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Maria  作者: おでき
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Chapter.9‐2

「……おや。目覚めたようですね」

 低くゆったりとした声に、開きかけていた重たい瞼をしっかりと開いた。

「気分はどうですか」

 知らない声だ。弛緩していた体に緊張が走る。しかし思うように動けず焦ってしまう。私の動作に、その声の主は「大丈夫」とすぐに声をかけた。

「何もしません。あなたに危害を加えるつもりもないのです。覚えていますか? あなたは私の姿を見て、この教会の前で倒れてしまったのです」

 裾まである黒い服を着た男は、しきりに頷いて私の頭上に手を伸ばした。途端、部屋が暗くなる。灯りを消されたようだ。

「もう少しだけ、眠りなさい」

 思ったより暗くなった室内に――ああ夜だったのか、と私はまた目を閉じながらぼんやりと考えていた。

 

 次に目を覚ますと、薄暗い天井がまず目に飛び込んだ。ベッドからよろよろと起き上がり、どうしてこうなったのかを思い起こしながら、周囲を見渡す。どこかの室内らしく、全体的に狭くて簡素だった。窓の外側に鉄柵がないくらいで、他はマリアのいた部屋に似ている。

 ベッドから足を下ろして、立ち上がってみた。心身ともにこれほどの疲弊を味わったのは初めてだ。いざ立ち上がると、眩暈のせいで足元がおぼつかなくなる。

 すぐに後ろのベッドへと座り込んだ私は、開いた両太腿に肘をそれぞれついて、猫背のまま広げた足の間に見える床に目を落としていた。

 ここで最初に目を覚ました時、黒い服を着た男を見た。教会に辿り着いた覚えはあったが、その男の言った通りここは本当に教会だろう。男は裾を引きずりそうな長い服――確か祭服だったろうか――を着ていたし、何より窓からは礼拝堂らしき建物が見えている。

 そこまで考えていると、あの女の子の姿が脳裏によみがえった。

 ……私はあの子をどうしたのだろうか。あの子はどうなったのだろうか。

 教会まで抱えていたのは覚えているので、私がこうしてベッドに寝かされていたということは、彼女も保護されたのかもしれない。

 靄がかかったみたいにはっきりしない頭の回転で窓の外を眺めていると、ノックの音がした。ドアの方へと目をやると、黒い服を着た例の男が立っていた。

「起きていましたか。いや、失礼したようですね」

 勝手に入ったことを謝っているのか、そう言ってドアを閉めるとこちらへ近付く。

「気分は?」

 白い修道帽(クロブーク)からは白髪頭が覗き、皺の寄った目尻と顎のたるみが目立つ。六十代あたりか、笑い皺だけではない皺の数に、温和な表情がよく似合っていた。

「大丈夫です」と言った私に、男はベッドの近くの木製の椅子に座った。そのままベッド脇にあるテーブルに置いていた水差しを持ち、それを傾けグラスに中身を注いでいる。

「水です。……温かい飲み物がよかったかな? スープはいま作ってもらっているのですが」

 水を入れたグラスを差し出した男に、私は頭を下げてそれをゴクゴクと飲み干した。すると男がもう一杯注いでくれる。ひとまず緊張が解けたことで思いのほか喉が渇いていたようだ。

 二杯目を飲み終えてグラスをテーブルに戻した私は、ほぼ真正面に座っている男に顔を向けた。

「突然駆け込んだうえに介抱して頂きありがとうございました。あの、ここは教会ですね? ……ええ、と」

 私の質問に男は頷いた。こちらの言わんとしていることが分かったのか、ニコリと人好きのする笑みを浮かべて自己紹介をしてくれる。

「私はこの教会の司祭で、エネスク神父といいます」

「ケイジ・マキです」

 私の挨拶に、神父は「ドムヌル・マキ」と言った。ドムヌルとはミスターを指す。

「聞きなれないお名前だ。アジア系ですか」

 神父は私を見つめている。視線が髪から目に移ったのが分かる。名前だけでなく、色でも確認したのだろう。

「日本人です」

「そうですか。在住ですかな? 会話が流暢でルーマニア語には堪能のようだ」

 肯定した私に、神父は笑みを浮かべたまま眉を下げた。

「……しかし、大変なところに巻き込まれたようですね」

 そう言って、やれやれというように首を振って嘆息していいる。

「私が抱えていた女の子は、ご存知ですか」

「ええ、保護しました。別の部屋で休ませていますのでご安心を。特に怪我もないし……ああ、軽い凍傷は起こしていましたが、無事ですよ」

 その説明に安堵の息を吐いたが、次の瞬間には目を見張った。

「お二人とも広場の暴動に巻き込まれたのですね? 大変でしたでしょうが、それも終わりです。じきに暴動の夜は明けるのですから」

 意味深な言い方に眉をひそめると、神父は素気(すげ)なく「暴動は革命へと変わったのです」と答えた。

 つまりそれはもう、あの事態が収束したというわけなのだろうか。思えば一度、目を覚ました時は確か夜だったはずだ。暗かったのを記憶している。そして今も似たような色合いだ。さきほど起きたときから数時間しか経っていないのか、あるいはもっと時間が経過して寝ている間に夜を迎えていたのか。

「……今日は、何日ですか」

 日付の確認を失念していた私は、飛びつかんばかりの勢いで神父に尋ねた。神父は動じることもなく静かに目を伏せて、私の問うた以上の言葉を紡いだ。

「二十三日。暴動は今や国軍が救国戦線を名乗り、市民の味方となりました。さきほど軍は逃亡した大統領夫妻を拘束し、事実上、政権を掌握しました」

 その言葉に、何も聞き返せないほど愕然とした。

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