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Maria  作者: おでき
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Chapter.10‐3

 軍としては全ての事実を闇に葬り去りたいのだろう。その結果が、研究所の閉鎖だった。

 研究所の周囲にも軍人の姿はないし、もしかしたら敷地内にはいるかもしれないが、正門は頑丈に封鎖されていた。

 その状況は、私に少しだけ安堵に似た気分を抱かせた。あまり長居せずにきびすを返す。教会への帰路を辿る間、皆はどうなったのか、そして教授はどうなったのかと、考えても埒が明かないことを考えながら歩いていた。

 これからどうなるのかという気持ちよりも、これからどうしようかという気持ちに包まれて、その場を後にした。


 教会に戻ってからというもの、軍に見つかるまでここに厄介になれるだろうかと、頼りない思考が私を支配していた。そうしてずるずると教会での生活が続き、研究所の閉鎖を目の当たりにしてから一ヵ月も経っていた頃か。私と共に保護された女の子の両親を教会は探していたが、一向に有力な情報は得られず、ついに彼女を身寄りのない子……孤児であると判断した。

 その頃には彼女への情が湧いていた。不安定になると泣いて叫んで、口を利かないこともあったが、接している内に彼女も心を開いてくれるようになった。あるとき自分のことをカタリーナであると名前を教えてくれたのは、今でもよく覚えている。あまりに嬉しくて、思わず彼女を抱き締めたものだった。娘を持った父親の気分とはこのようなものなのだろうかと感じた。

 そのカタリーナと共に過ごし始めて二ヶ月。神父は何も言わずに私達を教会においてくれた。私はずっと、神父の厚意に甘え、カタリーナに癒され、殺伐とした現実から目を背けていた。だがそれも終わりを迎える。

 三月になり、ほんの少しだけ冬の厳しさが遠のいた、しかし未だに寒い季節。神父は、教会に集う子供達と保護された孤児達が礼拝堂の前で一緒になって遊ぶ様子を眺めながら、隣にいた私に口を開いた。

「子供は平等に祝福されなければなりません。神にも……親にも」

 そうは思いませんか、と視線を投げかけた神父に言葉が出ない。

 かたや親がいる子供達と、かたや親から離れた孤児達。

 自身が重ねた過ちを思えば、軽々と同意など出来るはずもない。神父の言葉が重くのしかかる。下をずっと向いていると、子供達の遊ぶ声が聞こえた。顔を上げれば、快活で屈託ない笑顔が飛び込んでくる。その姿を見て胸が締めつけられた。

 気付けば私は、神父に告白をしていた。自分がどんなに鬼畜で惨い行いをしてきたか。自分の罪を、研究所での実験を。いまさら遅く、身勝手なのは承知している。けれど、償えるものなら償いたかった。その一心で吐露した。

 神父は静かにずっと耳を傾けてくれた。

 それでも私は「彼女」の本当の名前を言えなかった。誰にも、もちろん神父にも言えなかった。ルーマニアではありふれた女の子の名前だというのに、しかし私には尊すぎた。

 ……それほど「彼女」は、私の中で特別な存在だった。


 行き場のない私を、神父はまた救ってくれた。あの時……教会で初めて保護された日よりも、力強く。

 悔恨と懺悔に満ちた告白を、神父は咎めもしなかった。しかし、洗礼を受けていない私に赦しを与えることもなかった。ただ否定せずに受け止めてくれた。それでも十分すぎるほど、救われた。

「ドムヌル・マキ。……子供が幸せな世界は、大人も幸せな世界ですよ。ならば、大人が作るべきと思いませんか」

 告白のあと神父にそう言われた私は、体から力が抜けて崩れ落ちるように頷くだけだった。何度も何度も頷いていた。情けない自分に神父の気持ちは心底、響いた。

 しばらくして神父の勧めを受け、教会で勉強会を始めた。その過程で多くの子供達と関わった。中にはセクリターテに関係していた子もいる。彼らを見つめ続け、少しでも彼らが望む未来に近づけるよう手助けし、日々を過ごした。

 孤児達が将来、大人になった時に「誇れる実り」を内に持てるように。知識と智恵と教養と、情愛を持った人になれるように、と。


 革命から数年経っても、安穏とした日々を過ごしていた。軍にも危害を加えられず、また官憲にも目をつけられず、本当に平穏だった。

 未だ自由でいられるのは、表に資料が出てこない状況しか考えられない。関係者が口を噤むのは目に見えているし、革命の混乱に乗じて証拠が処分された可能性もある。安易な考えだろうが、あの研究自体がなかったことにされたのか、あるいは研究に関する一切の追跡を打ち切ったのかもしれない。

 償いのために生かされているような気がする今となっては、理由はどちらでもよかった。

 そうして、何度も季節が過ぎていった。

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