに手間取ってしまってね。内偵の報告も要領を得ないし、迂闊に手出しできなかった。さあ、ひとまず王宮に場所を移そう。チェスティ公爵も心配しておられたよ」
王子様はベッドに駆け寄り、ルチアを抱き上げた。
ルチアは王子様の胸に顔を埋めて泣いている。しゃくりあげるたびに肩が震え痛々しい。
「ごめんなさい……あの二人に……好き勝手されていくのを止められなくて……。もっと早く、お祖父様やブルーノ様に相談すべきでした……。次期当主でありながら、この屋敷すら……管理できない情けない女だと思われたくなくて……対処を誤ったの。本当にごめんなさい……婚約は……解消されてしまいますか……?」
「婚約解消になんてならないよ」
「……でも、この醜態を……陛下がどう判断されるのか……」
「あの二人は、禁呪を用いて悪事を働いていたんだ。そんなの誰も想定できないよ。だがそれもピッポ君のお陰で解決した。彼を生み出したのはルチアだろう? 一人でよく頑張ったな」
そうそう、ボクの手柄は、ルチアの手柄さ。
ぬいぐるみだって、たまには役に立つだろ?
「ブルーノ様……」
「僕はルチアと結婚するって決めているんだ。君と初めて会ったときからね」
真っ赤だったルチアの顔が、さらに赤くなった。これは熱のせいじゃないよね。
王子様は、そんな婚約者の唇にキスを落としている。
こらこら、ボクの存在、忘れてない?
ま、いいや。
ルチアはボクの大切なご主人様なんだ。幸せにしてよね。
◇◇
その後――――。
正式な調査が開始され、継母の所持品から禁書の魔導書が見つかった。
継母とニーナは、『洗脳』の初級魔法で皆を操っていたんだ。
使用人たちに、ルチアより自分たちの命令に従うよう暗示をかけたりね。
初級魔法の効果は弱いけど、何度も重ねがけすればジャンのように深く洗脳されてしまう。
しかも少しずつ心が侵食されていくから、周囲も異変に気づきにくいのだとか。
だけど、継母たちより魔力の高いルチアや王子様には効かなかった。
血統を大切にする貴族は、平民よりずっと魔力が高いからね。
ただ何事にも例外はあるだろ?
たまたまルチアの父親の魔力が低かったってわけ。
継母と結婚した理由を『なぜだか結婚しなければならないという衝動に駆られた』と語り、首を傾げていたそうだよ。
幸いなことに婚姻無効が認められ、あの母娘との縁は切れている。
魔導書の入手ルートを解明したり、過去にもいろいろやらかしていて余罪がたくさんあるから調査に時間はかかるけど、あの二人の死罪は確実だ。
洗脳され横領に手を染めてしまった家令ジャンの処遇は、当主であるお祖父さんに一任されることになった。
ジャンは後遺症で記憶が曖昧になったり、喪失感にさいなまれたりしているらしい。禁呪は恐ろしいよ。
……なーんて言ってる場合じゃなかった! 早くしないと遅れちゃうよ。
今日は、ルチアと王子様の結婚式なんだ。
王子様がお婿さんになるんだよ。だってほら、ルチアが跡取りだから。
街では祝い酒が振る舞われ、お祭り騒ぎになっている。
大聖堂で挙式のあとは、公爵邸までパレードするんだ。
ボクも一緒に馬車に乗るのさ。
こうしちゃいられない。
「ピッポ君、準備はできた?」
隣の控室からルチアに呼ばれてしまった。
えっと、タキシードの袖に腕を通して、ボタンを留めて……っと。
あ、そうだ、蝶ネクタイ!
あたふたと手を伸ばして……下ろした。
「今行くよ~!」
このままでいいか。
ボクの首には、二人の思い出の深緑のリボンが、もう結ばれているんだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。