Chapter.11‐2
観光客の多いカフェを避けると、自然と自宅で話をしようかという具合になった。
カタリーナを自宅に招きリビングに待たせ、大学のものよりかはうまいコーヒーを淹れにキッチンへと向かう。
私はいま公営の小さなアパートに住んでいる。ルーマニアに来て二十数年。一般のルーマニア国民の生活が板に付いて、ひとり気侭な生活を謳歌していた。
「……カタリーナ、砂糖だけでいい?」
「ええ。ちょっと薄めにしてもらえる?」
要望通り、いつもより薄いコーヒーをつくる。テレビと向かい合う小さなソファに座る彼女は、礼を言ってカップを受け取った。私は、仕事用の机から椅子を運び、ちょうど彼女と対角あたりに置いて腰掛ける。
「ねえ、プロフェソール。ミハイがね、帰ってくるって」
カタリーナはそう言うと、コーヒーカップに口をつけた。
「本当かい? カタリーナ、よかったね。彼はどれくらいいられそうなの?」
ミハイはカタリーナの三つ年上の夫だ。二人は昨年結婚したばかりだった。食品会社で働く彼は出張が多く、帰ってきてはまた出て行くというような生活をしており、とても忙しくしていた。そんな彼に、交際当初から二人の時間がないとカタリーナはぼやいていたが、その割に結婚に漕ぎつけたのが早かったように思う。が、新婚である彼女の機嫌は、すこぶる悪かった。二人でいられる時間が結婚前と変わらなかったからだ。それを思い出すと、結婚直後の彼女の鬱憤に付き合っていた日々に、今でも苦笑いを浮かべてしまう。
カタリーナは先程の質問に、カップから目を上げた。
「それがね、今度は期限なしよ」
「期限なし?」
「転属するの。これからはずっと自宅通勤よ」
嬉しげな顔で話す彼女につられて、私も笑顔になった。てっきり今回も帰ってきてすぐに出張だと思ったが、違ったようだ。
「それは嬉しい報告だ」
うんうんと頷く私に、カタリーナは目を細めて「それもあるけど」と首を振った。どうやら報告というのは、これではないらしい。
カタリーナは「あのね」と一息おいた。途端に表情も変わったので、こちらも顔を引き締めて次の言葉を待つ。
「私、妊娠したの」
カタリーナが微笑を浮かべて言った。
私は彼女を食い入るように見つめた。思わず「え」とも「へ」ともつかないつぶやきが口からこぼれてしまう。すると彼女は言葉を変えて「赤ちゃんができた」と再び伝えてきた。まだ生まれるのは先だけど、と付け足し、自身の腹部を愛おしそうに眺めている。
「……それは、とびきりの報告だね、カタリーナ。おめでとう。そうか母親になるのか」
ようやく口に出せた言葉は、言った先から何と告げたか忘れるほどだった。しかし徐々に言葉の重みが浸透していき、年甲斐もなく子供のように相好を崩してしまう。
カタリーナも頬を緩ませた。
「ミハイも帰ってくるし、家族三人で頑張るの」
「彼も喜んでいるだろうね」
「そうなの。電話で伝えたんだけど、彼ったら、もう出張先で子供用品を見て回ってるんですって」
困ったわ、と笑う彼女は幸せに満ち溢れた表情だった。
「性別は分かるのかい?」
私の問いに彼女は「いいえ、まだよ」と首を振ったが、自信たっぷりな口調でこちらを見て言った。
「絶対、女の子だわ。何だかそんな気がするの」
その時の彼女は、ニコリというより、ニヤリと笑っているのが印象的だった。