会いたい [クララの視点]
王女付侍女になって、今日で十日が過ぎた。もう十日か、まだ十日か。ようやく、明日から三日は休暇になる。
王宮は情報量が多すぎて、今までぼんやり生きてきた私には、毎日がいっぱいいっぱいだ。
環境の変化が激しいせいか、ここのところ変な夢ばかり見て、ちっとも熟睡できない。
そのせいか、どうも情緒不安定気味。これがよく言う環境適応障害っていうものかも?
涙腺がやたらと緩くなったり、つまらないことにムキになったり。我ながら扱いにくい自分を持て余してしまう。
現実逃避したくて『真実の愛』を読んでみたけれど、これがまた、本当に切ない悲恋展開なのだ。精神衛生上、全くよろしくない。
こんなものを読んだら、さらに落ち込むので、絶賛放置中だ。
ローランドには、あれから会えていない。
殿下に仕えるローランドも王宮にいるはずなのに、偶然でも会えなかったし、会いに行くこともできなかった。
いつもあんなに、そばにいてくれたのに。すごく寂しい。会いたい。どうして会いに来てくれないんだろう。
ローランドなら、夜這いしてくるかと思ってた。そんなことを期待しちゃってたのは、私だけだったのかな。
両思いなのに、どうしてそういう気になってくれないんだろう。やっぱり、私に色気がないせい?
そう思うと、軽く落ち込んだ。せめてもうちょっと胸が大きかったら、ローランドも誘惑されてくれたかもしれないのに。
やっぱり艶やかな色気のある女性がいいのかな。なんというか、豊満なボディを持った、経験豊富な感じの……。
いつもなら、こういうことはヘザーに相談できるのに、今は少し距離を置かれている気がする。
私がヘザーのことを、ちゃんと見ていなかったせいで。親友なのに、ヘザーの気持ちに気づかなかったせいで。
それが発覚したのは、侍女として出仕した最初の日。ちょうど私が、ローランドへの恋心を自覚した翌日だった。
王女様の侍女に選ばれたのは六人。みな王女様と同年代。父親は公侯伯子男のいずれかの爵位を賜っている。
見た目はどちらかというと地味。でも、性格は明るくて、気立てが良くて、やさしくて、おとなしい人たちばかりだった。
「恋バナ……っていうのでしょう?好きな殿方のことを話すの。あれをしましょうよ!せっかくの女子会なのだから、みなさんの素敵な人のこと、聞かせてちょうだい!」
王女様は初日のお茶会から、すでにグイグイ飛ばしていた。
婚約者のいるものはその方のこと、いないものは好きな人のことを語ることになってしまい、私たちは失礼にならない程度に、本音を話す羽目になった。
「クララはどうなの?ローランドとは」
王女様にそう聞かれて、私は焦ってしまった。
ローランドのことは、本当にその前日まで、ただの幼馴染だと思っていた。
幼いとき仲が良かった私たちを「許婚にしよう」などと親が言ったせいで、婚約者がいないうちは便宜上パートナーになっていただけだ。
「彼は幼馴染で。許婚ということにはなっていますが、正式な婚約者ではないんです」
言ってるうちに、ローランドのことを思い出して、私は頬が火照るのを感じていた。
たぶん、たぶんだけど、もうすぐ私とローランドは結婚することになる。
彼は卒業後、ううん、仕事についたら、すぐに結婚したいって言っていた。子どもが早くほしいって。
だから、私もちゃんと覚悟をした。ローランドから求められたら、私はそのまま許すつもりでいる。
両思いなのだから、別にもったいぶる必要はない。早くローランドのものに。ちゃんとした恋人になりたかった。
自分がこんな気持になるなんて、昨日まで想像もしていなかった。これって、ゆるいのかな?
いや、別にいいよね。だって、好きなんだもん。恋愛は正義だから!
「あら。あちらは、かなりクララにご執心に見えたけど?昨夜のコーディネートはすごい執着よ。ねえ、ヘザー?」
「クララはモテるんですの。でも本当に鈍くて。殿方の気持ちにも、自分の気持ちにも疎いんです」
王女様の質問に対して、ヘザーはいつもの調子で、私をあっさり落としてくれた。
私はモテない!それは断言できる!だって、今まで告白されたり、求婚されたりしたことはない!
そう言えば、ローランドもそうはっきりと、気持ちを伝えてくれたわけじゃなかった。
でも、あれは間違いじゃないよね?私の勘違いじゃないよね?ローランドは、私のこと、好きだよね?
