Chapter.4‐2
十二月十八日。夕刻。
ルサリィを横に連れて、敷地内を歩く。
さきほど彼女に直接、軍の関係者が話を持ち込んだ帰りだ。会合の場所は彼女の部屋ではなく、所長室で行われた。話を聞かされた彼女は何度も神妙に頷き、その提案を受け入れているようだった。むしろ私のほうが納得しかねる顔だったと思う。
前日に概要を聞いていた身でもしばし呆然としていたのに、彼女にいたっては、ただ静かに「はい」と了承の返事をしていた。
軍人はここ数日の情勢についても話した。
十六日。都市ティミショアラで大きなデモが起きたという。
それに関しては、初めて聞かされ驚いた。研究所では新聞も雑誌もあるにはあるが、隔離されたような場所だと世情に疎くなる。それも理由として挙げられるが、ここ数日はルサリィ以外に構う気もおきていなかったのもあった。
軍人が説明するには、このデモというのが、とある牧師の国外退去処分が発端だったという。デモ前日の十五日、牧師はルーマニア治安当局により連行されたらしく、翌十六日には当局と共産党に対する市民の抗議運動に発展した。
私がルサリィについて報告をしたのは十三日だった。その時は知る由もなかったが、あまりにタイミングがよすぎたのだ。二十一日の集会に合わせて、ちょうど目をつけたのがルサリィだったのだろうかと、説明を聞いている内に報告したことへの自責の念に駆られる。行き場のない怒りと不安に押し潰されそうだ。
「――以上だ。質問は?」
話し終えた軍人は、ルサリィを見つめて言った。
その目が、彼女を見つめる目が、何の揺らぎもない色で塗り潰されていることに、私は抱えている衝動をぶつけたくなった。彼女に命じた内容に、その場で「ふざけるな」と反発したくてたまらない。しかしルサリィが口を開こうとしているのを見て、我に返った。
「ケイジの……ミスター・マキの、明日のお仕事をお休みにさせてください」
その発言には一同が唖然としていた。当の私も、意味が分からず「ルサリィ?」と声をかけるばかりだ。
彼女は、ニコリとしていた。この状況で、自分に下された運命の前で。
「お願いします。最後の、わがままです」
同席していた所長と軍の関係者は互いに顔を見合わせ、やがて所長の方が彼女に向かって頷いた。
彼女の部屋まで一緒に戻った私は、さきほどの言葉の意味を尋ねてみた。
「ルサリィ、あれは一体」
途端、彼女はさえぎる。
「ケイジ。もしお仕事があるなら、今からケイジのお部屋に戻ってしてくれる? そうじゃないと明日、せっかく約束できたのに意味がないでしょう?」
「そうだが……」
訝しむ私に、彼女は元気よく私の背中を押して、ドアの前まで連れ立った。
「ケイジ、今日はたくさん寝てね。明日は朝からいっぱい、お話しよう。一緒に楽しい一日にしようね」
そう言って、彼女は私を部屋から出るよう促した。
内側からノックして外の軍人に鍵を開けてもらい、ちょうど部屋と外の廊下の境界線上で立ち止まると、彼女に振り向く。彼女は微笑んでいた。
「早いけれど、おやすみなさい、ケイジ。……また、明日ね」
その言葉に何も言えずにいた私は、すぐそばで軍人が動いたことに気付いて横にのいた。軍人はルサリィの顔も見ず、当たり前のようにドアを閉め、鍵をかけている。
彼女の笑顔に気をとられて、おやすみの挨拶も言えなかった。孤児の収容棟から、私室のある建物へと向かう間にも、彼女の笑顔が気になって仕方ない。
……彼女は泣くのだろうか。私を早く追い出して、今から泣くのだろうか。
来るべき日の決行を思い、その課せられた自身の未来を思い。
彼女が命じられたのはセクリターテの処分。その構成員は孤児院出身の者がほとんどだった。孤児であったルサリィは、孤児であった者を殺すのだ。現政権が生んだ多くの孤児達が、火種に巻き込まれる。
上層部が望むのは、大きな着火だろう。彼らは言う。
集会で民衆が反旗を翻す準備がある。その混乱に乗じて、不審な動きをした者を狩りだせ。
セクリターテは民衆に紛れ込んでいるから、と。
民衆に手を出した者に対し発砲せよ、と。
独裁政治という舵をとった船を転覆させよ、と。
……自らの命を、そこに投じて。