Chapter.4‐1
取り返しのつかない事態だった。
投与の時点でどのように身体の変化を起こしていくか理解していたというのに、いざその事態に直面すると、しでかした大きさに体が震える。
自分が彼女に何をしたのか、事実としては分かっている。けれど今になって、自分を納得させられなくなっていた。
彼女の体は日に日に衰弱していった。笑った時にふっくらと盛り上がる頬も、赤い唇も血色のよい顔も、今では嘘のようだった。呼吸の荒い彼女は、目を覚ましては力なく微笑む。あまり話は出来なくなったけれど、ときおり会話をしつつ彼女の部屋に入り浸り、気付けば十二月に入った。今では日中を彼女の部屋で過ごし、私室には体を洗ったり、寝に帰ったりするような生活を送っている。
ルサリィに関する上層部への報告は、絶対安静と書いておいた。実際、彼女には安静に過ごしてもらわねばならないが、最近では体調もやや回復し、夕方に微熱を出し翌朝まで倦怠感のため寝入るといった感じになってきている。昼間はそんなに辛くないのかベッドから体を起こして、時には室内で軽く体を動かすなど、明るく元気な姿を見せていた。
ステロイド投与については、使用頻度を下げた。中止も出来るには出来たが、私にはその判断は託されていない。研究といっても研究者が目的を作るのはいいが、最終的な判断というものはここが組織である以上、トップダウンになるのは抗いようもない。彼女の全ては、上層部によって決まるのだ。
しかし今回に関し、いまさら体からステロイドを抜かせるために使用を中止しても、すでに遅いのは確かだった。使用中は表に出てこないだけで、体に毒が蓄積しているようなものだ、中止してそれが表出するだけであるなら、そしてどの道もう体が健康でないのなら、本当に「いまさら」という状況しか作り出せない。
私は、その言葉に支配されていた。
上層部にしても、おそらく他の研究者にしても、その言葉がぴったりと当てはまっていただろう。彼らの見解は、至極明快だ。
――孤児というのは、使い捨てなのだ。使えるだけ使ってみればいい。
その存在はそれゆえに、わざわざ延命のための、健康促進と維持については元から考慮されていない。
しかし、これ以上は私自身が見るに耐えられなかった。きっと彼女に特別な感情を抱いてしまったからかもしれない。だから、彼女を救いたかった。彼女に償いたかった。
「継続不可の見込み」
次の報告で、私はそう書いた。
これで上層部が間違いなく言い渡すのは、彼女の限界までステロイドを継続使用し、それによる身体の精査なレポートを上げることだと思われた。いわば「死ぬまでやれ」という意味だ。もしそうなら、実験に使えなくなる寸前まで観察し、そしてそのまま彼女を死なせるはずである。それならそれで、私は彼女が最期を迎えるまで共にいるつもりだった。せめてその瞬間までは彼女を喜ばせ、彼女の望んだことをするつもりで覚悟していた。
また上層部が他に答えを用意しているとすると、私の報告後すぐに彼女を殺すというのも考えていた。それならば、彼女を引き取るつもりだった。実験としては使い物にならない彼女を国家が捨てるというのなら、自分が面倒をみるつもりであの報告をしたのだ。
果たして上層部が、どのような判断をするのか。どれにしても、彼女には最善と言えないだろう。だが少しでも彼女の思うように手助けが出来ればと、一縷の希望を持って、私は回答を待っていた。……しかしどうやら見誤っていた。
上層部から下った内容を理解したとき、あまりのことに放心した。何も、考えたくなくなった。ただ眠っている彼女のそばで「すまない」と「私はどうすればいい」と、都合のいい許しを心の中で何度も訴えていた。
一九八九年十二月十七日。
彼女の処遇が決まった。
――四日後に行われるチャウシェスク支持集会で、大統領支持派のセクリターテの要員を一人でも減らせ。
わずかな希望は潰えた。