第49話 野咲あずきと月の女王 2
「黙っていてゴメンね、あずきちゃん」
話を姉小路に任せていた美琴がティーカップをそっとテーブルに置いた。
「わたしは六歳のある月夜の晩、急に魔法の力に目覚めたの。同時に女王としての記憶が蘇った。そこからは、地球人・月乃美琴として学校に通いながら、月の女王・ルーナリーアを務める二重生活になっちゃって、ホント大変だったわ。幸いなことに、魔法庁の役人さんたちがスケジュール管理をしてくれたお陰で何とか乗り切れたけどね」
「そのこと、月乃のおじさん、おばさんは?」
「知らない。話すつもりも無いわ」
その苦労が容易に想像できて、あずきは無闇に責めてしまった自分が恥ずかしくなった。
「ごめんなさい、事情も知らないくせに責めちゃって。ね、歴代の女王様の記憶があるって大変じゃない? 混乱しない?」
「女王の記憶といっても断片的にしか覚えていないの。月乃美琴として生きてきた二十年間の方が余程濃いわ。それはそうよね。千年を生きる女王の記憶を完全に持っていたらキャパオーバーで絶対頭がおかしくなる。忘れるから次の生を生きられる。人ってそういう風にできてるもの」
と、そのとき、あずきの上着のポケットが激しく脈動した。
――何だろう。
あずきが無造作に上着のポケットを探ると、それは、賢者エディオンから受け取ったブルームーンストーンのペンダント『ホワイトファング』だった。
「すっかり忘れてた。これ、ご先祖様が……」
不意に後ろに気配を感じ、あずきは振り返った。
そこに、灰色のローブを被った賢者が立っていた。
美琴と姉小路が反射的に立つ。
壁沿いに立っていた魔法庁の役人たちも、突然の賢者の出現に色めき立つ。
「……これを、返し忘れとっての」
賢者があずきの出したペンダントをそっと持ち上げる。
「わしは、盟約を果たせなかったからの。このペンダントはそれを条件に貰ったものなのに、貰ってすぐ死んでしまったからの。とりあえずわしとしては、いったんこれを返却しておきたいのじゃ。さぁ」
賢者がペンダントを美琴に向かって差し出した。
美琴がそれを受け取ろうと、手を伸ばす。
そのとき。
ぐっ。
あずきが賢者の腕を掴んだ。
魂魄なだけの、実体が無いはずの賢者の腕をだ。
部屋にいる全ての人の視線が、あずきに集まる。
「……あなた、誰?」
「な、何を言っとるんじゃ? あずきよ、わしじゃ。賢者エディオンじゃ。忘れたか?」
「……誰だって聞いてんの!」
あずきが賢者を睨みつける。
「ご先祖さまは感覚を信じろと言った。ヴェンティーマ公園の地下の秘密の部屋で会ったとき、確かにバロウズの血を感じた。でも今、あなたからは何も感じない。あなたはご先祖さまじゃない。絶対に賢者エディオンじゃない。あなたは誰!」
「人間風情が、気安く妾に触るな!!」
突如、凄まじい衝撃波が発生し、あずきは壁まで吹っ飛んだ。
衝撃の瞬間、ブラウニーのミーアママが杖に仕込んでおいてくれた自動防御魔法が発動し、あずきの全身を包むように一瞬で精霊による防御壁が展開された。
それが無かったら、あずきは肋骨を何本か折っていただろう。
だが、それでも衝撃を全て吸収することは出来なかったようで、あずきは痛みを堪えてゆっくり立ち上がった。
あずきの視線の先。
さっきまで賢者が立っていた場所に黒いモヤのようなものが漂っている。
モヤが急速に収束し、人型になっていき……漆黒のドレスを着た女性の姿へと変化した。
ドレスには宝石が無数に散りばめられていて、まるで星空のようだ。
天使の輪が浮いたその黒髪には、銀のティアラが載っている。
そして、ティアラのすぐ後ろ。頭のてっぺんから伸びる、うさぎのような一対の耳。
その顔は、月の女王ルーナリーアこと月乃美琴と瓜二つだった。
違いは、着ているドレスの色が白いか黒いかくらいしか無い。
あずきは思わず息を飲んだ。
次の瞬間、黒の女王が美琴に向かって猛スピードで右手を伸ばした。
右手が異様に長い。
爪だ。鋭い爪が一メートルも伸びている。
「陛下!!」
とっさに姉小路が美琴と黒の女王との間に飛び込んだお陰で美琴に怪我は無かった。
代わりに、盾にした姉小路のタブレットが真っ二つに折れ曲がっている。
攻撃に失敗した黒の女王がすかさず飛び退く。
「ヒュー。やるじゃん、姉小路さん」
おはぎが口笛を吹く。
「セレス姉さま!」
美琴が叫ぶ。
数メートルの距離を置いて、白の女王と黒の女王が対峙する。
その姿は、まるで鏡写しをしたかのようにそっくりだ。
「陛下! 何かございましたか! 陛下!」
とそこへ、異変を察知した王宮衛士たちがドカドカと部屋に入ってきた。
だが、目の前に繰り広げられている白の女王と黒の女王の戦いに、一瞬怯む。
やはり、何をどう介入してよいやら判断に迷うようだ。
衛士たちの逡巡をよそに、白の女王と黒の女王の視線が絡み合う。
黒の女王の顔が歪む。
あずきには、黒の女王のその表情が、まるで、泣きたいのを必死に堪えているかのように見えた。
「ルーナ……」
次の瞬間、黒の女王の姿が再びモヤに変わった。
あずきは、すかさず床に落ちていたブルームーンストーンを拾って、モヤに突進した。
そして、モヤが晴れたとき、そこに、あずきの姿は無かった。




