桜並木の青い猫
空は雲一つなく晴れ渡っている。
川面は日の光を反射してキラキラと輝いている。
小学校での始業式からの帰り道、僕は一人で土手を歩いていた。
そこには満開に咲いた桜並木が並んでいる。
桜の枝は舗道の上まで張り出していて、まるで花のトンネルだ。
暖かい春のそよ風に巻かれて、桜の花びらがはらはらと落ちてくる。
僕はマドカちゃんのことを考えてて、うきうきしながら歩いていた。
ついついスキップで歩きそうになるのを、なんとか我慢する。
新しいクラスで、僕の隣に席になったのがマドカちゃんだ。
つやつやの長い髪に、おしゃれな黒ブチ眼鏡をかけた可愛い女の子。
今まではクラスが一緒になったことがないので、僕とマドカちゃんはぜんぜん交流がなかったんだ。
だけど、マドカちゃんは僕に色々と話しかけてくれた。
これからあの子と毎日会えるんだな。
そう思うと楽しい気分になってくる。
早く明日になってほしいな。
そんなことを考えてたせいか、その時の僕は前をよく見ていなかったんだと思う。
飛んできた何かがパサッと顔にあたり、僕は思わずよろめいていた。
「あーっ。ごめんなさーいっ」
女の人の声がした。僕は何とか転ばずにすんだ。
ちょっと、やばかった。危うく土手から転げ落ちるとこだったかも。
僕は顔に張り付いていた紙みたいものを外した。
風で飛ばされてきたみたいだ。
あれ? ……これは手描きの絵?
ここの桜のスケッチだ。色鉛筆で書いたのかな。
黒は陰のところ以外はあまり使ってない。
僕が絵を描くときは、先に黒で輪郭を描いて塗り絵になるけどね。
この絵は輪郭の線がほとんどないんだ。
それで本物みたいに描かれている。すごいね。
「きみ、大丈夫? ほんとにごめんねー」
「うん。大丈夫です、お姉さん。……あ、もしかして実佳姉ちゃん?」
「え? あれ、浩二くんか。ひさしぶりー。大きくなったね」
僕の家の近所に住んでいるお姉さんだ。
昔は何度か遊んでもらったことがあるけど、しばらく会ってなかった。
実佳姉ちゃんは私服で手にスケッチブックを持っている。
「実佳姉ちゃん、もう学校終わったの? 早いね」
「え、あたしは今日まで春休みだよ。明日が始業式だから」
「そうなんだ。あ、これって実佳姉ちゃんが描いたの? とっても絵がうまいんだね。でも、この猫は何? こんなのいないよね」
僕はもう一度、実佳姉ちゃんが描いた桜の絵を見た。
たくさんの桜の花が描きこまれている。
木の幹は、影がきれいに塗られていて写真みたいだ。
だけど、この絵では木の根元で青い猫が丸くなって寝ている。
周りを見回しても、このあたりに猫はいない。
それに青い猫って変だよね?
「あはは……。今日はこの陽気であったかいからね。もし、ネコがいたら気持ちよさそうに昼寝するだろうなーって、想像して書いたの。実際にはいないネコだから、青く塗ったんだよ。やっぱり変かな」
そうなのか。僕も近くにある桜の木を見ながら、ちょっと想像してみた。
木の下には、たくさんの花びらが落ちている。
今も、つぎつぎにひらひらと舞い降りてくる。
そこでお昼寝している青い猫。ときどき揺れるシッポ。
「そうだね。猫もここで寝てると、すごく気持ちいいんだろうね」
「でしょ。でしょ。あ、そう言えば浩二くん。さっきすごくニコニコしながら歩いてたよね。学校で何かいいことでもあったの?」
「うん。そうなんだよ。僕の隣の席になったマドカちゃん、すごくかわいいんだ。まっすぐな長い髪に黒い眼鏡がとってもよく似合ってるんだ。今日から僕と同じクラスになったんだよ。その子とおしゃべりするが楽しいんだ。早く明日にならないかなー」
「へー……」
あれ? 実佳姉ちゃん、今ちょっと機嫌が悪い?
「ねぇねぇ、実佳姉ちゃん。僕はもっとマドカちゃんと仲良くなりたいんだ。僕はあの子と、どんな話をすればいいかな……」
僕がきくと、実佳姉ちゃんはすこし考えて答えてくれた。
「あたしはその子がどういう子かわからないから、今の話だけだと何となくでしか言えないよ。なるべく相手の話をきくことね。その子がどんなことが好きなのかを考えて、その話をするといいと思うよ。あとはその子が何かに困ってそうだったら、浩二くんはほっとかないで声をかけてあげなよ」
「うん、わかった。ありがとう、実佳姉ちゃん」
* * * * * *
数日後、僕はお母さんにお使いを頼まれた。
自転車でスーパーに行って、言われた通りの買い物を済ませた。
野菜と調味料、それにお菓子。買い物メモに書かれているものは全部そろっている。
その帰り道で、僕は近道をして公園の中を通った。
すると公園のベンチに実佳姉ちゃんが坐っていた。
お姉ちゃんは今日もスケッチブックを持ってて、何か描いているようだ。
僕は自転車を降りて、実佳姉ちゃんに声をかけた。
「こんにちは、実佳姉ちゃん」
「あら、こんにちは。浩二君。新しいクラスはどう? お隣さんとはうまくやってるの?」
「うん。マドカちゃんともクラスのみんなとも仲良くしてるよ。でも僕、わかっちゃったんだ。マドカちゃんは他に好きな子がいるんだよ。タイキくんっていう、同じクラスのかっこいい男の子。いつもふざけているけど、ずっと前からマドカちゃんと友達なんだって」
「そうなんだ」
マドカちゃんって、タイキくんと話すときは顔が全然違うんだよね。
いつもニコニコしているけど、タイキくんに向ける笑顔が一番かわいいんだ。
僕と実佳姉ちゃんは、しばらく黙ってしまった。
公園にある桜の木から、花びらがひらひらと落ちてきた。
風が吹いて、花びらがくるくると回りながら飛ばされていった。
「ねえ、浩二君。今から時間ある? よかったら、あたしと一緒にお絵描きしようよ」
実佳姉ちゃんはスケッチブックをもう1冊だした。
「うん。やる! あ、お母さんにお使いを頼まれてたから、家に荷物置いてくるね。それにスケッチブックも自分のがあるからもってくるよ」
「ふふっ。じゃあ、待ってるよ」
僕は実佳姉ちゃんに手を振り、自転車をてててっと押して乗りこんだ。
ペダルを踏んで走り出す。
桜の花びらが舞い踊る中を、僕は自転車で突っ切った。