私がそんな思いに耽っていると、王女様は声を上げて高らかに笑った。そして、意味深な視線をヘザーに投げて言った。
「それは困ったわね。ローランド贔屓のヘザーは、さぞヤキモキするでしょう」
その言葉に、ヘザーはなぜか真っ青になった。え、なんで?なんで、そんな反応するの?
「違う!違うよ!私はローランドのことなんて、別になんとも!」
ヘザーは目の前で両手をブンブン振って否定した。だけど、その狼狽ぶりはかえって肯定を主張してしまっている。
知らなかったし、考えたこともなかった。ヘザーはローランドが好きだったの?
「そうなの?え、そうだったの?」
私は自分の鈍さにショックを受けた。私は本当に鈍いんだ。間違いようもなく。
思えば、ヘザーはローランドのことには、いつもよく気がついたし、私の前では何かにつけ彼を褒めていた。
ヘザーの好きな人って、望みのない相手って、ローランドなの?
「違う違う!あいつは悪友なの!知ってるでしょう?」
もちろん、それは知っている。でも本当にそれだけ? もしかしたら、ヘザーは私よりももっと前から、ローランドを好きだったんじゃ……。
そのとき、王女様がパンパンと手を叩いたので、私もヘザーも我に返って顔をあげた。
「ごめんなさい。悪ふざけが過ぎたわ。私のせいなのだから、クララも怒らないで。ヘザーのことは単に私の憶測よ」
そいうい王女様のとりなしもあって、この話はなかったことになった。なかったことにはなったけど、私はもう聞いてしまった。
今さら忘れて振る舞うということは、とうていできそうにない。
ローランドは、ヘザーのことをどう思っているんだろう。ヘザーもローランドとは幼馴染だ。彼が私がじゃなくて、ヘザーを選んだって不思議じゃない。
だって、私もつい最近まで、ローランドをただの友達だと思ってたら。なのに、こんなに好きになってしまったから。
同じことが、ローランドとヘザーに起こってもおかしくない。ローランドとヘザーは喧嘩ばっかりして、憎まれ口ばかり叩いていたけど、本当はすごく仲がいいから。
あれからも、私とヘザーは普通に話しているし、特に何か変わったわけじゃない。
それでも、ローランドの話題はタブーとなってしまった。なんとなく、気まずくて。
自分の気持ちを、誰かに相談したかったけれど、それをヘザーにしてはいけないことくらい、私だって分かってた。
そんなギクシャクした日々の中で、私は少し鬱っぽくなってきている。情緒不安定。環境適応障害。
だから、カイルが専属護衛になってくれたのはありがたかった。いつも私の味方だって、カイルがそう言ってくれていたから。
これがもし知らない騎士だったら、私の王宮生活はもっと心細かったと思う。
「なんでこんなことになったんだ?」
王宮に上がった日、カイルは私が深い考えなしに侍女になったことを怒っていた。そして、すぐに職を辞して帰るよう、私を諭した。
そうは言われても、すでに決定したことは覆せない。そんなことは、もちろんカイルだって分かっていた。だから、こう言ってくれた。
「何かあったら、僕を頼ってほしい」
その言葉に、私はすごく励まされた。王宮の中で、味方がいるというのは、とても嬉しかった。
私の不安が伝わるのか、カイルがいつもよりずっと優しいのにも癒やされた。
仕事が辛いとき、カイルはいつも私を慰めてくれた。
「よく頑張ったな。君は立派な侍女だ」
「何があっても、僕は君の味方だ」
そう言って、いつも支えてくれていた。本当に私の味方だった。
でも、私はカイルじゃなくて、ローランドに側にいてほしかった。
どうしてローランドは、あれから何も言ってこないのだろうか。
彼が反対していたのに、私が侍女に上がったことを怒っているのだろうか。
それとも、もう私のことは、どうでもよくなってしまったのだろうか。
そんなことを思うと、不安で泣いてしまいそうになる。情緒不安定。環境適応障害。鬱傾向。
とにかく、すぐにでもローランドに会いたい。彼の気持ちを確かめたい。私の気持ちを伝えたい。
ヘザーをどう思ってる? 私よりも好き?
こんなことは聞いちゃいけないことなのに、ローランドの本当の気持ちを知りたい。彼の口から、誰を好きなのか、私を好いてくれているのか、ちゃんと聞きたい。
明日から休暇だ。ローランドに会いに行こう。そして私の思いを伝えるんだ。
私は早く明日が来るように願いながら、ゆっくりと目を閉じた。




